第5話 静かな一日
星骸制御学院の訓練区画は、いつもより静かだった。
昨日の出来事が、まだ完全には消化されていない。
ユウ=アラタは、そんな感覚を抱えたまま通路を歩いていた。
勝った。
チームとして、任務は成功した。
けれど――胸の奥に残っているのは、達成感よりも、奇妙な引っかかりだった。
訓練室に入ると、すでに二人の姿があった。
カイラ=ゼオンは、いつもと変わらない姿勢で立っている。
背筋は伸び、視線は前。
昨日の衝突を引きずっている様子は見えない。
一方、ミレイ=ノアは、モニターの前で小さく息を整えていた。
表情は落ち着いているが、どこか緊張が抜けきらない。
――三人とも、同じところに立ってるわけじゃない。
ユウはそう思いながら、二人から少し距離を取った位置に立つ。
やがて、軽い足音が近づいてきた。
黒いコートを羽織った男が、気の抜けた様子で訓練室に入ってくる。
レイヴン=クロウだった。
「おはよう。昨日はお疲れ」
相変わらず軽い口調で言いながら、三人を一瞥する。
昨日と同じ顔。
だが、その視線は、どこか違っていた。
レイヴンは、壁際の端末を操作しながら言う。
「まず、事務的な話からね」
モニターに、簡素な表示が浮かび上がる。
――次段階訓練対象チーム。
そこには、
ユウ=アラタ
カイラ=ゼオン
ミレイ=ノア
三人の名前が並んでいた。
「君たちは、正式に次の段階へ進む」
淡々とした宣言だった。
特別扱いを示す言葉はない。
称賛も、祝福もなかった。
「勘違いしないでほしいけど」
レイヴンは肩をすくめる。
「これはゴールじゃない。スタートラインだ」
都市防衛組織における、実働候補。
それ以上でも、それ以下でもない。
ユウは、内心で少しだけ拍子抜けしていた。
――昨日の戦いは、何だったんだ。
命がけでぶつかって、譲って、選んで。
あれだけの時間を越えたのに、扱いは驚くほど静かだ。
だが、反発する気にはならなかった。
昨日、学んだことがある。
結果がすべてではない、という感覚が、まだ胸の奥に残っている。
カイラは、表示を一瞥しただけで、すぐに理解していた。
制度としては妥当だ。
評価保留。実働候補。
「これが“現場以前”ということか」
そう心の中で呟きながら、受け止める。
合理的だが、少しだけ物足りない。
それでも否定する理由はなかった。
ミレイは、モニターを見つめながら、胸の奥に入り混じる感情を感じていた。
緊張と、安堵。
戦わなくても役に立てる場所が、確かに用意されている。
それは救いだった。
同時に、不安でもある。
――これで、いいのかな。
その迷いを、まだ言葉にはできなかった。
レイヴンは三人の様子を見回し、少しだけ声の調子を落とした。
「一つだけ、はっきりさせておく」
全員の視線が集まる。
「君たちは、まだ“守る側”じゃない」
「まずは、都市に属する一員として働いてもらう」
英雄の話ではない。
戦場の話でもない。
ここから始まるのは、仕事だ。
理想ではなく、制度の中での現実。
昨日、確かに成立した“チーム”は、
この瞬間、初めて都市の仕組みの中に置かれた。
その日、三人に与えられた任務は、どれも拍子抜けするほど地味なものだった。
星骸制御区画の点検補助。
防衛シミュレーションのデータ整理。
市民区画における微弱な星骸反応のモニタリング。
戦闘はない。
警報も鳴らない。
成果として残るのは、端末に蓄積される数字とログだけだった。
ユウ=アラタは、制御区画の通路を歩きながら、何度目か分からないため息を吐いた。
昨日は、命がけだった。
一歩間違えれば、誰かが脱落してもおかしくなかった。
それなのに今日は、配線の状態を確認し、数値を読み上げ、異常がないことを報告するだけ。
「……これが、正式適合者の仕事か」
思わず漏れた独り言は、誰に向けたものでもなかった。
守るために前に出る。
危険を引き受ける。
そういう役割を、どこかで思い描いていた自分がいる。
だが、現実は違った。
何も起きないことを確認する。
起きそうな兆しを、事前に潰す。
――守るって、こういうことなのか。
その考えに行き着いて、ユウは少しだけ気恥ずかしくなった。
昨日の戦いの余韻が、まだ体に残っている。
それなのに、今やっていることは、誰に褒められるわけでもない作業だ。
英雄的な活躍を期待していた自分が、確かにいた。
それを否定できないことが、少しだけ悔しかった。
一方、カイラ=ゼオンは、端末に映る数値を淡々と確認しながら、状況を整理していた。
この任務は、合理的だ。
都市全体の防衛網を維持するうえで、欠かせない工程ばかり。
昨日の連携が成立したのも、突発的な奇跡ではない。
こうした地味な積み重ねがあってこそ、初めて意味を持つ。
「戦闘単位、じゃないな……」
心の中で、そう呟く。
チームとは、戦うためだけの集まりではない。
都市という巨大な仕組みの中で、機能する一部。
昨日まで、カイラはチームを“効率よく戦える構成”として見ていた。
だが今は、それだけでは足りないと感じている。
現場に立つ前に、現場を支える仕事がある。
それを理解できなければ、どれだけ優秀でも意味がない。
少しだけ、視界が広がった気がした。
ミレイ=ノアは、シミュレーションデータの整理を担当していた。
膨大なログを分類し、異常値を抽出し、必要な情報だけを共有する。
地味だが、集中力のいる作業だ。
指先を動かしながら、ミレイは気づいていた。
自分がここにいることで、二人の負担が確実に減っている。
ユウは余計な判断をせずに済み、
カイラは全体の把握に集中できている。
目立たない。
前にも出ない。
それでも、チームは回っている。
――私は、繋ぐ側でいい。
その考えが、胸の奥にすっと落ちてきた。
前に立つ人が必要なら、支える人も必要だ。
全員が同じ役割を目指す必要はない。
そう思えたことで、ミレイの肩から、少し力が抜けた。
三人は、特別な会話を交わすこともなく、淡々と任務をこなしていく。
派手な出来事は起きない。
ドラマもない。
それでも、作業は滞りなく進み、ログは順調に積み上がっていった。
チームは、静かに機能していた。
非戦闘の時間。
非ドラマの時間。
それでも――
三人は、確かに同じ方向を向いていた。
その違和感が、はっきりと形を持ったのは、昼を少し回った頃だった。
市民区画のモニタリング端末に、微弱な星骸反応が表示された。
数値は低い。
警戒ラインには、かすりもしない。
それでも――
「反応、出てる」
ユウ=アラタは、思わず声を上げていた。
画面を覗き込み、反射的に立ち上がる。
「場所は近い。今なら――」
言いかけて、言葉を切った。
頭の中では、もう次の動きが浮かんでいる。
現場へ向かい、確認し、問題があればその場で対処する。
昨日なら、迷わなかった。
いや、昨日“以前”なら。
「……出動、申請する?」
ユウは、半ば無意識にそう口にしていた。
カイラ=ゼオンが、端末の数値を確認する。
「必要ない」
即答だった。
「反応は想定範囲内だ。巡回ドローンで十分対処できる」
合理的な判断。
訓練で何度も叩き込まれてきた基準だ。
だが、ユウの胸の奥で、何かが引っかかった。
「でもさ……」
言葉を選びながら、続ける。
「俺たちなら、もっと早く終わらせられるだろ」
「何か起きてからじゃ、遅い」
焦りがあった。
昨日の感覚が、まだ体に残っている。
前に出て、守る。
危険を引き受ける。
そうしなければならない、という思い込み。
ミレイ=ノアは、ユウとモニターを交互に見たあと、小さく首を振った。
「今の数値なら……出る理由はないよ」
「むしろ、出た方が問題になるかも」
その言葉に、ユウは口をつぐんだ。
納得できないわけじゃない。
だが、胸の奥がざわつく。
――俺たち、何のためにいるんだ。
そのときだった。
「いい判断だね」
背後から、気の抜けた声がした。
振り向くと、そこにいたのはレイヴン=クロウだった。
いつの間に来ていたのか、壁際に寄りかかっている。
「ユウ」
名前を呼ばれて、ユウは少しだけ身構えた。
「その反応、悪くない」
「でも……一つ、勘違いしてる」
レイヴンは、モニターに映る反応値を指差す。
「星骸適合者は、最後の切り札だ」
「最初に出る存在じゃない」
ユウは、眉をひそめた。
「でも、放っておいて――」
「放っておいてるわけじゃない」
レイヴンは、被せるように言った。
「見てる」
「管理してる」
「備えてる」
少し間を置いて、続ける。
「君たちが前に出れば、市民は安心すると思う?」
「逆だよ。不安になる」
その言葉に、ユウは黙った。
レイヴンは、淡々と語る。
「都市ってのはな」
「誰かが必死に守ってるって“見えない”方が、うまく回る」
英雄が駆け回る街は、危険な街だ。
そう言っているのと同じだった。
「君たちが何もしない一日が」
「一番、いい仕事なんだ」
静かな声だった。
説教でも、叱責でもない。
事実を並べているだけだ。
ユウは、すぐには言葉が出なかった。
理解はできる。
理屈も、正しい。
それでも、心が追いつかない。
――前に出ない選択。
それは、逃げじゃないのか。
そう思いかけて、昨日の光景が脳裏をよぎる。
譲ったこと。
任せたこと。
それで、チームが成立したこと。
「……」
ユウは、拳を握ってから、ゆっくりと力を抜いた。
「……分かった」
短い返事だったが、反発はなかった。
前に出ないことも、選択だ。
その事実を、ようやく受け止め始めていた。
カイラは、レイヴンの言葉を静かに噛みしめていた。
都市側の論理。
危機管理としての正解。
これまで、理解はしていたが、完全には肯定できていなかった。
だが今は、はっきりと分かる。
「……合理的だ」
小さく、そう呟く。
同時に、胸の奥に別の感情も芽生えていた。
――現場は、もっと泥臭い。
理論だけでは割り切れない瞬間が、必ず来る。
その距離を、初めて意識した。
ミレイは、三人のやり取りを聞きながら、静かに頷いていた。
派手な戦闘はない。
称賛もない。
それでも、今日の仕事は、確かに都市を守っている。
数字として。
仕組みとして。
「……ここが、私の居場所なんだ」
小さく、そう思った。
繋ぎ、整え、支える。
その役割を、ようやく胸を張って選べる。
英雄になる必要はない。
続けることが、大事だ。
モニターの星骸反応は、やがて自然に消えた。
巡回ドローンが処理したのだろう。
警報は鳴らず、誰も気づかない。
だが、その静けさこそが、仕事の結果だった。
合格したからといって、活躍するとは限らない。
むしろ、活躍しないことが、求められる場面もある。
星骸適合者は、英雄ではない。
都市に組み込まれた、ひとつの職業だ。
その現実が、三人の前にはっきりと置かれた。
任務は、静かに終わった。
警報は一度も鳴らず、
緊急出動の指示もなかった。
端末に残ったのは、整然と並んだログと数値だけだ。
確認済み、異常なし――その繰り返し。
それでも、
人々は空中通路を歩き、
市民区画には穏やかなざわめきが流れている。
何事も起きなかった一日。
それが、今日の成果だった。
帰路につく三人の足取りは、どこかゆっくりしていた。
ユウ=アラタは、夕暮れに染まる人工空を見上げながら、小さく息を吐く。
派手な活躍はなかった。
誰かに感謝される場面もない。
正直に言えば、物足りなさは残っている。
だが――
「……守れたなら、それでいいか」
自分でも驚くほど、穏やかな言葉だった。
前に出なかった。
力も使わなかった。
それでも、都市は無事だ。
英雄になることと、役割を果たすことは、同じじゃない。
その違いを、ようやく受け入れられた気がした。
カイラ=ゼオンは、歩きながら今日の任務を思い返していた。
効率は、決して最高ではない。
だが、破綻もない。
個々の能力を最大限に引き出すより、
全体が止まらないことを優先した結果だ。
「……運用できている」
そう評価できることが、少しだけ新鮮だった。
完成された個より、継続的に機能するチーム。
その方が、現場では価値がある。
カイラの中で、基準がひとつ、更新された。
ミレイ=ノアは、二人の少し後ろを歩きながら、静かに胸を張っていた。
前に立ったわけじゃない。
指揮を執ったわけでもない。
それでも、今日一日、確かに自分は必要だった。
データを繋ぎ、調整し、崩れを防いだ。
目立たない仕事だが、欠けていれば成立しなかった。
――私は、中心じゃなくていい。
チームを成立させる“要”として、ここに立てている。
そう思えたことが、何より嬉しかった。
学院の出口付近で、三人は足を止めた。
そこに、黒いコートの男が立っている。
レイヴン=クロウだった。
相変わらず、気の抜けた様子で、こちらを見る。
「お疲れ」
短い言葉だった。
それから、少しだけ間を置いて続ける。
「今日みたいな日を、百日続けられたら」
「君たちは、本物だ」
派手な称賛はない。
笑顔も、大げさな評価もない。
だが、その一言は、不思議と重かった。
三人は、思わず顔を見合わせる。
レイヴンは、肩をすくめて背を向けた。
「じゃ、また明日」
「次も、地味だぞ」
そう言い残して、通路の奥へと消えていく。
残された三人は、しばらく無言だった。
まだ、完全に分かり合えたわけじゃない。
信頼と呼ぶには、少し足りない。
それでも。
今日という一日を、同じ役割で、同じ方向を向いて過ごした。
それが、確かな事実だった。
英雄譚ではない。
大きな戦いでもない。
ただ、続けていくための一歩。
チームとしての日常が、静かに始まった。
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