第3話 講習
普通の会社。株式会社でもなんでも良かったはずだった。スカウトされたわけでもない。フリーペーパーの求人誌も、求人アプリも見てた。どこも、同じようなことしか書いていない。顔が違うだけ。同じレールでしかない。
関西弁の店長が「講習や」とDMでURLを3つ送ってきた。
無修正のアダルト動画よりも生々しかった。その中に、ウエトラの使い方や声の出し方もあった…
スマホの画面を凝視しながら、私は息を止めた。
一つ目の動画は、接客の基本だった。挨拶の仕方、お茶の出し方、タオルの渡し方。まるで普通の接客業の研修ビデオのようだった。でも違う。そこに映っているのは下着姿の女性で、相手は全裸の男性だった。
二つ目の動画。声の出し方。
画面の中の女性は、機械的に喘ぎ声を上げていた。「ああん」「いい」「すごい」。抑揚をつけたバージョン、囁くバージョン、激しいバージョン。まるで語学教材のリピート練習のようだった。
私は無音にしたスマホを握りしめた。
三つ目の動画を開く指が震えた。
ウエトラ。ウエットトラスト。潤滑剤。
画面の中の女性が淡々と説明する。「痛くならないように、たっぷり使ってください」「ここに、こうやって」
私は動画を止めた。
部屋の隅に置いた段ボールが目に入った。大学時代の教科書が詰まっている。開封すらしていない。
あの頃の私は、こんな未来を想像しただろうか。
スマホが震えた。店長からのメッセージ。
「見たか? 明日、実技や。ベテランの子が教えてくれる。11時に店来てな」
実技。
私は深呼吸した。
翌日、店に行くと、ミクという源氏名の女性が待っていた。多分30代後半。でも見た目は20代。化粧が完璧で、笑顔も完璧だった。
「サラちゃん? 初めまして。今日はよろしくね」
個室に通された。清潔なシーツが敷かれたベッド。壁には時計。サイドテーブルにはローションとタオル。
「緊張してる? 大丈夫、最初はみんなそうだから」
ミクは慣れた手つきでローションのボトルを手に取った。
「まず、これね。ケチらないこと。痛いと次から来てくれなくなるから」
彼女の説明は実務的だった。感情を排した、マニュアル通りの講習。
「声はね、大げさじゃなくていいの。自然に。でも、相手を気持ちよくさせるための演技は必要。わかる?」
わかる、と答えながら、私の中で何かが冷えていくのを感じた。
「あとね」ミクは真顔で言った。「心は閉じておくこと。体だけ差し出して、心は遠くに置いておく。そうしないと、壊れるから」
その言葉が、一番生々しかった。
講習が終わって、店を出た時には夕方になっていた。
駅までの道を歩きながら、私は自分の手を見た。ローションの匂いがまだ残っている気がした。
帰り道、コンビニで弁当を買った。レジの店員は、私を普通の客として扱った。当たり前だ。私の中で何が変わったかなんて、誰にもわからない。
部屋に戻って、鏡を見た。
サラがいた。21歳のサラ。
でも、まいの影も、まだそこにあった。27歳のまいが、困惑した顔で私を見ていた。
明後日が初出勤だ。
私は弁当を開けた。食欲はなかった。でも食べた。
これが、私の選んだ道だから。
スマホの画面に、店長からのメッセージ。
「準備万端や。あとは本番だけやな。頑張りや」
頑張る、という言葉が、ひどく場違いに感じられた。
でも、返信した。
「はい。頑張ります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます