第12話
「…………」
「…………」
グランツ侯爵邸へ戻る馬車の中。
気まずい沈黙が、重く空気を支配していた。
ナーナリアは、自分の肩にかかったままの、黒い騎士団の上着を睨みつけていた。
ほのかに、自分のものではない……カイの、冷たく無機質な(気がする)匂いがする。
「(……なぜ、わたくしがこんなものを)」
向かいの席に座るカイ・ランバートは、いつも通り、窓の外を無表情で見つめている。
上着を脱いだ彼は、シンプルなシャツ姿で、いつもより少しだけ……人間味があるように見えた。
(……見えませんわね。やはり氷人形ですわ)
「あの」
「なんだ」
ナーナリアが口火を切るのと、カイが反応するのが、ほぼ同時だった。
「(……食い気味ですわね)」
ナーナリアは、一度咳払いをして、姿勢を正した。
「なぜ、あのようなことをなさいましたの」
「あのようなこと、とは」
「パーティーでのことですわ! なぜ、わたくしに上着を!」
「汚れていた」
「それは見ればわかりますわ! そうではなく!」
ナーナリアは、苛立ちで声を荒げた。
「なぜ、わたくしを庇うような真似を?」
「…………」
カイは、答えなかった。
ただ、その青い瞳が、ゆっくりとナーナリアに向けられる。
「わたくし、あの場でリリア様の『罠』をどう暴いてやろうかと、作戦を練っていたところでしたのに」
「作戦?」
「そうですわ! わたくしが『まあ、リリア様。手が滑るなんて、ドジっ子ですこと!』と、逆に褒め殺しにしてやろうと」
「……」
「それを、貴方が台無しにしましたのよ! あんな風に上着をかけて、わたくしを連れ去って!」
「(連れ去る……)」
カイの眉が、ほんのわずかに動く。
「まるで、わたくしが貴方に守られる、か弱い令嬢みたいではありませんか!」
「……そうは見えなかった」
「なんですって!?」
「((氷の騎士様、ナーナリア様を引きずってない!?))……と、聞こえた」
「(うぐっ……!)」
ナーナリアは、言葉に詰まった。
確かに、あの場にいた令嬢たちは、ロマンチック半分、ドン引き半分だった。
「と、とにかく! あの行動は、貴方の『職務』の範囲を超えていますわ!」
「……」
「わたくし、貴方のこと『犬代わり』と申しましたのよ? それなのに、なぜ」
「……職務だ」
また、それだ。
ナーナリアは、ぐっと拳を握りしめた。
「それしか、貴方は言えませんの!?」
「事実だ」
「護衛が、主人に上着をかけるまでが、職務ですの!?」
「グランツ侯爵令嬢が、王宮騎士団の護衛対象が」
「もういいですわ!」
ナーナリアは、話を遮った。
「(この氷人形と話していると、らちが明きませんわ!)」
彼女は、ふと、リリアの言葉を思い出した。
(『お守りがお上手』……リリア様は、わたくしと貴方が、そういう関係だと誤解なさりたいのね)
(そして、貴方もそれを、あの場で否定しなかった)
「……カイ様」
「なんだ」
「貴方、わたくしを庇ったのは……わたくしが、あの場で不利になると思ったから?」
「…………」
カイは、答えず、再び窓の外に視線を移した。
馬車が、石畳の上を走る音だけが響く。
「……そう」
ナーナリアは、それ以上、何も聞かなかった。
(職務だ、か)
(結局、この人も、国王陛下に言われて、仕方なくわたくしと一緒にいるだけ)
(わたくしが、『規格外』だから。問題を起こさないように、見張っているだけ)
そう思うと、急に、胸のあたりがチクリと冷たくなった。
それは、熱い紅茶をかけられた時とは、まったく違う種類の痛みだった。
「(……何を、期待しているのですか、わたくしは)」
ナーナリアは、肩の上着を、強く握りしめた。
「…………」
カイは、窓の外を眺めながら、内心で、別のことを考えていた。
(仕事だから、ではない)
(なぜ、あの時、体が動いたのか)
(あの女(リリア)の、計算高い視線。それに気づかず、紅茶を差し出されようとしていた、この女)
(……ただ、目障りだった)
(あの女が、リリアの思惑通りに、貶められるのが)
(……なぜ?)
(『犬代わり』。確かに、そう言われた)
(だのに、なぜ、腹が立たない)
(……いや)
カイは、馬車に映る自分の顔を見た。
そこには、いつも通りの無表情があるだけだ。
(……面倒な職務だ。それだけだ)
やがて、馬車はグランツ侯爵邸に到着した。
「……カイ様」
ナーナリアは、馬車を降りる前に、カイの上着を脱ぐと、彼に突き返した。
「これ。ありがとうございました」
「……」
カイは、それを受け取らず、上着についた大きな茶色いシミを、無言で指差した。
「洗濯して、お返ししますわ」
「不要だ。廃棄する」
「なっ……! 高価な騎士団の上着ですのに!」
「シミがついたものは、規則違反だ」
カイは、そう言い残すと、ナーナ…リアより先に、さっさと馬車を降りてしまった。
「(なんなのですか、あの人は……!)」
ナーナリアは、残された上着を抱え、一人、馬車の中で唇を噛んだ。
(絶対に! 完璧にシミを落として、アイツの鼻を明かしてやりますわ!)
(……あれ? わたくし、今、この氷人形相手に、ムキになって……?)
ナーナリアは、自分の思考の矛盾に気づき、さらに混乱するのだった。
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