第2話 南海ナナセ


 昔、ばーちゃんからひとつの昔話を聞いた。その頃はまだばーちゃんも若くて、今より目尻の皺が少なかったように思う。


 それはこの町に伝わる古い昔話のようなもので、大半の人間が一度は聞いたはずだ。ただ、あくまでも昔話ということを忘れてはならない。


 不確かな存在を信じるというのは、周りからも揶揄からかわれやすい。実際、幼馴染が一人そうなっているのだから。



 そういえば、此処最近は忙しくて話していなかったな。そう思い出したように彼の方へ視線を向けると、でっぷりとした腹が突然視界内に入り込んできた。



「あ」



 やべ。そう思ったのも束の間、バコン、という筒で叩いたような音が教室内に響き渡る。

 顔をあげると数学教師の眉間には青筋が立ち、周りからはくすくすと小さな笑いが漏れ出ていた。



南海みなみ。窓から何か面白いもんでも見えるか?」

「え? あ、いや、えっと、灯台くらいしか……」

「……お前、此処からじゃ灯台は見えんだろ」

「あ……、そうっすね……。じゃなかった。えと……、授業聞いてなくてすんませんでした」



 素直に頭を下げたことが功を奏したのか、教師は「次からは気をつけるように」そう言い残して、再び授業へと戻っていった。


 たしかに此処から灯台が見えることはない。というより、多分この町の何処からでもあの灯台が見えることはないのだ。まあ、超高層ビルでも建てば話は別だろうが、そんなものが建つほど此処は栄えていない。



「おい、ナナセ。なんだよ灯台って。寝ぼけすぎんだろ」

「うっせ」



 小声で話しかけてきた友人を軽くいなすと、とりあえず正面を向いて授業を受け直す。フリをした。頭の中では件の灯台がぐるぐると回り続けている。


 そもそも何故今になって思い出したのかと言うと、先日テレビを見ていたばーちゃんが呟くように話し始めたからだ。会話の向こうでは、流星群が映っていた。



「そういえばさー、この前近所に住むオッサンが飲みの帰りに灯台行ったんだってよ。この辺からなら分かるけどよ、駅から歩いてだぜ? やばくね?」



 無事に授業も終わり帰り支度を整えていると、先程揶揄ってきた奴がそんなことを言い始めた。椅子をガガガッと引き摺り、話しやすいよう距離を詰める。


 どうやら、灯台という単語にひとつの小話を思い出したらしい。数人しか残っていない教室に、彼の声はよく通った。



「灯台? 何しに?」

「クジラ見ようとしたらしい」

「……え、見えんの?」

「いくらクジラの海域が近いからって、流石に夜は見えねえだろ」

 


 昔話の舞台である星降ほしふり灯台はもう百年近く稼働しておらず、時折メンテナンスの人間が出入りしているだけだと聞いた。


 海抜ほぼ零メートルの岬ギリギリに建っている為、激しい波や風に耐えられるよう、とにかく低くて小さいのが特徴だ。恐らく戸建て程の高さしかなかったと記憶している。


 また、部外者が立ち入れないようフェンスが設けられており、上部にも有刺鉄線と返しが張られてある。



「そもそも、最初は隣町の灯台に行くつもりだったらしいし。酔っ払いってすげーわ」

 


 隣町にも船見灯台という比較的新しい灯台がある。だが、隣という言葉に騙されてはいけない。少なくとも、ちょっとお散歩などと呑気に言える可愛い距離ではないからだ。


 きっと星降灯台に着いたところで酔いが醒めたんだろう。そう思ったところで。



「──ナナセくん」



 と、横から声をかけられた。見れば、幼馴染の塔守とうもりアキラが居心地悪そうに立っている。



「あ、塔守? どうかしたん?」

「えっと、話してる時にごめん。先生が職員室に来てくれって」

「まじか……」



 面倒臭さに溜息をきながら立ち上がると、先程まで酔っ払いの話をしていた友人は「じゃ、また明日」と他人事のように手を振った。


 全く。授業中にぼんやりしてもロクなことにならないな。ぶつぶつと愚痴るように階段を下りていくと、踊り場あたりで「ごめん、先生が呼んでるって嘘なんだ」という言葉が背中にかかった。



「へ? え、嘘なん?」



 塔守が後ろにいたことすら気付かす、勢いよく振り返った体に若干の混乱と苛立ちの入り混じった口調が混ざる。



「ごめん。実は星降灯台のことで、ちょっと話したかったんだ」



 ああ、なるほど。と、一瞬で頭の熱が落ち着き始める。人付き合いは至って普通だが、未だに昔話を信じる塔守を揶揄う奴は多い。


 そのことを分かっている彼は、こちらが後で嫌な思いをしないよう気を使ってくれたのだ。



「時間あるなら、人のいない屋上に行かない?」



 とても魅力的な誘いに聞こえるが、相手は男なのでドキリともしない。時折階下へ向かう生徒と目が合っては、お互い無言で目を逸らしていく。



「分かった。でも、もう嘘とかくなよ。前にも言ったような気するけど、俺はそういうの気にしないから」



 半ば睨むような目で見返すと、それまで表情の硬かった塔守は少しだけ可笑しそうに笑った。



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