第14話

「…………(むすうう)」


ナーナリアは、機嫌が悪かった。

非常に、悪かった。


理由は明確。

昨日の「紅茶研究」における、カイ・ランバートの「草の味」発言である。


「(わたくしの、長年の研究と、あの高価な茶葉たちを……『草』の一言で……!)」


「お嬢様。眉間に、深い谷が刻まれておりますわ」


侍女のアマンダが、隣を歩きながら小声で忠告する。


「うるさいですわ、アマンダ! これも全部、あの『氷の味音痴人形』のせいですのよ!」


ナーナリアは、王都の目抜き通りを、いつもより荒々しい足取りで歩いていた。

もちろん、三歩後ろには、例の人形が、今日も完璧な無表情でついてきている。


「カイ様」


「なんだ」


「貴方、昨日のわたくしの紅茶、本気で『草』だと思っているのですか」


「……ああ」


「(即答!?)」


ナーナリアは、怒りで頭から湯気が出そうだった。


「いいですわ! 貴方のような方には、もう二度と、わたくしの貴重な紅茶は淹れて差し上げません! 一生、激甘パフェでも食べていればよろしい!」


「……(ピクッ)」


カイの眉が、ほんの少し「パフェ」という単語に反応した。


「ほら! やっぱり! 貴方など、それでいいのですわ!」


ナーナリアは、ぷいと顔をそむけ、近くのカフェのテラス席に乱暴に腰を下ろした。


「(あ、ケルベロス……今日はお留守番させてしまいましたわ。あの氷人形のせいで、イライラして忘れておりました)」


「ご注文は……」


ウェイターが、ナーナリアの不機嫌オーラと、カイの氷のオーラに挟まれ、震えている。


「わたくし、やけ食いですわ! あそこの『悪魔のショコラケーキ』を!」


「か、かしこまりました!」


「……貴方は?」


ナーナリアが、カイを睨みつける。


「……お前と、同じものを」


「(……は?)」


ナーナリアは、目を丸くした。


「今、何と?」


「……『悪魔のショコラケーキ』を、一つ」


カイは、ナーナリアから視線を逸らし、ウェイターに告げた。


「(こ、この人が……わたくしに強制されるのではなく、自ら甘いものを注文……!?)」


「(昨日、わたくしに『味音痴』と罵られた腹いせに、ヤケ甘いものですの!?)」


ナーナリアが、一人で混乱していると、やがて、濃厚なチョコレートの香りを漂わせたケーキが二つ、運ばれてきた。


「…………」


「…………」


気まずい沈黙の中、二人は同時にフォークを手に取った。


(……美味しいですわ。濃厚なチョコが、イライラした心に染み渡ります)


ナーナリアが、一口目を堪能していると。


「……」


カイが、フォークを突き刺したまま、固まっていることに気づいた。


「どうかなさいましたの? さっさと召し上がればよろしいでしょう。毒見なら、わたくしが済ませましたわ」


「……これは」


カイは、フォークに乗ったケーキを、じっと見つめている。


「……甘すぎない」


「は?」


「昨日までの、『パフェ』や『クレープ』とは違う」


「(……当たり前ですわ。これはビターチョコレートを使った、大人のケーキですもの)」


「……」


カイは、恐る恐る、それを口に運んだ。


「(……もぐ)」


(……)


「(……!)うまい」


「え?」


「……うまい」


カイは、二口目、三口目と、まるで宝物でも味わうかのように、ゆっくりと、しかし確実にケーキを食べ進めていく。

その目は、いつもより、ほんの少しだけ、見開かれている気がした。


「(……この人、ただの『激甘党』ではなく、『甘ければ何でもいい党』でしたのね)」


ナーナリアは、なんだか、張り合う気力も失せてしまった。


「……ふう」


ナーナリアは、ため息と共に、ケーキに添えられていた紅茶(何の変哲もないティーバッグ)に口をつけた。


(……美味しくないですわ。香りも、コクも、何もかもが足りない)


「(……昨日の、草の方が、まだマシだ)」


「(……!)」


ナーナリアは、自分の思考が、カイの言葉に侵食されていることに気づき、愕然とした。


「……カイ様」


「なんだ」


「わたくし、屋敷に戻りますわ」


「まだ、買い食いの途中では」


「いいのです! どうしても、貴方に飲ませなければならないものができましたの!」


「……?」


カイは、ケーキの最後のひとかけらを名残惜しそうに見ながら、首を傾げた。


---


グランツ侯爵邸、温室。

再び、この場所に連れてこられたカイは、デジャヴを感じていた。


「(……また、草か)」


「お黙りなさい! 心の声が聞こえておりますわ!」


ナーナリアは、昨日とは違う、小さな缶を手にしていた。


「いいですか、カイ様。これは、わたくしが特別にブレンドした『お茶』ですわ」


「……茶、か」


「ええ! わたくしの、プライドにかけまして!」


ナーナリアは、昨日とは比べ物にならないほど真剣な手つきで、湯を注ぐ。

ポットからは、草の匂いではなく、甘く、少しスパイシーな、不思議な香りが立ち上った。


「(……これは)」


カイの鼻が、かすかに動く。


「さあ、どうぞ」


カップに注がれたのは、美しい琥珀色。

ダージリンともアッサムとも違う、温かみのある色だった。


「(……蜂蜜と、林檎……?)」


カイは、警戒しながらも、カップを手に取った。

香りがあまりにも、昨日までの「草」とは違ったからだ。


彼は、ゆっくりと、一口、その琥珀色の液体を含んだ。


「…………」


温かい液体が、喉を通っていく。

それは、昨日までの苦味や渋みとは、まったく違う。

ほのかな甘み。

スパイシーなシナモンの香り。

そして、ベースにある、優しい紅茶の風味。


「…………」


カイは、カップを置いた。


「どうですの」


ナーナリアが、緊張した面持ちで、カイの答えを待っている。


カイは、しばらく沈黙していたが、やがて、ぽつりと呟いた。


「……悪くない」


「(……!)」


ナーナリアの顔が、パッと輝いた。


「(わ、わたくしのブレンドが、この味音痴に認められ……!)」


「悪くない、どころか」


カイは、もう一口、今度は、少し味わうように、ゆっくりと飲んだ。


そして。


ふ、と。


カイの、その氷のように固まっていた口元が、ほんの、ほんのわずか、緩んだ。


それは、「笑顔」と呼ぶには、あまりにも微かすぎた。

一瞬、空気が揺らいだだけ、と言われても信じてしまうほどの、小さな変化。


だが、ナーナリアは、それを見逃さなかった。


「(…………え?)」


ナーナリアは、固まった。

時が、止まった。


(い、今……)


(あの、氷人形が……)


(わ、笑った……?)


「……?」


カイは、自分の顔の変化には気づかず、ナーナリアが固まったのを見て、不思議そうに首を傾げた。

その表情は、もう、いつもの「氷の騎士」に戻っていた。


「……どうかしたか」


「(……ま、幻……?)」


ナーナリアは、激しく混乱した。


「い、いえ! な、なんでもありませんわ!」


ナーナリアは、なぜか顔が熱くなるのを感じ、慌てて顔をそむけた。


「そ、そう! 悪くないでしょう! そうでしょうとも!」


「ああ」


「わ、わたくしは! 貴方のようなお子様味覚でもわかるように、蜂蜜とアップルとシナモンを、絶妙なバランスで配合して……!」


「……美味かった」


「(……!)」


ナーナリアは、再び言葉に詰まった。


「そ、そうですか! それは、ようございましたわね!」


ナーナリアは、自分がなぜこんなに動揺しているのか、まったくわからなかった。

ただ、さっきの、あの「幻」かもしれない笑顔が、脳裏に焼き付いて、離れなかった。


「(なんなのですか、もう!)」


その日、ナーナリアは、買い食いのことも、シミのついた上着のことも、すべてがどうでもよくなってしまうほど、激しく混乱した一日を過ごすことになった。

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