第二章 名前を奪われるとき

 神話が消えていく過程には、パターンがある。


 まず、接触がある。外来の宗教がやってくる。商人と一緒に、あるいは軍隊と一緒に。


 次に、包摂が起きる。いきなり否定するのではない。「あなたの神も、我々の神の別の姿だ」と言って、融合しようとする。敵意ではない。むしろ寛容の顔をしている。「あなたの信仰を否定しない。ただ、より大きな真理の一部として位置づけよう」。


 そして、名前の置換が始まる。土着の神の名前が、外来の聖者の名前に置き換わる。


 ヨーロッパ各地には、大地の女神がいた。豊穣を司り、母なる存在として崇められていた。キリスト教がやってきて、その女神たちは「聖母マリア」になった。祈る対象は変わらない。祈り方も変わらない。しかし、名前が変わった。「なぜこの像に祈るのか」と問われたとき、答えは「神の母だから」になった。


 名前が変われば、説明権が移動する。子供の素朴な「なぜ?」に対して、新しい物語で答えることになる。「なぜこの日にお祭りをするの?」「聖母マリアの日だからだよ」。


 世代が交代する。親は元の名前を知っている。しかし、子供には新しい名前で教える。そのほうが説明しやすいから。新しい物語のほうが、体系だっているから。聖典にも書いてあるし、子供の「なぜ?」にも堂々と答えられるから。


 子供にしてみれば「幼いころ、親から聞いた話」となる。孫の世代では「祖母からずっと伝えられてきた話」になる。


 三世代もすれば、元の名前は忘れられる。


 祖父母が知っていた古い名前は、孫の世代には届かない。間に挟まれた親の世代が、橋渡しをしなければ。しかし、橋渡しをする理由がない。新しい名前のほうが便利だから。


 名前がなければ、説明ができない。

 説明ができなければ、語られない。

 語られなければ、消える。


 ヨーロッパの土着神話は、こうして消えていった。冬至祭の「中身」は残っている。家族が集まり、贈り物をし、常緑樹を飾る。しかし、それを「なぜするのか」と問われたとき、答えはキリスト教のものになっている。


 形は残った。名前が消えた。


 形が残っているから、何かが伝わっている気がする。しかし、名前がないから、それが何なのか説明できない。説明できないものは、一世代ごとに薄まっていく。


 では、ゴンドワナ型神話は、全てローラシア型神話に塗り替えられるのか?


 多くの場合は、そうだ。インドネシアの島々の神話、フィリピンやパラオの神話は、大航海時代にイスラム教やキリスト教に塗り替えられた。


 しかし、抗う事に成功した神話がある。日本神話とヒンドゥー教だ。


 なぜ消えなかった神話があるのか

 それは、一言で言えば「間に合った」のだ。


 日本は、仏教伝来(五三八年頃)の後に記紀を編纂した(七一二年〜七二〇年)。外来宗教である仏教が「神の名前」を奪う前に、自分たちで名前を固定した。イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ。これらの名前は、記紀によって記録に残すことができた。


 インドも間に合った。イスラム勢力の本格的な到来より数百年前に、ヴェーダからプラーナに至る膨大な文献群が完成していた。しかも、語り部の伝統が民衆の隅々にまで浸透していた。征服者が来たとき、すでに名前は固定され、物語は民衆のものになっていた。


 一方で、間に合わなかった者もいる。


 ゾロアスター教は、聖典アヴェスターを完成させた。しかし、エリート層の宗教にとどまり、民衆への普及が間に合わなかった。イスラムの征服の後、担い手が細り、インドに逃れた一部の信徒がパールシーとして命脈を保つのみとなった。


 マヤ文明は、スペインによる征服(一五二四年)の後に、『ポポル・ヴフ』を緊急記録した(16世紀半ば)。それにより、文献は残った。しかし、信仰の担い手が断絶した。神話は博物館に収まり、生きた信仰ではなくなった。


 「間に合う」とは、名前を奪われる前に、自分たちで固定することだ。

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