第13話

「……ううむ」


ナーナリアは、自室で腕組みをしていた。

目の前には、昨日カイから押し付けられた(?)王宮騎士団の上着。

アマンダと二人がかりで、最高級のシミ抜き剤を使ってみたが、紅茶の濃いシミは、うっすらとだが頑固にそこに残っていた。


「くっ……! 完璧に落として、あの氷人形の顔に叩きつけてやろうと思いましたのに!」


「お嬢様。ですから、専門のクリーニングに出すべきだと」


「いいえ! それではわたくしの負けですわ!」


「(……何に勝とうとなさっているのですか)」


アマンダは、深いため息をついた。


「ああ、もう! イライラしますわ!」


ナーナリアは、窓の外を睨みつけた。

中庭では、愛犬ケルベロス(巨大)が、庭師が手入れしたばかりの薔薇を(三つの頭で)引っこ抜いて遊んでいる。

そして、そのケルベロスの三歩後ろには。


「…………」


今日も今日とて、氷の騎士カイ・ランバートが、置物のように立っていた。


「(なんなのですか、あの人!)」


ナーナリアは、昨日、馬車で「廃棄する」と言い放たれたことを思い出して、また腹が立ってきた。


「わたくしが、どれだけあのドレスを気に入っていたか……!」


(まあ、カイ様の上着も台無しになりましたけれど。それはそれ、これはこれ、ですわ)


「お嬢様。本日は、買い食いにお出かけには?」


「……気分が乗りませんわ」


ナーナリアは、ぷいと顔をそむけた。


「あの氷人形を連れて、甘いものを食べさせてやる義理もありませんし」


「(……カイ様、お嬢様のおかげで、すっかり甘党だと屋敷中で噂になっておりますが)」


アマンダは、賢くも黙っていた。


「……そうだわ」


ナーナリアが、ぽん、と手を打った。


「アマンダ。わたくし、本日は趣味に没頭することにいたします」


「趣味、と申されますと?」


「『紅茶研究』ですわ!」


ナーナリアの目が、キランと輝いた。


「アマンダ! グランツ家秘蔵の茶葉を、温室に運んでちょうだい! それから!」


「は、はい!」


「中庭の『置物』も、温室に運んでくださいまし!」


「……え?」


---


グランツ侯爵家の、陽光が降り注ぐ温室。

色とりどりの花々が咲き乱れ、甘い香りが満ちている。


その中央に、不釣り合いな(悪趣味なほど豪華な)テーブルと椅子が持ち込まれていた。


「…………」


カイ・ランバートは、なぜ自分がこんな場所に連れてこられたのか、理解できないまま、椅子に(無理やり)座らされていた。


「なぜ、ここに」


「決まっておりますわ、カイ様」


ナーナリアは、純白のエプロンを身につけ、上機嫌で答えた。

彼女の前には、十数種類の茶葉が並んだワゴンが鎮座している。


「貴方は、わたくしの『護衛』でしょう? わたくしが趣味に没頭している間、不埒な輩(主に虫)が近づかないよう、見張ってくださらなくては」


「……(ピクッ)」


カイは、足元を這っていた小さなクモを睨みつけ、クモは(恐怖で)方向転換して逃げていった。


「さあ! 始めますわよ!」


ナーナリアは、銀のティーポットを手に取り、流れるような手つきで湯を注ぎ始めた。


「まずはこちら! 春摘みのダージリン、『ファーストフラッシュ』ですわ!」


黄金色の液体が、美しいボーンチャイナのカップに注がれる。


「どうぞ、お飲みになって」


「……」


カイは、目の前に差し出されたカップを、無言で見つめた。


「毒など入っておりませんわ。……多分」


「……」


カイは、仕方なくカップを手に取り、一口含んだ。


「どうですの! この若々しい香りと、ほのかな渋み! まるで、春の目覚めのような……」


「……草の、味がする」


「(……!)」


ナーナリアのこめかみが、ピクリと引きつった。


「き、貴方……! これが、どれだけ高価な茶葉か、わかって!」


「草だ」


「(この、味覚音痴の氷人形め……!)」


ナーナリアは、深呼吸した。


「(まあ、いいですわ。次です、次!)」


「では、こちら! 濃厚な味わいの『アッサム』ですわ! ミルクティーの王様ですのよ!」


今度は、濃い赤褐色の紅茶が注がれる。


「どうぞ」


「……」


カイは、再び一口。


「これは……」


「(お! 今度こそ!)どうですの!?」


「……さっきより、濃い草の味がする」


「(ブチッ)」


ナーナリアの中で、何かが切れる音がした。


「貴様あああああ!」


ナーナリアは、ティーポット(中身は空)を振り上げそうになり、アマンダに羽交い締めにされた。


「お、お嬢様! 落ち着いて! カイ様は、騎士でいらっしゃいます! 味覚は鍛えておられぬのです!」


「離しなさいアマンダ! わたくし、この氷人形を、今日こそ叩き割ってやりますわ!」


「……(なぜ、怒っているんだ、この女は)」


カイは、本気でわかっていない、という顔で、首を傾げた。


「(はあ……はあ……)」


ナーナリアは、なんとか怒りを鎮めた。


「……いいですわ。わたくしが、悪うございました。貴方のような、甘いもの(激甘パフェ)にしか反応しない、お子様味覚の方に、紅茶の真髄を説こうとした、わたくしが」


「……別に、お子様味覚ではない」


「なんですって? では、このダージリンとアッサムの違いが、本当にわかりませんの?」


「……濃さが違う」


「それだけですの!?」


「……色が違う」


「(ああ、もうダメですわ、この人!)」


ナーナリアは、頭を抱えてその場にしゃがみ込みそうになった。


「……お嬢様」


「何ですの、アマンダ……わたくし、もう疲れましたわ……」


「カイ様は、その……『違いのわからない男』なのですわ。きっと」


「……(違いが分からん、で、済まされてたまるか)」


カイは、自分に向けられた(不名誉極まりない)評価に、わずかに反論したそうだったが、口には出さなかった。


「……もう、結構ですわ」


ナーナリアは、立ち上がると、エプロンを(乱暴に)脱ぎ捨てた。


「わたくし、やっぱり買い食いに出かけます! アマンダ、支度を!」


「ええ!? 今からでございますか!」


「そうですわ! あんな、下品な『激甘マウンテンパフェ』でも買って、あの氷人形の頭からぶちまけてやりますわ!」


「(……それは、少し、食べたい)」


カイが、ほんの少し、反応した。


「ほら! やっぱり、貴方にはそっちがお似合いなのですわ!」


ナーナリアは、カイをビシッと指差した。


「わたくしの、崇高な紅茶研究を、二度と邪魔しないでくださいましね!」


「……(邪魔は、していない)」


(ただ、草の味がしただけだ)


カイは、そう思ったが、それを口にすれば、今度こそティーポットが飛んでくると本能的に悟り、黙ってカップを置いた。


ナーナリアの、趣味(という名の憂さ晴らし)は、氷の騎士の「味覚音痴」という、新たな発見(?)によって、さらに混乱を極めるのだった。

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