終章 拮抗は続くのか

 日本が「守れた」背景には、地理的幸運があると思う。


 ゴンドワナ型神話が先進国で生き残るには、三つの条件が必要だった。


 第一に、文明への接続。孤立しすぎてはいけない。文字や技術や知識が入ってこなければ、文明化できない。


 第二に、征服への障壁。近すぎてはいけない。直接支配されない地理的緩衝が必要だ。


 第三に、テキスト化のタイミング。外来宗教が「名前」を奪う前に、自分たちで固定しなければならない。


 この三条件を満たせる地理は、世界にほとんどなかった。


 近すぎると、征服される。韓国は大陸と地続きで、中国の直接的な影響下に入った。イギリスはドーバー海峡が狭すぎて、繰り返し征服された。


 遠すぎると、文明化が遅れる。オーストラリアの先住民は、ユーラシアの文明から完全に隔絶されていた。近代になって一気に飲み込まれた。テキスト化のタイミングなど、ありえなかった。


 日本は「ちょうどいい」距離にいた。対馬海峡という緩衝地帯。大陸から学べる。しかし、征服はされない。仏教を招き入れる余裕があった。記紀を編纂する時間があった。


 もう一つ、幸運があった。外来宗教が仏教だったことだ。


 例えば「嘘をついたら閻魔大王に舌を抜かれるぞ」と言うとする。子供が「なんで?」と問うと、そこから地獄の話、輪廻の話、さらには解脱、そして菩薩、と、芋づる式に仏教世界に引き込まれかねない。閻魔大王は地獄の入り口だが、仏教の入り口にもなり得るのだ。


 しかし仏教はそこまで強引に引き込む性格を持っていない。「まぁ、閻魔様はそういうものだから」で済ませても、追及はしてこない。正直、仏教の世界観を、日本人はほとんど理解していない。修行もしていない一般人に曼荼羅を教え込もうとする性格を、仏教自体が持っていない。


 もしアブラハムの宗教——ユダヤ教、キリスト教、イスラム教——だったらどうだろう。「なぜ地獄があるのか」と問えば、創造主の意志に遡る。「なぜ創造主がいるのか」と問えば、聖典全体を学ばなければならない。一貫した世界観がある。機能だけ借りる、ということが難しい。


 日本人は「使い分け」で芋づるを切断してきた。死後の裁きだけ借りる。輪廻の体系は借りない。地獄の恐怖だけ借りる。解脱の哲学は借りない。機能を部品として取り込み、体系としては取り込まない。


 これができたのは、仏教が「機能だけ借りる」ことを許す宗教だったからでもある。


 しかし、神道と仏教が共存するには、お互いに拮抗できるだけの強度も必要だった。


 テキストの軸では、神道と仏教が拮抗した。どちらも「聖典」として機能した。

 施設の軸では、神社と寺院が拮抗した。どちらも全国に広がった。

 担い手の軸では、神官と僧侶が拮抗した。どちらも社会的地位を持った。

 政治的後ろ盾の軸では、皇室の祖先神と鎮護国家の仏教が拮抗した。どちらも権力と結びついた。


 すべての軸で拮抗していた。だから並立できた。だから「使い分け」ができた。結婚式は神社で、葬式は寺で。矛盾しない。別の部屋だから。


 ヨーロッパでは、この拮抗がなかった。口伝と聖書。聖域と教会。ドルイドと聖職者。強度の差が圧倒的だった。だから一方的に吸収された。


 では、拮抗は続くのか。

 正直に言えば、わからない。


 神社に参拝する人は多い。初詣、七五三、結婚式。形は続いている。


 しかし、神話を語れる人は少ない。イザナギとイザナミの物語を、最初から最後まで語れる人がどれだけいるだろう。スサノオの八岐大蛇退治は知っていても、その前後の文脈を知る人は少ない。


 因幡の素兎など、ゴンドワナ型の個別の話は割と知られている。しかし、それが大国主と八上姫の婚姻にまつわる話だという物語を知る人は少ない。


 第一章で、形だけでも残れば伝わる、と述べた。お盆のように、名前がなくても「形」で伝わるものがある。先祖が帰ってくる。迎え火を焚く。送り火で送る。なぜそうするのか、うまく説明できなくても、形は続いている。


 しかし、形だけで何世代持つのだろうか。


 名前があれば、説明できる。説明できれば、「なぜ?」に答えられる。「なぜ?」に答えられれば、次の世代に伝わる。


 名前がなければ、説明できない。説明できなければ、「なぜ?」に答えられない。「なぜ?」に答えられなければ、一世代ごとに薄まっていく。


 日本神話は守れた。


 記紀が名前を固定し、神社が形を守り、祭りが身体に刻んだ。仏教は敵ではなく、便利な増築材だった。征服ではなく、ショッピングだった。


 そして、それを可能にした地理的幸運があった。対馬海峡という「ちょうどいい距離」。大陸に近すぎず、遠すぎず。学べるが、征服されない。


 しかし、守り続けられるかどうかは、これからの私たちにかかっている。

 名前を知ること。

 物語を語ること。

 形を続けること。

 それが、千三百年前に記紀が始めた仕事を、引き継ぐことになる。


<了>

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