第10話
「(ふふ……ふふふふ……)」
王都の青空市場。
ナーナリアは、ご機嫌を隠す様子もなく、様々な屋台を冷やかしていた。
「お嬢様。本日は、特にご機嫌麗しいようで」
「当たり前ですわ、アマンダ! あちらを見てごらんなさい!」
ナーナリアが指差したのは、市場の広場でも一際長い行列ができている、クレープ屋台だった。
「わあ、本日限定『特濃カスタードと焦がしキャラメルのクレープ』ですって!」
「(また甘いものでございますか……)」
アマンダが、隣の「動く壁」に同情的な視線を送る。
「……」
カイ・ランバートは、今日も今日とて、ナーナリアの三歩後ろに無表情で佇んでいた。
しかし、その視線は、クレープ屋台の看板(「特濃」の文字)に、心なしか固定されているように見えた。
「(かかりましたわね!)」
ナーナリアは、勝利を確信した。
「さあ、カイ様! 護衛のお時間ですわ! あの行列に並びますわよ!」
「……(コクリ)」
カイは、無言で頷き、ナーナリアが並ぶと、その後ろにピタリと続いた。
「(並ぶのは素直ですのね。きっと食べたいのでしょう)」
ナーナリアは、行列が進む間、わざと大きな声でカイに話しかけた。
「それにしても、焦がしキャラメルですって! なんて罪深い響きでしょう!」
「……」
「カスタードも『特濃』。わたくし、普通のカスタードでは満足できない体になってしまいましたわ!」
「……(ピクッ)」
カイの喉が、わずかに動いた気がした。
「(我慢なさって。ふふふ)」
やがて、二人の順番が来る。
「お嬢さん! 何にするかい!」
「わたくし、『特濃カスタード』を一つ」
「あいよ!」
「それから……もう一つ、『特濃カスタード』を」
「え?」
カイが、わずかに反応する。
「ありがとうございます!」
ナーナリアは、熱々のクレープを二つ受け取った。
甘く、香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。
「さて」
ナーナリアは、一つをアマンダに渡すフリをした。
「アマンダ、どうぞ」
「え!? いえ、お嬢様、わたくしは」
「冗談ですわ。これは、貴方のですもの」
ナーナリアは、くるりとカイに向き直り、もう一つのクレープを、彼の胸元に突きつけた。
「……は?」
カイの、氷の仮面に、初めて明確な「困惑」が浮かんだ。
「ですから、貴方の分ですわ。わたくし、二つも食べられませんし」
「……不要だ」
カイは、一歩後ずさった。
「あら、失礼ですわね。わたくしが、わざわざ買って差し上げたというのに」
「職務中だ」
「職務に、食事はつきものですわ! 貴方、監視中に倒れたりしたら、わたくしの寝覚めが悪いです!」
「倒れん」
「いいえ! 倒れます!」
ナーナリアは、ぐいぐいとクレープを押し付けた。
「(おい、見ろよ……氷の騎士様が、女の子にクレープを……)」
「(え、どういう状況? 脅されてるの?)」
周囲の野次馬が、遠巻きに(しかし興味津々に)こちらを見ている。
カイのこめかみが、ピクリと引きつった。
「……受け取れん」
「なぜですの! 貴方、本当は食べたいのでしょう!」
「……(ギクッ!)」
「ほら! 図星ですわ! あのパフェ屋をガン見していた貴方が、このカスタードを嫌うわけがありません!」
「(……!)」
カイの無表情が、ついに崩れかけた。
(主に、羞恥で)
「わたくしが、こんな往来で、クレープを持ったまま立ち尽くす姿を、晒し者にしろと?」
ナーナリアが、わざと困ったように眉を下げる。
「……(くっ)」
カイは、観念したように、ナーナリアの手からクレープを(ひったくるように)受け取った。
「(……持ちましたわ!)」
ナーナリアは、内心でガッツポーズをした。
カイは、手の中の、温かく甘い香りを放つ物体と、ナーナリアの(してやったり、という)顔を、交互に睨みつけている。
「……どうしろと」
「食べるのですわ。まさか、わたくしに食べさせてほしいと?」
「(……!)」
カイは、周囲の視線から逃れるように、クレープに顔を近づけた。
「ほら、騎士様」
ナーナリアは、自分のクレープを頬張りながら、カイの顔を覗き込んだ。
「口が開いてますわよ」
「…………」
カイは、ナーナリアを強く、強く睨みつけた後。
意を決したように、クレープの先に、小さくかじりついた。
「(……もぐ)」
(……!)
熱いカスタードが、口の中に広がる。
焦がしキャラメルの、ほろ苦い甘さ。
「(……うまい)」
カイの、氷の瞳が、ほんの少し、見開かれた。
「どうですの? 美味しいでしょう?」
「……(もぐもぐ)」
カイは、答えなかった。
ただ、二口目、三口目と、無表情のまま、しかし確実に、クレープを食べ進めていく。
「(あ、夢中になっておりますわ)」
「お嬢様……カイ様が、なんだか可哀想になってきましたわ」
「いいのです、アマンダ。あれは職務(わたくしを楽しませる)の一環ですもの」
「(……もぐもぐ)」
氷の騎士が、王都の広場で、無言でクレープを頬張る。
その、あまりにもシュールな光景。
ナーナリアは、自分のクレープの味も忘れるほど、その光景を堪能するのだった。
(ああ、自由って、本当に素晴らしいですわ!)
カイ・ランバートは、この日。
「甘いものは、人前で食べてはならない(特にこの女の前では)」と、心に(しかし少し遅すぎた)誓いを立てた。
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