第20話
「…………」
王宮の庭園は、地獄のような静寂に包まれていた。
いや、正確には、令嬢たちの息を飲む音と、ケルベロスが(吐き出してスッキリしたとばかりに)三つの舌で口元を舐める音だけが響いている。
ベチャリ、と。
リリアの目の前に転がる、泥にまみれたサテンの靴(片方)。
それは、彼女の浅はかな「自作自演」の、動かぬ証拠だった。
「(あ……あ……)」
リリアは、真っ白になった頭で、必死に次の一手を探す。
だが、もう、ない。
カイ・ランバートの冷静な指摘(石畳と無傷の靴)。
そして、アレクシスと魔犬(?)による、物理的な証拠(泥靴と盗み聞き)。
詰み、である。
「……リリア」
氷のように冷たい、低い声が響いた。
声の主は、今までリリアを庇うように立っていた、エドワード王子だった。
「あ……王子……! ちが、これは……!」
リリアが、震える声で王子にすがりつこうとする。
「……これは、なんの、冗談だ?」
「じょ、冗談など……! わたくしは、本当に……!」
「黙れ!」
エドワード王子の、今までにないほどの激しい怒声が、庭園中に響き渡った。
「(ビクッ!)」
リリアの肩が、恐怖で跳ね上がる。
「カイ・ランバートの言ったこと。そして、アレクシス卿の、この……証拠(よだれまみれの靴)」
王子は、震える指で、ケルベロスが吐き出した「それ」を指差した。
「すべて、嘘だというのか」
「そ、そうですわ! 嘘です! ナーナリア様たちが、皆様で、わたくしを陥れようと……!」
「(まだ言いますの、この女は……)」
ナーナリアは、もはや感心すらしていた。
「……そうか」
エドワード王子は、ゆっくりと、リリアから目を離した。
そして、自分の足元を、じっと見つめた。
「……そうか。そうだったのか」
「王子……?」
「私が……愚かだった」
王子は、乾いた笑いを漏らした。
「私は、貴様の、その『涙』に……その『可憐さ』に、ずっと、騙されていたというわけだ」
「ち、違います! 王子! わたくしは、本当に……!」
「黙れと言っている!」
エドワード王子は、リリアに向き直った。
その目は、もはや、昨日までの甘い光はなく、ただ、冷たい軽蔑と、燃えるような怒りに満ちていた。
「君だったのか! ずっと!」
「(……!)」
「ナーナリアが、リリアにした数々の非道な行い、と私は言ったな」
「…………」
「教科書を隠したのも! 階段から突き落とそうとした(フリをした)のも! ドレスに泥を塗った(ように見せかけた)のも!」
「あ……」
「全部! 全部、貴様の、仕組んだことだったのではないか!」
「(((まあ……!)))」
周囲の令嬢たちが、ついに、事の真相に気づき、一斉にリリアを非難の目で見た。
(手のひらの返しが、早い)
「ひ……! ひぃ……!」
リリアは、その場に、今度こそ、本当に腰を抜かした。
もはや、演技ではない。
「……王子」
ナーナリアは、この茶番(裁判)が、ようやく終わる気配を感じ、口を開いた。
「もう、よろしいのではなくて?」
「ナーナリア……」
エドワード王子は、リリアから、ゆっくりと、ナーナリアへと視線を移した。
その顔は、怒りから一転、苦悶と、深い、深い後悔に歪んでいた。
「……私は」
「はい」
「私は……貴様に……!」
次の瞬間。
エドワード第二王子は、その高貴な膝を折り。
庭園の、芝生の上に、両手をついた。
「「「(((えええええええええ!?)))」」」
令嬢たちの、本日一番の悲鳴が上がる。
「すまなかったあああああ!」
王子の、絶叫に近い謝罪が、響き渡る。
「(……は?)」
ナーナリアは、目の前で起きていることが、理解できなかった。
(土下座……? この、プライドの塊のような王子が?)
「私だ! 私が、すべて、間違っていた!」
エドワード王子は、顔を上げられないまま、地面に向かって叫び続ける。
「私は、この女の嘘偽りの涙に騙され! 真実を見抜けず! 貴様という、本当の……本当の……!」
(本当の、なんですか、早くしてくださいまし)
「貴様を、大勢の前で、婚約破棄などと……!」
「(おお、ようやく、本題に戻りましたわね)」
「すまなかった、ナーナリア! 私を、殴ってくれ!」
「(……いえ、それは、さすがに……)」
ナーナリアは、目の前で土下座する元婚約者を、非常に冷めた目で、見下ろしていた。
「お兄様」
「なんだ、ナーナリア」
「(……お兄様、その拳を、下ろしてくださいまし。本気で殴りかかろうとするのは、おやめなさい)」
「(ちっ、今なら、正当防衛が……)」
「(なりませんわ)」
ナーナリアは、コホン、と咳払いをした。
「……殿下。顔を、お上げくださいな」
「いや! 貴様が、私を許してくれるまでは、上げられん!」
「(……面倒な人ですわ、本当に)」
ナーナリアは、深いため息をついた。
そして、土下座する王子の、すぐそばまで、歩み寄った。
「殿下」
「……!」
「わたくし、別に、怒っておりませんのよ」
「え……?」
王子が、恐る恐る、顔を上げる。
その顔は、涙と鼻水で、なかなかにひどいことになっていた。
「わたくし、あの日、貴方に婚約破棄されて、心の底から『スッキリした』と申し上げたはずですわ」
「う……」
「わたくし、貴方のお妃になるより、愛犬ケルベロスと、王都の甘味を制覇する人生の方が、百倍も、千倍も、幸せですの」
「(((…………)))」
庭園の全員が、ナーナリアの「本音(ガチ)」に、言葉を失う。
「ですから、殿下」
ナーナリアは、完璧な淑女の笑みを、王子に向けた。
「わたくしに謝罪なさるより、まずは、そのお顔を洗っていらした方がよろしいのではなくて?」
「…………は?」
「あと」
ナーナリアは、ふと、視線を、悲劇の(自業自得の)ヒロイン……リリアが腰を抜かしているあたりから、ビュッフェ台の方へと移した。
「(……あ!)」
「あ、そこの『オペラ(ケーキ)』、わたくしの分が残っているか、そちらの方が、よほど心配ですわ」
「…………」
エドワード王子は、固まった。
ナーナリアも、固まった(ケーキを見つめて)。
「…………」
カイ・ランバートが、すっ、と動き。
ナーナリアが狙っていた「オペラ」の最後の一切れを、自分の皿に、音もなく乗せた。
「(ああああああ! 氷人形! 貴様ああああ!)」
「(……!)」
カイは、ナーナリアの怨嗟の視線に気づき、無表情のまま、そのオペラを、一口で、口に放り込んだ。
「(……もぐ)」
「(わたくしの、オペラがああああ!)」
王子の謝罪。
リリアの断罪。
そんな、シリアスな(?)場面は、元悪役令嬢の「食い意地」と、氷の騎士の「マイペース」によって、またしても、カオスなコメディへと塗り替えられていくのだった。
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