第24話
「…………」
翌日。
ナーナリアは、一人(と一匹)で、王都のカフェにいた。
「(……美味しい)」
目の前には、昨日、カイに横取りされた『オペラ』。
今日は、ケルベロスを屋敷に置いてきたため、邪魔者はいない。
完璧な、「自由」な、おやつの時間。
「(……美味しい、はず、ですのに)」
なぜか、スプーンが進まない。
昨日までの、あの騒がしさがない。
「草の味だ」と、けなす氷人形もいない。
「横取りするな」と、怒る相手もいない。
「……お嬢様?」
心配そうに、侍女のアマンダが声をかける。
「味が、お口に合いませんでしたか?」
「いいえ、アマンダ。とても、美味しいですわ」
(ただ……静かすぎて、味が、しませんの)
ナーナリアは、半分以上残したケーキの皿を、そっと押しやった。
「もう、結構ですわ。帰りましょう」
「え? あ、はい!」
(こんなはずでは、なかったのに)
(やっと手に入れた『自由』は、こんなにも、味気ないものでしたの?)
ナーナリアは、浮かない気分のまま、グランツ侯爵邸の馬車へと乗り込んだ。
---
「おかえり! ナーナリア!」
屋敷に帰り着いた途端、玄関ホールに、兄アレクシスの、やたらと陽気な声が響き渡った。
「(う……今、そのテンションは、少し、きついですわ)」
「お兄様。ただいま戻りましたわ。何か、そんなに、嬉しそうですこと?」
「ああ! 朗報だ! 最高のニュースだぞ!」
アレクシスは、妹の肩を(痛いほど強く)掴んだ。
「聞いたぞ! あの『氷人形』! カイ・ランバートのことだ!」
「(……!)」
ナーナリアの心臓が、嫌な音を立てて、跳ねた。
「あの男! 辞令が下ったそうだ!」
「……辞令?」
「そうだ! 異動だ、異動!」
アレクシスは、心の底から、嬉しそうだ。
「北の辺境! あの、魔獣がウヨウヨしている、クソ寒い最前線の砦に、守備隊長として栄転(という名の左遷)だそうだ!」
「…………え?」
ナーナリアの、頭が、一瞬、白くなった。
(北の……辺境?)
「ははは! これで、ようやく、安心だ!」
アレクシスは、妹の心情の変化(大混乱)に、一切気づかない。
「もう、あの、目の光のない、愛想のない、面白みのない男が、お前の周りをうろつくこともない!」
「…………」
「数年は、戻ってこれんだろう! いや、一生、あの雪山に篭っていればいい!」
「(……北の、砦)」
(あそこは……王宮騎士団の中でも、最も過酷な、死と隣り合わせの場所)
(食べ物も、マズいと聞きますわ)
(……もちろん、パフェも、タルトも、オペラも、ありませんわよね)
「さあ! ナーナリア! 今夜は祝杯だ! 父さんも、母さんも、呼んでこい!」
「……お兄様」
「なんだ!」
「わたくし、少し、疲れましたので」
「え?」
「……失礼、いたしますわ」
ナーナリアは、兄の腕を(静かに)振り払い。
まるで、夢遊病者のような、ふらふらとした足取りで、階段を上がり、自室へと消えていった。
「……? どうしたんだ、ナーナリア? 嬉しくないのか?」
アレクシスは、訳がわからない、という顔で、首を傾げるしかなかった。
---
バタン、と。
自室の扉を、背中で閉める。
「(……異動)」
(あの人が? あの、氷人形が?)
(わたくしを、あれほど「職務だ」と、ストーキングしていたくせに)
(……行くの?)
(わたくしを、置いて?)
「(……何を、考えておりますの、わたくしは!)」
ナーナリアは、自分の思考に、愕然とした。
(あの人は、もう『無関係』ですわ! わたくしが、そう、言い切りましたのに!)
(自由になったのですわ。邪魔者がいなくなる。……喜ばしいこと、ではございませんこと!)
ナーナリアは、窓辺に立った。
中庭の、いつも、あの黒い影が立っていた場所。
そこには、当然、誰もいない。
(……あの、特製ブレンドの、紅茶)
(あの、『悪くない』と言った、幻のような、笑顔)
(……まだ、わたくし、あの人に、本当の『ダージリン』の美味しさも、教えて差し上げていないのに)
(わたくしが、いなければ)
(あの人、また、『草の味だ』とか言って、ろくな、お茶も飲まずに)
(……あの、寒い場所で、一人で……)
「…………」
ナーナリアの、胸の奥が、ぎゅううっと、締め付けられるように、痛んだ。
「(……これが、『寂しい』という、感情……?)」
(わたくしが? あの、氷人形(パフェ泥棒)に?)
(……ありえませんわ)
ナーナリアは、首を振った。
だが、胸の痛みは、消えなかった。
---
その頃。
王宮の、騎士団詰め所。
カイ・ランバートは、一枚の辞令を、無表情で、見つめていた。
(……これでいい)
(北の砦。望むところだ)
(俺は、騎士だ。甘ったるい『監視任務』より、よほど、性に合っている)
カイは、荷物をまとめ始めた。
必要最低限の、武具と、着替え。
(……これで、終わりだ)
(あの、けたたましい女と、意味のわからん魔犬と、甘すぎる菓子の、日々)
カイの手が、ふと、止まる。
(……あの、紅茶)
(『悪魔のショコラケーキ』)
(……あの女が、淹れた、蜂蜜と林檎の……)
カイは、無意識のうちに、辞令を、ぐしゃり、と、握りしめていた。
「(……!)」
カイは、慌てて、辞令を、手のひらで伸ばした。
(……なにを、考えている)
(任務は、終わったのだ)
(……これで、いい)
カイは、自分に、強く、言い聞かせるように、荷造りを、再開した。
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