第三話 低いベッドには、白いシーツが掛けてある。
低いベッドには、埃避けだろう白いシーツが掛けてある。
「狭くてごめんね」
「いいえ、十分です」
部屋には他に、ローテーブルと箪笥が二つ。明かりは天井に吊るされている、四角い箱。電柱は見ていない気がするから、多分電灯ではない。
「後でクッションと敷物を持ってくるわ。箪笥に入ってる服は、どれでも着れそうなのを着て頂戴。肌着は、あとでおばあちゃんので悪いんだけれど、新品を下ろしますからね」
梓晴さんはてきぱきと、箪笥を開けて中を見せてくれる。四段の細長い抽斗と、その上に一段を二つに区切った小さい抽斗。
「これなんか、いいんじゃないかしらね」
緑色のワンピースは、足首まで隠してくれそうだ。このあたりでは、ロングワンピースが主流なんだろうか。なんだっけ、足首を見せるのは、娼婦なんだっけ。そういう、やつなのかな。
「あなたの髪の色にも、合っているでしょう」
「髪?」
「ええ。綺麗な緑色じゃない。この辺りではね、青い髪と、緑の髪が尊ばれるのよ。まあ、いいわね、って言われる程度だけれどね」
私の髪? そんな変な色だった記憶はない。ただの、普通の、どこにでもある、黒だったと思う。ちょっと傷んで、茶色だったかもしれないけれど、染めた記憶はない。でも今日の私の記憶は、あてにならない気も、するけれど。
「はい、鏡」
首をひねる私を見かねて、梓晴さんが手鏡を渡してくれた。これも、この部屋にあったものだ。箪笥の上段、小さい抽斗に、収められていた。
「前髪は黒いけれど、後ろ髪は綺麗な緑色じゃない」
「ああ、これ。アクセサリーですよ」
ハーフアップをお団子にして、そこにリングをひっかける。リングにはさらにリングがついている。二つ目のリングの先には、エクステ、付け毛がついている、というものだ。
「あらそうなの?」
「そうですよ」
髪をほどいて、リングごと梓晴さんに渡した。
付いてる髪の毛の質はまあそんなに良くはないけれど、付けているだけなら問題はないと思っている。いつ買ったのかとか、どこで買ったのかとか、どうして買ったのかとか、そういうことはさっぱり分からないけれど。
「あらいいわね、これ。似合っていたし、明日からも付けておくといいんじゃないかしら」
「そうですね」
今日の私を見たひとは、もしかしたらこのアクセサリーで私を私だと判断したかもしれない。それなら、もうちょっと、この街に馴染むまでは、付けていた方がいいかもしれない。
ふんわりと、そんなことを思った。
「ブラシなんかは、こっちのタンスに入っていますからね。それを使って頂戴ね」
「ありがとうございます」
それじゃあ肌着なんかを取ってくるわ、と、梓晴さんは部屋を出て行った。
廊下とこの部屋を区切るのは、襖。なんかちょっと親近感があるから、きっと私の家にもあったのだろう。窓は部屋の向こう側、ベッドのさらに向こう側だ。不透明なガラスがはまっていて、その向こう側にはぼんやりと赤い格子が見える。
あの格子は何なのだろう。
中から外に出ていくのを拒むための物なのか、それとも外から中に入ってくるのを拒むものなのか。聞いてみたいと思うけれど、どうにもその疑問はするりと、どこかへと行ってしまう。
「待たせちゃったかしら?」
ぼんやりと立ったまま、窓の外というか窓を見ていたら、俊宇さんを従えて、梓晴さんが戻ってきた。お帰りなさい、と声をかけて彼女たちを出迎える。
梓晴さんが持ってきてくださったのが、新品だという肌着類で、俊宇さんが持ってきてくれたのが、クッションや敷物であった。ローテーブルをどかして、水色のラグを敷いて。その側に二つばかりクッションを置いたら、お部屋の完成だ。その間に、梓晴さんは肌着や下着を仕舞ってくれていた。
「多分そろそろ堪さんが来る頃合いだと思うから、着替えたら降りてきてね」
「なにか軽く腹に入れなさい。そうしたらきっと、そんな死にそうな顔もしないで済むさ」
「私、そんな顔してますか」
ふたりは大きく頷いた。
そうか。
私は今、死にそうな顔をしているのか。
本人は頭がぼんやりとして、何かを考える、ということがあまりできていないのだけれど。確かにそれは、そういう表情になるかもしれない。
ふたりを見送った後、梓晴さんのおすすめの緑色のワンピースを着る。難しい構造なんて何もなくて、首元の布製のボタンをはずして、被るだけだ。ブラシをお借りして、ほどいてしまったお団子を作り直して、ポニーテールリングを付け直す。体が覚えていてくれたみたいで、するりとそのアクセサリーは私の後頭部に収まった。
全身鏡がないからどうかはわからないけれど、特に問題なく身支度は整った、ように、思う。
ここはお店になっているから、一階は土足。キッチンカウンターの奥にあった階段の下のところで靴を脱いで、室内履きに履き替えるそうだ。今日は私の分の室内履きがないから、私は靴だけ脱いで靴下だ。明日買いに行きましょうね、って、梓晴さんはとても楽しそうだった。
階段を下りて靴を履いて、ふたりに声をかける。
「お待たせしました」
「そうでもないわよ」
「そうだな。まだ飯の準備が出来てないくらいだ」
梓晴さんに手招きをされて、さっきと同じ四人掛けの卓につく。彼女は私が丸椅子に腰かけたのを確認すると、カウンターキッチンの方へといった。
「まあとりあえず、何か温かい物でも飲みなさいな」
梓晴さんが運んできてくれたのは、白いスープ。湯気が出ている。
「豆乳のスープよ。お腹が空いてるなら、この揚げパンをひたして食べればいいわ」
手のひらサイズの、あまり大きくない揚げパンがふたつ。スプーンというよりは、匙といった方が適切そうな、すくうところが広く、長くなっているものもついてきた。
すくって、スープを一口、口に含む。それはふんわりと柔らかで、少し甘くて、あったかくて。
ほう、と、私の口から吐息が漏れる。
「美味しいです」
「そう。そう言って貰えてよかったわ」
梓晴さんは気が付くと、私の隣に座っていた。
「うちは近隣の爺と婆が飯を食う店だからな、女の子に出すような甘い物なんて、それくらいしかないんだよ」
まだちょっとぼんやりしながら、私はその優しくて甘いスープを一口、二口とすする。おふたりに勧められて、揚げパンをひたしても食べた。
ふんわり、と優しい暖かさに包まれる。食べ終わった頃には、さっきからずっと喉に張り付いていた、あの不快感は消えていた。
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