第5話

「はあ……! 満足ですわ!」


グランツ侯爵邸の自室。

ナーナリアは、ベッドに(淑女にあるまじき姿で)大の字になっていた。


「お嬢様。はしたのうございます。それと、服にジェラートのシミが」


「いいのです、アマンダ! 洗濯すれば落ちますわ!」


「そういう問題では……」


侍女の小言も、今のナーナリアには届かない。


「クレープは衛兵のせいで逃しましたが、あの裏路地の『濃厚ミルクジェラート』は絶品でしたわ!」


「(ケルベロス様が店主を威嚇して、半額にさせてしまったことには触れないでおきましょう)」


「ああ、自由って素晴らしい! 明日はどこへ行こうかしら! 鍛冶屋街の串焼きも捨てがたいですわ!」


「お嬢様、そろそろ旦那様に『ケルベロス様禁止令』が出されますわよ」


「それだけは阻止しなくては!」


ナーナリアが、ガバッと起き上がった、その時。


コンコン、と控えめなノック。


「失礼いたします。お嬢様」


老執事のセバスチャンが、固い表情で入室してきた。


「どうしたのセバスチャン。わたくし、お腹が空きましたわ。おやつの時間ですわよ」


「……お嬢様。王宮より、使いが参りました」


「王宮?」


ナーナリアは、途端に不機嫌な顔になった。


「昨日、あんなにスッキリと縁を切ったはずですのに。今更なんの御用ですの」


「それが……これにございます」


セバスチャンが差し出したのは、国王陛下の紋章が入った、紛れもない「召喚状」だった。


「……はあ。面倒ですわ」


---


「「「なんだと!!」」」


談話室に、父と兄の怒声が響き渡った。


「国王陛下から、ナーナリアに召喚状だと!?」


父、グランツ侯爵が、読んでいた新聞(経済面)を素手で握りつぶす。


「許さん……! きっとそうだ! あの軟弱王子が、ナーナリアの良さに今更気づいて『婚約破棄を撤回したい』などと泣きついてきたに違いない!」


兄アレクシスが、壁にかけてあった愛剣(実戦用)を引き抜いた。


「お兄様、落ち着いて。まだそうと決まったわけでは」


「いや! ナーナリア! お前は優しすぎる!」


「そうですわ。あなた、優しさにつけこまれて『やっぱり戻ってきてくれ』とか言われたら、どうするつもり?」


母まで、実験用の怪しいフラスコを振りながら心配し始めた。


「(わたくし、そんなに優しくありませんわ……)」


「よし! 父さんも行こう!」


「お父様まで!?」


「国王陛下に、直談判してやる! 『うちの娘は、もうあんたのところの嫁にはやらん!』と!」


「兄ちゃんは、王子の訓練所(という名の地獄)に連行する!」


「ああ、もう! 騒がしいですわ!」


ナーナリアは、両手を腰に当てて叫んだ。


「わたくし一人で行ってまいります! 多分、昨日のパーティーの事後処理か何かでしょう!」


「しかし!」


「お父様たちが来たら、話が『戦争』になりますわ! いいですね! お留守番!」


ナーナリアは、家族(という名の戦闘狂たち)を無理やり言いくるめ、渋々、王宮へと向かう馬車に乗り込んだのだった。


---


王宮、謁見の間。


「ナーナリア・フォン・グランツ。参上いたしました」


ナーナリアが、完璧なカーテシーをとる。

玉座には、この国の王、アデルベルトが座っていた。


「うむ。面を上げよ、ナーナリア嬢」


国王は、疲れたような顔でため息をついた。


「……まずは、すまなかったな。息子のエドワードが、大勢の前でそなたに恥をかかせた」


「陛下。お言葉ですが、わたくし、恥などかいてはおりません」


「……ほう?」


「事実を淡々と受け止めたまで。むしろ、自由の身になれて清々しておりますわ」


「(清々……か)」


国王は、手元の書類に目を落とした。


「その『清々した』そなたが、今朝方、王都の広場で何をしたか、報告が上がっているのだが」


「(……!)」


ナーナリアの背中に、嫌な汗が流れた。


「衛兵からの報告によると……『冥府の番犬を連れた令嬢、市街地で暴れる』『衛兵部隊、遠吠え一発で壊滅』……」


「誤解ですわ、陛下!」


「ほう、誤解とな」


「あれはケルベロス! わたくしの愛犬ですの! 少し体が大きいだけで、とても臆病な(嘘)、可愛い子ですのよ!」


「……そうか。その『愛犬』が、衛兵たちにPTSDを植え付けた、と」


「うっ……」


国王は、再び深いため息をついた。


「ナーナリア嬢。そなたの性格が『規格外』であることは、エドワードとの婚約時から承知していた」


「(規格外、失礼ですわね)」


「だが、王子という『枷』が外れた今、そなたがどこへ飛んでいくか、正直、私には予測がつかん」


「わたくし、買い食いをするくらいですわ」


「その買い食いで、衛兵が壊滅しているのだ」


国王は、こめかみを押さえた。


「よって、決めた。そなたには『監視』をつける」


「監視ですって!?」


ナーナリアは、思わず声を荒げた。


「わたくしは自由ですのよ! なぜ、婚約破棄された上に、まだ監視されねばならないのです!」


「『護衛』と言い換えてもよい。そなたは侯爵令嬢。元・王子の婚約者だ。何をされるか分からんからな」


「結構ですわ! わたくしにはケルベロスが」


「そのケルベロスごと、監視対象だ」


「なんですって!」


ナーナリアが抗議しようとした、その時。


「……入れ」


国王が、低い声で命じた。


ギィ……と、謁見の間の扉が開く。


入ってきたのは、一人の騎士だった。


黒い、装飾の一切ない騎士服。

銀灰色の髪を、無造作に後ろで束ねている。

そして、その顔には、一切の感情が浮かんでいなかった。


(……人形? それとも、蝋細工ですの?)


ナーナリアが、そう思うほどの無表情。

ただ、その青い瞳だけが、氷のように冷たい光を放っていた。


「カイ・ランバートだ」


国王が紹介する。


「王宮騎士団所属。辺境伯家の次男だが、実力は随一。『氷の騎士』と呼ばれている」


(氷の騎士……なるほど、ですわ)


カイと呼ばれた騎士は、ナーナリアを一瞥すると、国王に向かって無言で一礼した。


「彼に、そなたの『護衛』……もとい、『監視』を命じる」


「……」


カイは、再びナーナリアを見た。

その視線は、まるで「道端の石」でも見るかのように、何の感情もこもっていない。


「(……最悪ですわ)」


ナーナリアは、心の中で、本日一番の大きなため息をついた。


自由になったはずの悪役令嬢に、今度は「氷の監視役」という、新たな枷がはめられようとしていた。

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