第4話 黄金の茶室、孤独の闇

その部屋には、影がなかった。

天井も、壁も、床も、そして障子の桟(さん)に至るまで、すべてが純金で覆われている。

黄金の茶室。

かつて泥水をすすり、草履を温めていた男が到達した、権力の極地である。

「……眩しいな」

豊臣秀吉は、茶室の中央で独りごちた。

煌々(こうこう)と輝く金色の光が、網膜を焼き、脳の奥を痺れさせる。

本来、茶室とは薄暗い静寂の中に宇宙を見るものだ。だが、秀吉はその闇が怖かった。闇があれば、そこに過去の亡霊――信長や、戦で死なせた者たちが潜んでいるような気がしてならない。だから彼は、世界を黄金の光で塗り潰したのだ。

「宗易(そうえき/千利休)、茶を頼む」

秀吉の正面に座るのは、黒衣を纏った茶頭、千利休。

この黄金の空間において、ただ一点、彼だけが漆黒の闇のように静まり返っている。

利休は一言も発さず、ただ一礼し、茶を点て始めた。

しゃか、しゃか、しゃか……。

茶筅(ちゃせん)が茶碗を擦る音が、密室に反響する。

秀吉はその手元を見つめながら、胃のあたりに鉛のような重さを感じていた。

関白になり、天下を統一した。大名は皆、秀吉の前では平伏し、震えている。

「殿のご威光は太陽の如し」「この茶室こそ神の御業」。誰もが口を揃えてそう褒め称える。

だが、秀吉は知っていた。彼らの目は笑っていない。彼らが見ているのは「秀吉」ではなく、秀吉の背後にある「権力」と「暴力」だ。

(誰も、本当のことを言わん)

おべっか。阿諛追従(あゆついしょう)。媚びへつらい。

甘い菓子ばかり食わされているようで、吐き気がする。

だが、この利休だけは違う。

「……宗易よ。この茶室、どう思う」

秀吉は、堪えきれずに問いかけた。

利休の手が止まる。その静かな瞳が、ゆっくりと秀吉を射抜いた。

「……殿」

「なんじゃ」

「花は、野にあるように。茶は、喉の渇きを癒すがごとく。……過ぎたる輝きは、時として人の目を曇らせまする」

心臓を冷たい針で刺されたような感覚。

「派手すぎて品がない」と、遠回しに言っているのだ。

秀吉の頬が引きつった。激昂してもおかしくない言葉だ。他の家臣なら即座に手討ちにしている。

だが、秀吉は怒れなかった。

図星だったからだ。

金で飾り立てれば立てるほど、自身の出自の卑しさ、心の空虚さが際立つことを、この男だけは見透かしている。

「ふ、ふん……。お主は相変わらず、可愛げのないことを言う」

秀吉は茶碗を受け取り、一気に飲み干した。

苦い。

極上の抹茶のはずなのに、口の中に広がるのは泥のような苦味だ。

(わしは、何が欲しかったのだ?)

ふと、金色の壁に映り込んだ自分の顔を見た。

歪んで映るその顔は、皺だらけで、猿そのものだ。きらびやかな狩衣(かりぎぬ)が、まるで猿回しの猿の衣装のように滑稽に見える。

信長の草履取りだった頃、夢は単純だった。腹いっぱい飯が食いたい。一国一城の主になりたい。

だが、全てを手に入れた今、ここにあるのは「失う恐怖」だけだ。

積み上げた金銀財宝も、築き上げた城も、わしが死ねばどうなる?

家臣たちは掌を返し、この黄金を剥ぎ取りに来るのではないか。

「宗易。……わしは、寂しいぞ」

思わず、弱音が漏れた。

誰にも言えない、天下人の本音。

利休は顔色一つ変えず、淡々と言った。

「孤独こそが、人の真の姿。茶の湯とは、その孤独と向き合うことにございます」

「……説教か」

「いいえ。……ただ、殿は光を求めすぎました。影なくして、光はありませぬ」

利休が去った後、秀吉は一人、黄金の箱の中に残された。

全方向から反射する自分の姿。

何百、何千という「秀吉」が、自分を取り囲んでいる。

だが、そのどれ一つとして、心から笑っているものはいなかった。

豪華絢爛な牢獄。

秀吉は膝を抱え、幼子のように小さくなった。

黄金の輝きは、冷たい。どれだけ金を積み上げても、あの雪の日に懐に入れた草履のような、生きている温もりは、もう二度と手に入らないのだ。

「寒い……」

真夏だというのに、秀吉の体は震えていた。

天下人の吐く息は、黄金の壁に白く曇り、そしてすぐに消えていった。

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天下人のため息 ~秀吉の憂鬱~ Algo Lighter アルゴライター @Algo_Lighter

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