第二話 手を引かれて歩く。

 私の保護を名乗り出てくれた女性、梓晴ヂーチンさんに手を引かれて、私は道を歩く。その歩調はとてもゆっくりで、色々なものに私が足を取られなくて済む。おそらく、彼女から見て、私の足取りはおぼつかないのだろう。


 梓晴さんが着ているのは、鮮やかな青い、足首まであるワンピース。くすんだ金色というか、黄土色といえばいいのか、そんな色で縁取りがされている。襟周りと、服の合わせの部分と、それから腰回りと、裾と。袖にはない。


 見慣れないといえば見慣れないような気がするけれど、見慣れないだけで変だとは思わない。彼女にはよく似合ってる、と、思う。


「私の家は、とても繁盛はしていなけれどね。料理屋をやっていますから、食べさせてはあげられるわ」


 大丈夫よ、と、梓晴さんは繰り返し私にそう言い聞かせる。彼女が自分に言い聞かせるというよりは、本当に、私を安心させたいがための言葉のようであった。


 彼女の家にたどり着くまでに何人かの女性とすれ違った。皆鮮やかな色のワンピースを着ている。赤、黄色、青、緑、黄緑。


「よく来たわね」

「大丈夫よ」

「楽しんでいって」


 みんな、笑顔で私にそう話しかけてくれる。男性陣ともすれ違うが、彼らはす、と視線を私からそらした。無視をする、というのとは違う。


「紹介されていない女性をじろじろと見るのは不躾ですからね。それだけのことよ」

「ああ、それはそうですね」


 私は不思議そうな顔をしたのか、梓晴さんがそう教えてくれた。なるほど、それはとても正しい行動だろう。正しいというか、理解できる、というか。


 つまり私が通り過ぎて、彼らと視線が交わらなくなったら、まじまじと見つめている、ということなのだろう。


 気持ちは分からなくはない。私が気が付かないなら、まあ、別にいいや。


 広場を出て、歩くことしばし。


 地面は舗装されている。綺麗なタイルが敷かれているわけではないけれど、それでもグレーとオレンジのタイルで歩きやすくなっている。所々破損しているけれど、まあ、許容範囲内だろう。完全に陥没とかは、していないし。端とかが、欠けている程度だと思う。ひとが通れば、摩耗もするよね、という範囲。


 通り沿いの家々は、灰色の薄い石を丁寧に積み重ねているようだ。それから大きな窓に、赤い格子。


「さあ、ここが家ですよ。ただいま」


 梓晴さんは、戸にかけられた何かの札をくるりとひっくり返してから、戸を開けて入っていった。木製の引き戸だ。なんかすごく、懐かしい。


 近隣の家々と変わらないような灰色の薄い石が積まれた壁、古びた木製の引き戸。戸の上には庇があって、その両端には提灯が吊るされていた。青い房のついた提灯と、緑の房のついた提灯。


 今はまだ、火は灯っていない。


「おう、おかえり」


 店内にあるのは、キッチンカウンターと二人掛けのテーブル席が二つ、四人掛けのテーブル席がこちらも二つ。どれも、テーブルは丸いし、椅子も丸い。背もたれの無い、丸椅子って奴。


 天井から吊るされている電灯は、いや電灯なんだろうか? 外の庇に吊るされていたのとよく似た提灯。もうちょっと大きいし、ガラス製のように見えるけれど。それがキッチンカウンターの奥に一つと、店内に一つ。


「梓晴、そちらのお嬢さんは?」

「来訪者の方よ。慧琳フイリン広場に強い風が吹いたと思ったら、いらしていたの。それよりお茶をくださいな。喉が渇いて渇いて」

「そうかいそうかい」


 梓晴さんは私によにんがけけのテーブルに着くようにと手ぶりで指示を出して、ご自身は私の左隣に座った。キッチンカウンターの向こうにいる男性が、がっしりとしたいかつい男性が、手早くお茶の準備をするのを、私はぼんやりと眺めた。なんか今日はおかしい。ずっとぼんやりとしている気がする。特に体調は悪くないはずなんだけれど、風邪をひいて、ただぼんやりと天井を眺めている時に似ている。けれど熱は多分ない。


 まるで私と世界の間を、何かが隔てているようにも感じられる。そんなことはないと思うんだけれど。


 小さいお盆に、三つの小さい白い湯飲み。それから茶色い急須。慣れた手つきでお茶を注いで、私と梓晴さんと、それから自分の前に置く。男性は、梓晴さんの左隣、私の斜め向かいの席に座った。右に一つ空いてる椅子があって、そのさらに隣。円卓だから。


 がっしりとした顎に、太い首。短い前髪の下に、一本の角が見えている。黒髪黒目だ。髭は生えていない。


「彼は俊宇ジュンユー、私の夫よ。彼女はチエンというのですって」

「よろしく、お嬢さん」


 俊宇さんはそう言って、湯飲みを持ってお茶を飲んだ。梓晴さんも同じようにお茶を飲む。


「よろしくお願いします」


 まだ、喉はねっとりと張り付いたままだ。喋り辛い。


 淹れていただいたお茶を飲んだら、少し喉が楽になった。少しだけだけれど。


「すごかったのよ。強い風が吹いたと思ったら、茜ちゃんがいてね。あら、茜ちゃんでいいかしら」

「構いません」


 ちゃん付けなんて、いつぶりだろうか。学生の頃に、そう呼んでくる友人はいたような気がする。それはずっと昔のことのような、割と最近のことのような。


「茜ちゃんね、風が強かったから目を閉じていたみたいなんだけれどね、ちゃんと転ばないように、椅子に座れたのよ」


 偉いでしょう、だなんて、梓晴さんは俊宇さんに話しているけれど。そんなことで偉いなんて言われていいのだろうかと、私はこっそり首をかしげる。


「そうか。ちゃんと転ばないようにできたのなら、それは偉い事だなあ」


 俊宇さんは私の飲み干してしまった湯飲みにお代わりのお茶を注ぎながら、梓晴さんに相槌を打っている。


 どうやらふたりの間では、偉い事であったらしい。


「堪さんが、あとで書類を持ってきてくれるとの事ですから」

「そうだな、出来るだけ早い方がいいな」

「そうかしら」


 おふたりが話しているのを聞きながら、私は美味しいお茶を飲んで喉を潤す。なんとか、不快感は消えてきた。


「そりゃそうだろう。先行きは分かった方がいいに決まってる」

「そう言われれば、そうねえ」

「部屋は二階にある娘の部屋を使うといいんじゃないか」

「そうねえ。置いて行った服も、着れるでしょうしね」

「いいんですか」


 いや、良いからその話をしている、というのは分かっているのだけれど。以前娘さんが着ていた服、というのを、勝手に着てもいい物なのだろうか。お部屋はお借りするけれども。


「構いやしませんよ。いつか娘が出来たら着せるとか言っていたけれど、あの子男の子ばかりですもの」

「まあ文句があれば、明日にでも言いに来るだろう」


 娘さんもこの街に住んでいるというから、それならいいのだろうか。多分私の話は、今日明日で彼女の耳に入るだろう、というのが、おふたりの出した結論であるようだし。


「一休みできたのなら、お部屋に行きましょうね。お腹は空いている? それなら、家のひとに何か作って貰いましょうね」


 梓晴さんに導かれて、私はこのお店の二階に上がった。このお店は三階建てで、二階と三階が居住部分。今は二階にある夫婦の寝室一部屋しか使っていないという。残り二部屋あって、そこは以前、お子さんふたりが使っていた、という。


 娘さんと息子さんがいて、ふたりともこの蔡郭に暮らしているけれど、あまり寄り付かないそうだ。


 私は階段を登った奥の部屋を、お借りすることになった。

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