第14話 ばあば 田中 篤
父方の
従姉が大学を出てから久しぶりに会ったら、勤め先にかっこいい人がいるって、はしゃいでいたんですが、次に会った時にはもう、めげてて。彼が見てたからって、カッコつけるんじゃなかった、て、ビール片手にクダまきながら話してくれました。
その彼っていうのが自宅の最寄駅も同じで、朝夕一緒になることもあって。けど、つきあってるわけでもなんでもないから、電車は違う車両に乗るようにしていたので駅で挨拶程度に会話をするだけ。
でも、それを楽しみに通勤していたんだそうです。
ところがある日、駅の手前で信号待ちをしていたら、子供がいた。
銀行前に停められた、自転車の補助椅子に、一人でですね。
ゆるい坂になってるとこに停まってる自転車に、一人でですよ?
ちょっと動けばひっくり返る。きっと親は銀行のATMにちょっと用があったからって、少しの間だからと思って置いていったんでしょうけど、そんなバランスの悪い危ない状況見て、従姉はびっくりして、そぅっと子供に近づいたんだそうです。
電車の時間には数分余裕があったので、親が出てくるまで、自分の安心のためにも自転車を支えていようと思ったんだそうです。
それで、自転車に手を伸ばしながら子供の顔をのぞきこむようにして声をかけようとした。
けど、従姉はその顔を見て、逆に一歩下がった。子供の顔が、しわくちゃの、老婆の顔に見えたからです。
老婆は、うつむいたまま視線を上げました。ゆっくりと、従姉へと。従姉が驚いて動けずにいると、今度は視線にあわせて、顔を上げていったのだそうです。深いしわが、補助椅子につかまる手にも刻まれているのが見えたそうです。
そこに、音楽が聞こえてきました。信号が変わって、あの、視覚障害者の方でも青になったって音でわかるように流されているっていう音楽が聞こえてきたんです。それで我にかえって、従姉は慌てて視線をそらし、横断歩道を渡り、駅へと小走りに向かったそうです。
途中、振り返ると老婆は首をひねって従姉を見ていたそうです。完全にさかさまになるまでそっくり返らせて。
従姉の家にマルって名前の白いモサモサの大きな犬がいるんですが、従姉はたまに犬にお座りさせてからこう、手をあっちこっちにやって首の角度を変えさせて遊ぶそうで、時々前から後ろに手を持っていくとそのまーんまそっくり返るようにすることもあって。それにそっくりだったって。人間だとありえない角度だそうです。
その朝は、例の彼には会えなかった。けど、帰りにはまた改札でばったり会えたんだそうです。しかも、いつもなら改札を出てすぐの階段で違う方向に下りるのに、その日は、同じ方へとついてくる。銀行にお金をおろしに行くという彼と、少しの距離とはいえ並んで歩けることに浮かれて、従姉は朝のことをすっかり忘れてしまっていたそうです。銀行って、朝、子供の姿の老婆がいた銀行だったんですよ。
横断歩道で止まって、反対側にある銀行を見て、従姉はそれを思い出した。そのものを見て、です。
また、あったんです。自転車が。補助椅子に、うつむいた子供一人だけを乗せて。
「危ないな」と、彼もそれを見て言ったそうです。「そうですね」と従姉は応えて、けれど、今朝のことを話したものかとちょっと迷っているうちに、信号が変わってしまった。
朝と同じ音楽が鳴る中を足早に渡る彼について、銀行側へと向かったんですけど、二人が歩道にたどりついたところで、自転車が、急に倒れてしまったんだそうです。
当然、補助椅子の子供も、一緒に倒れた。
子供は、泣きもせずに突っ伏して、補助椅子に座った姿勢のまま倒れていて。
一番近くにいたのは、彼と、従姉だったんです。
「親は中かな」と一言言って、彼が銀行の自動ドアに向かったので、従姉は子供へと駆け寄るしかなかったんです。
あれは子供じゃない、老婆だ。それも、単に子供の時から体が成長しなかったおばあさんとかではなく『何か』だ。そう強く感じていたのに、従姉は子供へと駆け寄りました。気になる彼を前にして、子供に冷たい態度をとったと思われたくなかったんだそうです。
「大丈夫っ?」と、大きな声で訊ねながら、子供を抱き起こそうとしました。
倒れた自転車から引っ張り出した子供の顔は、やはり、老婆の顔だったそうです。
深くかぶった帽子の下は、黄色味がかった白髪で。
緑の虹彩に、横長の黒い瞳孔があって。その瞳孔が、まん丸になって、また細くなって。そうして、がっちりと、両方の手で二の腕をつかまれた。
その痛みは覚えているそうです。けど、従姉が覚えているのは、そこまで。
次に気づいたら、彼女は病院にいました。丸一晩が経っていて、彼女は、奇行が過ぎて精神科に入院させられていたんです。結局、いろいろ検査されて三日ほど入院。
意識を取り戻してからはもう本人に問題はなかったんですが、意識が途切れた瞬間から、彼女の奇行が始まっていたそうで。つまり、彼にもそれを見られていたわけで。それで、彼、行き帰りに会っても、本当に「おはよう」と「お疲れ様」しか言ってくれなくなっちゃったんだそうです。会社にも、噂が広がりました。
駅前交番からおまわりさんも飛んで来て、救急車も呼ばれたし近所だから噂も立って。奇行と言っても悲鳴上げまくって飛んだり跳ねたり頭や体振り回したりって、たぶん、子供にしがみつかれてとりのけようと必死になったとかそういう感じだったみたいなんですけどね。周りにそれが見えてなかったら、ただの奇行ですよね。
それが、従姉が転職した理由でした。彼女が抱いた子供がその後どうなったのか、正体はなんだったのかは、未だにさっぱりわからないそうです。
語り終えると、語り部は一本の蝋燭の火を消した。
『百物語が終わるまで』
https://kakuyomu.jp/works/822139841307342761
の作中話は800字程度に縮小させました。よろしければ本作もお読みいただけますと幸いです。
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