第4話 約束


『今日はありがとう。それじゃあ、明後日の夜九時。灯台前のフェンスで』



 夕暮れと夜の境目が近くなると、屋上は随分と涼しくなった。お互い挨拶もそこそこに家路へ急ぐと、家の敷地をくぐったあたりでピロン、と電子音が鳴る。


 そういえば、何年か前に連絡先を交換して以降、ちゃんとしたやり取りを交わすのは初めてかもしれない。普段とは違う文面の淡泊さに若干の新鮮さを感じた。



「ただいまー」



 学生鞄をどさりと下ろすと、鞄の一部が教科書の厚みで変形していた。いや、教科書よりも参考書が原因かもしれない。


 ローファーを空きスペースに揃えながら、ばーちゃんには何て話そう。どうやって家を出よう。そんなことばかりが脳内を巡っていた。



「ああ、おかえりよ。今日は遅かったねえ。お勉強かい? 偉いねえ」



 リビングからゆっくりとした動きのばーちゃんに出迎えられると、その後ろで何やらバタバタしている母さんが不機嫌そうに顔をしかめた。


 夕飯の準備でもしてるのかと思いきや、その腕には服やら書類やらが抱えられている。何処か出かけるのだろうか。



「お母さん! そんなこと言って明後日の出張で雨が降ったら、どうするつもりなの」

「雨くらいええでないの」

「もう! ダメに決まってるでしょ!」



 出張という言葉に体がピクリと反応する。顔に出ないよう「何? 明後日いないの?」と聞くが、流石は親と言うべきか。何かの勘が働いたようだ。



「二日間だけね。……ちょっと。母さんがいないからって、友達と夜遊ぶなんてダメよ。おばあちゃんと一緒にいてほしいんだから」

「あたしゃ一人だって平気よお。お友達と遊んでおいでな」

「お母さんは甘やかさない!」



 元より灯台に行かないなら、ばーちゃんを一人にさせるつもりはない。


 まあ、仮に友達の家で遊べたとしてもだ。今はそれよりも大事なことがあるので、優先順位としてはかなり低い。



「いやいや、行かないって。皆そんな急には予定空けられないよ」



 自室へ向かう階段を上りながらそう言うと、疑い半分諦め半分といった様子の母さんが視界に入った。


 母さんの出張は幸運であるが、そもそもばーちゃんを誘わないことには話にならない。というか、早寝のばーちゃんを連れ出せるのだろうか。


 うんうんと唸りながら部屋着に着替えていると、自室の扉が控えめに叩かれた。



「はーい」

「ばーちゃんだけど、入ってもええかねえ」

「どしたん? 入って入って」



 制服をウォールハンガーに掛けながら応答すると、穏やかな口調のばーちゃんが入ってきた。


 六十も後半に差し掛かる中、舌先現象もなければ足腰も頑健。なんなら、昔より元気に見える。



「明後日の夜、お友達と遊ぶんなら遊んでき。ばーちゃん黙っててあげっからね」



 うふふ、と楽しそうに笑う姿に、全く悪い人だなあと苦笑する。孫に甘い部分を抜きにしても、母さんが時々手を焼く理由が何となく分かった。

 そして、誘うなら今しかないことも。



「ばーちゃん。明後日の夜、俺と一緒散歩しない?」

「あれま、先月のお昼も散歩してくれたじゃあないの。どしたと、何か悩み事かね」

「実は一緒に灯台まで行きたいんだ。塔守が──、ああ、アキラのことね。ばーちゃんに昔話と同じ光景を見せてあげたいって」



 その言葉にばーちゃんの肩が微かに揺れた。



「元は塔守の祖父さんの案なんだけど、足が悪いから来られないみたいでさ。だから塔守が灯台に明かりを点けるんだけど、上手くいくか分かんねえって自信なさそうなんだ」

「そう……、あの人憶えててくれたんだねえ……」



 目を伏せながら喋る姿に「え?」と聞き返すと、何でもないと言わんばかりに首を横に振った。



「明後日はお昼寝せないかんねえ」



 その瞳はいつもより熱を持っていて、嬉しそうに細めた目からは今にも涙が零れてしまいそうだった。小さいばーちゃんがもっと小さく見える。


 何だか目の奥に力が入って仕様がなかった。



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