最終話
世界は、俺を肯定し続けた
嫌な同僚が消えた翌朝、俺は少しだけ早く目が覚めた。
目覚ましが鳴る前だった。
胸の奥に、妙な軽さがあった。
罪悪感ではない。安堵でもない。
ただ、何かが整理された感覚だった。
会社へ向かう足取りは、ここ数年で一番軽かったと思う。
電車の窓に映る自分の顔は、驚くほど普通だった。
怯えてもいないし、怯えさせるようにも見えない。
――本当に、消えたんだろうか。
そう思いながら出社すると、すぐに違和感に気づいた。
あいつの席が、最初から空席のように扱われている。
誰も「休みですか」とも、「連絡が取れない」とも言わない。
総務も、上司も、隣の席の同僚でさえ。
まるで、最初から存在しなかった人間のようだった。
俺は堪えきれず、昼休みに上司へ聞いた。
「……あの、例の人って、今日はお休みですか?」
上司は少し考える素振りを見せたあと、首を傾げた。
「例の人?
君の部署に、そんな人いたか?」
その瞬間、背筋を冷たいものが走った。
――消えたのは、身体だけじゃない。
記録も、記憶も、関係性も。
世界そのものが書き換えられている。
俺は、その日一日、誰とも深く話さなかった。
帰宅後、部屋の明かりも点けずにソファへ沈み込んだ。
スマホを取り出し、過去の連絡先を遡る。
直さんの名前は、もうなかった。
大学時代に消えた友人の名前も、ない。
それどころか、
「親友」と呼べるほど近づいた人間の痕跡が、
ごっそり抜け落ちている。
不意に、ある共通点に気づいた。
――彼らは皆、俺にこう言っていた。
「君ってさ、優しいけど、どこか怖いよね」
「本音が見えない」
「たまに、人を値踏みしてるみたいだ」
直さんも、最後の飲みの席で、確かに言っていた。
「君と話してると楽なんだけどさ……
たまに、自分が試されてる気がするんだ」
あの時、俺は笑って誤魔化した。
自覚は、なかった――いや、なかったことにしていた。
その夜、久しぶりに夢を見た。
大学時代の俺。
消えた友人と向かい合って座っている。
「お前さ、成功したいんだろ?」
彼は言った。
「そのためなら、誰かを切り捨てても平気だろ?」
俺は何も答えない。
「自分より下だと思った瞬間、
急に距離を測り始める。
あれ、無意識だろ?」
胸が痛んだ。
「だからさ……
俺、ちょっと怖くなったんだ」
次の瞬間、彼の姿が、霧のように薄れていく。
「――違う!」
叫んだ瞬間、目が覚めた。
朝だった。
俺は理解していた。
もう、逃げられない。
この力は、誰かにかけられた呪いじゃない。
世界のバグでも、霊的事故でもない。
俺自身の願いだ。
過去、俺は確かに思ったことがある。
「邪魔だな」
「この人、俺の足を引っ張る」
「いなくなればいいのに」
それを、
“親友”という最も深い距離で感じた時、
世界はそれを肯定してしまった。
俺を否定し、見抜き、立ち止まらせる存在を。
世界は、静かに消してきた。
俺を守るために。
――いや。
俺を、甘やかすために。
それから俺は、人と深く関わらなくなった。
親友も、悩みの共有も、避け続けた。
それでも、孤独ではなかった。
世界は、驚くほど快適だった。
反対意見は減り、衝突は起きず、
俺は順調に評価され、昇進した。
誰も俺を疑わない。
誰も俺を止めない。
そして、ある日、ふと思った。
「……この世界、俺しか残ってないんじゃないか?」
鏡の中の俺が、微笑んでいた。
その笑顔が、
誰よりも信頼できないものに見えた。
親友を拒んだのは、世界じゃない。
世界に拒ませたのは、俺だ。
それでも世界は、今日も変わらず俺を肯定する。
否定する声を、最初から存在しなかったことにして。
――この世界で、
本当に消えるべきだったのは、
果たして誰だったのだろうか。
答えを知る人間は、もういない。
俺を除いて。
(了)
消えていく親友 大黒 @lucky3005
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