第16話
「ねえ、お聞きになりました?」
「もちろん。あの『氷の騎士』様のことでしょう?」
「まさか、あのカイ・ランバート様が……あの『元』悪役令嬢と」
王宮のサロンは、その日、いつになく甘く、スキャンダラスな話題で持ちきりだった。
「毎日、王都のカフェで『逢瀬』を重ねているとか」
「(それは、わたくしが無理やり連行しているだけですわ……)」
「この間のガーデンパーティーでも、リリア様に紅茶をかけられたナーナリア様を、カイ様がご自分の上着で……!」
「(あれは、わたくしが引きずられただけですのに……)」
「『風邪を引く』と……まあ! なんてロマンチック!」
「(事実は『シミがついたから廃棄する』でしたわ!)」
「もう、間違いありませんわ。あのお二人は……」
「「「デキている(お付き合いしている)!」」」
その、根も葉もない噂の中心人物であるナーナリア・フォン・グランツは。
「…………(イライラ)」
今日も今日とて、護衛(という名の噂の相手)を引き連れて、王宮の廊下を歩いていた。
「カイ様」
「なんだ」
「気のせいでしょうか。今日の皆様の視線、いつもに増して、粘着質で……不愉快ですわ」
いつもなら「(腫れ物)」「(猛犬)」という、恐れと好奇の視線。
しかし、今日の視線は違う。
生暖かく、ニヤニヤとした、好奇の色が濃い。
「…………」
カイは、答えない。
だが、彼もまた、いつもより多くの視線が自分(とナーナリア)に集まっていることには、気づいていた。
「(……ああ、面倒ですわ。どうせ、リリア様の『可憐さ』と、わたくしの『悪辣さ』を比べているのでしょう)」
ナーナリアが、うんざりしながら角を曲がった、その時。
「まあ! 噂をすれば! ご覧になって、あのお二人!」
正面から歩いてきた、派手なドレスの令嬢たちが、ナーナリアとカイを見て、甲高い声を上げた。
「(……?)」
「本当に、ご一緒ですのね! 氷の騎士様と、ナーナリア様!」
「……ごきげんよう。何か、わたくしたちに御用でも?」
ナーナリアは、面倒ごとを察知し、完璧な淑女の(威圧的な)笑みを浮かべた。
「い、いえ! 御用など……!」
令嬢の一人が、頬を赤らめながら、カイを(うっとりと)見つめている。
「ただ……その、噂は本当でしたのね、と」
「噂?」
ナーナリアは、首を傾げた。
(わたくしに関する悪い噂など、今に始まったことではありませんが)
「カイ様が、ナーナリア様の『護衛』にかこつけて、毎日王都でデートをなさっていると!」
「…………は?」
ナーナリアの、完璧な笑顔が、凍りついた。
「『デキてませんわああああああ!』」
ナーナリアの絶叫が、王宮の廊下に響き渡った。
「な、なんですの! その、下品な噂は!」
「ひいっ! で、ですが、皆様そう仰って……!」
「皆様が! どこの皆様ですの!」
「(カフェの店員とか、衛兵とか、パーティーの参加者とか、ですわ……!)」
「カイ様!」
ナーナリアは、勢いよく、背後の氷人形に振り返った。
「貴方からも、ビシッとおっしゃってくださいまし! この、馬鹿げた噂を、否定なさって!」
「…………」
カイは、ナーナリアと、震え上がる令嬢たちを、交互に、無表情で見つめた。
「カイ様! なぜ黙っておりますの! 貴方の名誉にも関わりますのよ!」
「……」
カイは、ゆっくりと口を開いた。
「……否定する、必要が?」
「はあ!?」
ナーナリアは、ひっくり返りそうになった。
「ひ、必要が、あるに決まっておりますでしょう!?」
「まあ……!」
令嬢たちが、今度は「カイ様、公認!?」と、さらに目を輝かせている。
「(ち、違いますわ! この氷人形、そういう意味で言ったのではなくて!)」
「(『噂などどうでもいい』という意味で、言ったに違いありませんわ!)」
「カイ様!」
ナーナSリアは、カイの袖を(周囲の目も忘れて)掴んだ。
「貴方、わたくしと『デキている』などという、悪夢のような噂。何とも思わないのですか!」
「……悪夢、か」
「そうですわ! 悪夢です! わたくしの、自由な買い食いライフが、変な色眼鏡で見られてしまいます!」
「……」
カイは、ナーナリアに掴まれた袖と、彼女の(必死な)顔を見比べた。
そして、ぽつりと、呟いた。
「……職務に、支障はない」
「(……!)」
(この人……! どこまで行っても『職務』『職務』『職務』ですわ!)
「まあ! 『支障はない』ですって! つまり、公認……!」
令嬢たちが、ついに、ありえない解釈にたどり着いた。
「違いますわあああ!」
ナーナリアは、もう、どう訂正していいかわからなくなった。
「もういいですわ! 行きますわよ、カイ様!」
「(コクリ)」
ナーナリアは、令嬢たちを押しのけ、カイの袖を掴んだまま、ズカズカと歩き出した。
((まあ! 腕を組んで(組んでない)!))
((公然と(公然ではない)!))
((氷の騎士様、陥落!))
「(……わたくしの、馬鹿ああああ!)」
ナーナリアは、自分の行動が、さらに噂を加速させたことに、数秒後、気づいた。
「……あの、ナーナリア様」
「なんですの!」
「袖が、伸びる」
「(……!)」
ナーナリアは、慌ててカイの袖を離した。
顔が、カッと熱くなる。
「……(むすう)」
「……(無表情)」
二人が、気まずい(とナーナリアだけが思っている)沈黙で歩いていく姿は。
王宮の噂好き(ゴシップずき)たちにとって、格好の「恋の始まり」の証拠映像として、瞬く間に拡散されていったのだった。
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