第4話 正しさは、噛み合わない
翌朝。
星骸制御学院の訓練区画は、まだ人の少ない時間帯だった。
無機質な通路を歩きながら、ユウ=アラタは小さく息を吐く。
昨日の衝突が、頭から離れなかった。
ぶつかったのは技術じゃない。
価値観だった。
それが分かっているからこそ、気持ちの切り替えは簡単じゃない。
訓練室の扉が開く。
すでに中には、見慣れた二人の姿があった。
カイラ=ゼオンは、いつも通り背筋を伸ばして立っている。
表情は落ち着いていて、昨日の出来事を引きずっている様子はない。
ミレイ=ノアは、少し緊張した面持ちでモニターの前に立っていた。
指先が、わずかに強張っている。
――同じこと、考えてるわけじゃないよな。
ユウはそう思いながら、二人から少し距離を取る位置に立った。
やがて、足音が近づく。
黒いコートを羽織った男が、相変わらず気の抜けた様子で入ってきた。
レイヴン=クロウ。
紙袋を片手に、眠そうにあくびを噛み殺している。
「おはよう。ちゃんと来てるね」
軽い調子で言いながら、三人を見渡す。
その態度に、ユウは内心で眉をひそめた。
――本当に、こいつが教官か?
信用できない。
一方、カイラは冷静に男を観察していた。
動きに無駄はない。
視線の運び方も、現場慣れしている。
理論的ではない。
だが、実戦を知っている人間だ――そう判断していた。
ミレイは、さらに違う不安を抱えていた。
レイヴンは、ルールを示さない。
評価基準も、判断軸も口にしない。
――何をもって「正しい」とされるのか分からない。
それは、秩序を信じてきたミレイにとって、危険な空白だった。
レイヴンは紙袋を床に置き、軽く手を叩いた。
「じゃあ、次の段階の話をしようか」
三人の視線が集まる。
「今日からやるのは、
モニターに、簡易的な都市模型が映し出される。
防衛対象のコア装置と、複数の侵入ルート。
「目的は単純。都市防衛想定ミッションの完遂」
レイヴンは淡々と続ける。
「条件は二つだけ」
「コア装置を守ること」
「それと――三人全員が行動不能にならないこと」
ユウは、思わず聞き返した。
「……それだけ?」
「うん。それだけ」
レイヴンは、あっさり頷く。
個人成績。
役割評価。
貢献度。
そういった言葉は、一切出てこなかった。
代わりに、こう付け加えられる。
「誰が前に出るか」
「誰が支えるか」
「誰が判断するか」
肩をすくめて、レイヴンは言う。
「その辺は、君たちで決めて」
一瞬、訓練室が静まり返った。
役割分担なし。
指示なし。
評価基準も、説明なし。
ユウは、嫌な予感を覚える。
――昨日のままじゃ、確実に揉める。
カイラは眉をわずかに動かした。
非効率だ。
統率がない。
だが、それが意図的であることも、理解していた。
ミレイは、胸の奥がざわつくのを感じていた。
正解が用意されていない。
頼れるルールもない。
それでも、始まってしまう。
レイヴンは、三人の反応を楽しそうに眺めてから、言った。
「勘違いしないでね」
「これは“仲良し訓練”じゃない」
少しだけ声のトーンが落ちる。
「正式な適合者になったからって」
「一人前になったわけじゃない」
その言葉が、静かに突き刺さった。
「チームを組めば、うまくいく」
「そう思ってるなら――」
レイヴンは、にやりと笑う。
「その幻想、今日で壊れるよ」
誰も、言い返せなかった。
仮想市街地を模したフィールドに、複数の敵性ユニットが出現する。
数は多いが、動きは単純。
想定上は、三人で対処できる規模だった。
だが――
最初に動いたのは、ユウだった。
「来るぞ!」
考えるより先に、身体が前に出る。
敵ユニットが市街地の中央へ侵入しようとしているのが見えた。
――間に合わない。
その感覚が、ユウを突き動かした。
空間が揺れ、複数の気配が立ち上がる。
ユウと同じ姿をした分身たちが、一斉に前方へ展開する。
敵を囲み、進路を塞ぐ。
「数で押さえる。被害は最小限だ」
独り言のように呟きながら、ユウはさらに出力を上げた。
だが、その瞬間。
「出力、上げすぎだ」
冷静な声が、背後から飛んだ。
カイラ=ゼオンだった。
モニターに走る数値を一瞥し、即座に判断する。
「制御ラインが限界に近い」
「これ以上は、全体に影響が出る」
ユウの返事を待たず、カイラは制御系に干渉した。
ユウの出力が、強制的に抑えられる。
「おい――!」
ユウが振り返る。
「今、止めるな」
「まだ、持つ!」
だが、カイラは迷わなかった。
「事故は起こさせない」
「想定外は、排除する」
次の瞬間、カイラ自身が前に出る。
掌に集まる、赤い光。
炎属性・高密度粒子放射。
一直線に放たれた熱量が、敵ユニットを正確に貫く。
無駄がない。
完璧な制御だった。
数体の敵が、まとめて沈黙する。
だが――
ユウの分身たちは、急激な出力変化に対応しきれず、配置が崩れた。
動線が乱れ、敵の一部が抜ける。
「っ……!」
その隙を見逃さず、別方向から新たな反応が現れる。
「左右から来る!」
声を上げたのは、ミレイ=ノアだった。
索敵データを共有しながら、制御補助に回る。
出力を安定させ、全体の崩壊を防ごうとする。
「ユウ、少し下げて」
「カイラ、そのまま前を抑えて」
理屈としては、正しい指示だった。
だが、どちらにも届かない。
ユウは歯を食いしばる。
――今、引いたら、間に合わない。
考えている暇はない。
目の前で、敵が動いている。
善意だった。
被害を出したくないだけだった。
それでも、独断だった。
一方、カイラは別のことを考えていた。
――このままでは、全体が不安定になる。
数値が示している。
ユウの出力は、制御できていない。
「切り捨てるしかない」
そう判断するのは、訓練としては正解だった。
だが、その判断は早すぎた。
ミレイは、二人の間で立ち尽くしていた。
ユウの行動は、無謀だ。
カイラの判断は、合理的だ。
どちらも間違っていない。
それなのに――
「このままじゃ……」
声が、喉で詰まる。
止めるべきだ。
でも、誰を?
どの判断を?
仲裁に回るほど、状況は悪化していく。
制御補助の指示は、後手に回り、
情報共有も、噛み合わない。
「くそ……!」
ユウが叫ぶ。
「なんで、全部止めるんだよ!」
「俺は、守ろうとしてるだけだ!」
「感情で動くな!」
カイラが即座に返す。
「全体を見ろ」
「君の行動が、リスクを増やしている!」
ミレイは、二人の声を聞きながら、拳を握りしめた。
――どちらも、正しい。
だからこそ、選べない。
警告音が短く鳴り、
仮想敵ユニットが新たに配置される。
訓練は続く。
だが、三人の動きは、次第に噛み合わなくなっていった。
それぞれが、自分の正しさを信じて動く。
その結果、全体はバラバラになる。
誰も、間違ったことはしていない。
それでも――
チームとしては、機能していなかった。
この訓練が、
ただの戦闘ではないことを、
三人ははっきりと理解し始めていた。
正しい行動が、
チームを壊している。
その事実だけが、
静かに積み重なっていった。
警告音が、これまでよりも一段高い音で鳴り響いた。
モニターの表示が切り替わり、
仮想市街地の中央部――防衛対象であるコア装置に、敵性反応が集中する。
「コアに向かってる……!」
ミレイの声が、わずかに上ずった。
同時に、ユウの身体を走る違和感が、はっきりとした形を持つ。
――限界、近い。
出力は、すでに制御域の端に触れている。
無理をすれば、暴走する。
だが、今ここで引けば――コアが落ちる。
状況は明確だった。
通常の判断なら、答えは一つ。
ユウを止める。
戦力を切り捨ててでも、コア防衛を優先する。
それが、都市のルール。
それが、正解。
「……」
だが、その“正解”を、誰も即座に口にできなかった。
ユウは、歯を食いしばる。
――ここで、また止められるのか。
守ろうとしているのに。
間に合おうとしているのに。
カイラは、モニターの数値から目を離せずにいた。
出力限界。
制御崩壊の可能性。
――切るべきだ。
そう判断すれば、任務成功率は上がる。
だが、その選択が意味するものも、理解していた。
ミレイは、二人の様子を見ていた。
ユウは、今も前に立っている。
カイラは、止めようとしている。
どちらも、間違っていない。
けれど――
そのとき、訓練室の端で、レイヴン=クロウが腕を組んで立っているのが視界に入った。
止めない。
指示もしない。
介入の気配すらない。
ただ、見ている。
――助けないんだ。
その事実が、ミレイの胸に重く落ちた。
誰も、決めてくれない。
正解も、命令も、与えられない。
選ぶしかない。
「……っ」
ミレイは、息を吸い込んだ。
迷っている時間はない。
このままでは、どちらも失う。
「……私がやる」
その声は、小さかった。
けれど、はっきりしていた。
ユウとカイラが、同時にこちらを見る。
ミレイは、震える指で制御パネルを操作しながら言った。
「私が、制御する」
「ユウの出力も、カイラの攻撃も――全部、私が調整する」
一瞬、沈黙。
それは、無謀な宣言だった。
負荷は大きい。
失敗すれば、全体が崩れる。
「……できるのか」
カイラが、低く問いかける。
合理的な疑問だった。
だが、その裏には、ほんのわずかな迷いがあった。
ミレイは、カイラを見返す。
「完璧じゃない」
「でも……今は、それしかない」
それから、ユウを見る。
「ユウ」
「出力、少し下げて」
ユウの喉が、鳴った。
――また、抑えろって?
そう思いかけて、言葉を飲み込む。
ミレイの目は、逃げていなかった。
指示ではない。
命令でもない。
選択を、預けてきている。
「……分かった」
ユウは、ゆっくりと息を吐いた。
出力を、意識的に落とす。
――任せる。
その選択は、ユウにとって簡単じゃなかった。
カイラは、短く目を伏せる。
最適解ではない。
だが――今は、それを選ばない。
「……了解した」
炎属性・高密度粒子放射の出力を、ミレイの制御に合わせて調整する。
個人の正しさを、引っ込める。
三人の動きが、初めて一つに揃った。
ミレイの制御補助が、全体を包む。
ユウの分身が、隙を埋める。
カイラの攻撃が、必要な場所だけを正確に叩く。
完璧ではない。
効率も、最高とは言えない。
それでも。
敵性ユニットが、次々と沈黙していく。
最後の反応が消えた瞬間、
警告音が止まった。
静寂。
コア装置は、無事だった。
三人とも、立っている。
任務は――成功。
誰も、欠けていない。
息を整えながら、三人は互いを見る。
まだ、ぎこちない。
信頼と呼ぶには、弱い。
それでも。
たった今、
初めて“チームとしての条件”を満たした。
レイヴンは、少し離れた場所で、その様子を見ていた。
何も言わない。
だが、その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
試されていたのは、戦闘能力じゃない。
自分のやり方を、手放せるかどうか。
その一点だった。
訓練室に、完全な静けさが戻った。
警告音は止み、モニターには《ミッション達成》の表示が浮かんでいる。
それでも、誰もすぐには動かなかった。
息を整えながら、三人はその場に立ち尽くしていた。
成功した。
だが、胸に残っているのは達成感よりも、疲労と戸惑いだった。
「……終わり、か」
ユウが、ぽつりと呟く。
自分の出力が、まだ体の奥でざわついている。
それでも、暴走はしていない。
――止めなかったんじゃない。
――止めてもらったんだ。
そう思うと、少しだけ、不思議な気分になった。
カイラは、装置の最終ログを確認しながら、短く息を吐く。
数値は、理想から外れている。
効率も、最善とは言えない。
それでも、任務は成立している。
――完璧じゃなくても、いい。
その事実が、静かに胸に落ちてきた。
ミレイは、操作パネルから手を離し、ようやく肩の力を抜いた。
指揮を執った。
初めて、自分の判断で、二人を動かした。
怖かった。
だが、逃げなかった。
――私にも、役割がある。
そう思えたことが、何より大きかった。
「はい、お疲れさま」
軽い声とともに、レイヴン=クロウが歩み寄ってくる。
いつもと変わらない調子だが、その視線は真剣だった。
「結論から言おうか」
三人の前で足を止め、はっきりと言う。
「合格」
ユウは、思わず目を瞬かせた。
ミレイは、小さく息を呑む。
カイラは、静かに頷いた。
だが、レイヴンは続ける。
「ただし――評価は保留だ」
その言葉に、空気が少し引き締まる。
「君たちは、まだ未完成」
「チームとしても、人としてもね」
責める口調ではない。
事実を述べているだけだった。
レイヴンは、少し間を置いてから、言葉を選ぶように口を開く。
「秩序を守るやつは、正しい」
「選び続けるやつも、正しい」
一人ずつ、視線を向ける。
カイラ。
ユウ。
「でもな」
レイヴンは、ほんの少しだけ声を落とした。
「一人で正しいやつは、現場じゃ役に立たない」
誰も、反論しなかった。
その言葉は、
さっきの訓練すべてを、静かに言い表していた。
「チームってのはな」
「同じ正解を持つ集まりじゃない」
レイヴンは、肩をすくめる。
「違う正解を、ぶつけて」
「それでも前に進むための、仕組みだ」
そう言って、軽く手を振った。
「今日はここまで」
「次は、もっと面倒なことをやる」
扉へ向かいながら、振り返る。
「覚悟、しときな」
扉が閉まる。
残された三人は、しばらく無言だった。
信頼が生まれたわけじゃない。
分かり合えたとも言えない。
それでも。
「……さっきの判断」
カイラが、ふと口を開いた。
「合理的ではなかった」
「だが……結果は出た」
それだけ言って、視線を逸らす。
ユウは、少しだけ笑った。
「完璧じゃなきゃダメだと思ってたら」
「多分、俺はずっと一人だ」
ミレイは、二人を見て、ゆっくりと頷く。
「……次は、もっと上手くやれると思う」
根拠はない。
でも、逃げない意思だけは、はっきりしていた。
三人の間に、まだぎこちなさは残っている。
だが、それぞれの役割は、確かに見え始めていた。
現場で動く者。
最適解を探す者。
全体を繋ぐ者。
チームとしては、まだ弱い。
それでも――
同じ方向を向いて立っている。
戦いに勝ったわけじゃない。
完全に分かり合えたわけでもない。
ただ、
「一緒に進む理由」を、初めて手に入れただけだった。
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