第9話

「……ふう。今日の『イチゴとピスタチオのタルト』も、なかなかの傑作でしたわね」


「…………」


「あら、騎士様? 口の端に、まだピスタチオのクリームがついていますわよ」


「……!」


ナーナリアが指摘すると、カイは、氷の仮面をピクリと震わせ、慌てたように口元を手の甲で拭った。


「(ふふっ、本当に甘いものに弱いのですね、この人)」


ここ数日。

ナーナリアの「買い食いツアー」は、カイの「弱点(激甘パフェ)」発覚により、新たな局面を迎えていた。


「まったく。わたくしの監視役が、クリームごときに動揺してどうしますの」


「……動揺など、していない」


「あら、そうですの? では、次はあそこの『焼きたてカスタードパイ』に参りましょうか」


「……(ピクッ)」


カイの眉が、またしても、ほんのわずかに動いたのを、ナーナリアは見逃さなかった。


(わかりやすすぎますわ!)


「行きましょう、カイ様! 護衛(という名のお目付役)をサボられては困りますもの!」


ナーナリアが、わざとカイの袖を引く(もちろんカイは、ビクッと体をこわばらせる)。


二人の間に、奇妙な「甘味同盟」のような空気が流れ始めた、その時。


「(……むむむ!)」


通りの向かい側。

大きな荷馬車の陰から、二つの鋭い視線が注がれていた。


「くっ……! なんなのだ、あの女は!」


エドワード王子が、苛立たしげに物陰の壁を叩く。


「私と婚約破棄したのだぞ! なぜ、あんなに……あんなに楽しそうにしている!」


王子の目には、カイの袖を引き、満面の笑みで(実際は意地悪く笑っているだけだが)タルト屋を指差すナーナリアの姿が映っていた。


「しかも、相手はあの氷の騎士、カイ・ランバートだと!?」


王子は、歯噛みした。

自分が振った(と彼は思っている)女が、自分以外の男と親しげにしている。

しかも、その相手が、王宮でも一目置かれる(そしてエドワードが少し苦手意識を持つ)カイである。


それが、許せなかった。


(そうだ、あの女は、私に捨てられて、屋敷で泣き暮らしているべきなのだ!)


(それなのに、なぜ! 毎日、毎日! 街に出て、甘いものなんぞ食べているのだ!)


「王子……」


王子の背後から、か細く、しかし芯のある声がかかる。


「もう、お帰りになりませんか? わたくし……王子が、そんなに苦しまれるお姿、見ていられません……」


ヒロインのリリアが、潤んだ瞳で王子を見上げていた。


「苦しんでなどいない!」


王子は、リリアに振り向きもせず、ナーナリアたちを睨み続ける。


「私は、怒っているのだ! あの女の、反省の色なき、ふてぶてしい態度に!」


「(……また、それですの)」


リリアは、心の中で深くため息をついた。


(この王子、婚約破棄してから、毎日毎日『ナーナリアが楽しそうで許せん』と、こうしてこっそり後をつけることしかやることがないのかしら)


(わたくしと、イチャイチャするお時間はどこへ?)


「リリア! 見ろ!」


「はい?」


「あのナーナリアめ。カイ・ランバートに、何か食べさせようとしているぞ!」


ナーナリアが、試食のクッキーをカイの口元に運ぼうとし、カイが石のように固まっているのが見えた。


「き、貴様らああ! 人前で、な、何を……!」


王子が、思わず物陰から飛び出しそうになる。


「王子!」


リリアが、慌てて王子の口を手で塞いだ。


「しっ! 見つかってしまいますわ!」


「(んぐぐ!)」


王子は、リリアの手を振り払い、ぜえぜえと息をついた。


「はっ……そうだ、危ないところだった」


「(……本当に、手のかかる王子ですこと)」


「しかしリリア、見たか? あのカイの、動揺した顔を」


「(いえ、見ておりませんでしたわ……)」


「ふん。あの氷の騎士も、ナーナリアの毒牙にかかったか……いや、待てよ?」


エドワード王子は、何かに気づいたように、顎に手を当てた。


「あのナーナリアが、あんなに楽しそうなのは……まさか、カイと……?」


王子の顔から、サッと血の気が引く。


(まさか、あの女! 私と別れた腹いせに、すぐに新しい男を!? しかも、よりによってあのカイを!?)


「王子? どうかなさいました?」


リリアが、不思議そうに王子の顔を覗き込む。


「リリア!」


王子は、リリアの肩をガシッと掴んだ。


「わ、私は、あの女の悪事を暴かねばならん!」


「……はい?」


「そうだ! きっとあの女は、あの朴念仁のカイ・ランバートを騙しているに違いない!」


(朴念仁……)


「私だけが、あの女の本性(悪役令嬢)を知っている! 私が、あの氷の騎士の目を覚めさせてやらねば!」


「(……はあ? 何を言っているのですの、この王子は……?)」


リリアは、本気で、目の前の男の頭のデキを疑い始めた。


(もう、どうでもいいですわ。それより……)


「王子」


リリアは、イライラを完璧に隠し、甘い声を出した。


「それより、わたくし、あちらの新しいブティックが見たいのですが」


「……ああ? ブティック?」


王子は、ナーナリアたちが角を曲がるのを、必死で目で追っている。


「今、それどころでは……」


王子は、そこで初めて、リリアの存在を(本当に)思い出したかのように、彼女の顔をまじまじと見た。


「ああ、君もいたのか」


「…………」


シン……。


王都の喧騒が、一瞬、遠のいた。


リリアの、可憐な笑顔が、完璧な角度で、固まった。


「……え?」


「いや、だから、今はナーナリアの監視が最優先でだな……」


「(……この、ポンコツがああああああ!)」


リリアの心の中で、淑女にあるまじき絶叫が響き渡る。


次の瞬間。

リリアの美しい瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「うぅ……ひっ……ひどいですわ……王子……!」


「え!? な、なんだ、リリア!? なぜ急に泣くのだ!」


王子が、狼狽える。


「わたくしは……! 王子のためを思って、こんな埃っぽい裏路地まで、お供しているというのに……!」


「う、うむ」


「『いたのか』だなんて……! まるで、わたくしが、空気みたいではございませんか……!」


「あ、いや、すまん! 悪かった! 泣くなリリア! 人が見る!」


「(……あの二人、何をやっているのかしら)」


ちょうどその時、角を曲がったはずのナーナリアが、ハンカチを落とした(とカイに指摘され)、戻ってきたところだった。


「……あら。あそこで盛大な痴話喧伔が始まっておりますわ」


「……(コクリ)」


カイも、無表情で二人を見ている。


ナーナリアは、泣きじゃくるリリアと、それをオロオロとなだめるエドワード王子の姿を、はっきりと認識した。


「(うわあ……またあの二人ですわ。本当に、暇ですのね)」


「カイ様」


「なんだ」


「あんな下品なもの、見てはいけませんわ。目が腐ります。行きましょう」


「……(コクリ)」


ナーナリアは、王子たちに背を向け、今度こそ角を曲がった。


「待て! ナーナリア!」


ナーナリアの背中を見つけ、王子が慌てて追いかけようとする。


しかし。


「……どこへ、行かれるのですか?」


ガシッ、と。

リリアが、王子のマントの裾を、凄まじい力で掴んでいた。

その顔は、涙で濡れているが、瞳の奥は笑っていない。


「い、いや、リリア……あのだな……」


「(……怖っ!)」


王子は、リリアの(初めて見る)形相に、一瞬だけ恐怖を覚えた。


「わたくしとの、お約束は?」


「(……約束? ……ああ! ブティックか!)」


「わ、わかっている! 行こう! ブティックへ! 今すぐに!」


「……ふふ。はい、王子!」


リリアは、一瞬でいつもの可憐な笑顔に戻った。


エドワード王子は、リリアに腕を引かれ、ブティックへと連行されていく。

しかし、その目は、まだナーナリアが消えた角の先を、諦めきれずに睨みつけていた。


(ナーナリアめ……! 次こそは、貴様の化けの皮を剥いでやる……!)


こうして、元婚約者による、非常に不毛で迷惑なストーキング(本人は『正義の尾行調査』のつもり)が、開始されたのだった。

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