第七話  医療の街





ガタガタと揺れる激しい岩道の衝撃で、俺は目を開いた。


————ガハッ。


勢い良く上体を起こしたその瞬間、視界がぐらりと揺れる。


天井が近い。やけに狭苦しい。


「っ⋯!?」


反射的に身構えかけたその時、真正面の存在に気付く。


「⋯シタ⋯!」


「起きたのね」


そこにはいつも通りの表情で静かに佇むシタがいた。


どうやらここは馬車の中らしい。


俺は一体、どれくらい気絶していたのだろうか。


思い出そうとすると突然頭の奥がじん、と鈍く痛んだ。


思わず額を抑える俺を、シタは冷めた瞳で見てくる。


「いってぇ⋯。ったく何なんだよ⋯。おいシタ、何処に向かってんだ?」


見慣れない景色が流れていく窓に、俺はおずおずと聞いてみる。


「医療の街。酒場もあるらしいから、一石二鳥ね。」


「医療の、街⋯」


それから何か言いたげだな、と思っていると案の定シタが続けて口を開いた。


「貴方が起きたのなら、私は少し眠るから。着いたら起こして。おやすみ。」


「⋯ちょ、待て今の流れで⋯」


そう言い終えるより早く、シタは身体の向きを変えて壁際に背を預けた。


細い息を立てて、本当に眠りについてしまった。


「⋯まぁ⋯今まで起きててくれたんだしな⋯」


返事は無い。


規則正しい揺れに合わせて、馬車の床が小さく軋む音だけが続く。


俺は暫くその横顔を眺めてから、ゆっくりと背もたれに体を預けた。


どうやらここから先は、到着まで一人で過ごすしか無いらしい。


馬車は相変わらず岩だらけの道を進んでいるようで、車輪が石を踏む度に、腹の底まで響く衝撃が伝わってくる。


こんなに揺れている中、シタは良く寝られるなと感心しつつ、俺は窓の外へ視線を移す。


先程まで荒涼としていた景色は、少しずつ様子を変え始めていた。


岩肌剥き出しだった大地の合間に、ぽつりぽつりと緑が増えている。


背の低い木々や整えられた畑らしき区画。


遠くには、白っぽい石で組まれた建物の影も見え始めていた。


「あれが⋯医療の街、か?」


随分と早いな。それだけ俺の気を失っていた時間が長かったという事か。


下手すると日を跨いだのかもしれない。


シタには申し訳ない事をした。


まぁ、正確にはまだ街の外縁だろう。気が早いのも良くないか


そう思った瞬間、馬車が一段と大きく揺れた。


思わず舌打ちしそうになるのを堪え、体に力を入れて踏ん張る。


「っ⋯!おい、これ絶対わざと悪路選んでるだろ⋯」


勿論、誰に向けた文句でもない。


窓のおかけで御者には聞こえていないだろう。


返事が来ないと分かっていても口に出さずにはいられない程だったのだ。


ふと視線を戻すと、シタの眉がほんの僅かに動いていた。


だが、体は微動だにせず起きる気配はない。


「⋯早く着かねぇかな」


医療の街。そこまで大層な期待をしているわけじゃない。


ただ、頭の鈍痛が治まるなら、それで十分だ。


それにシタが言うには⋯酒場もある、らしい。


医療の街なのに。


考えた瞬間、喉が無性に渇いた気がした。気絶していた時間を考えれば妥当だろう。


そんな事を思っている内に、馬車の揺れは次第に規則的になり荒々しさを失っていった。石を踏み鳴らす音は減り、代わりに平坦な道を進む高い振動が続く。


外から微かに人の声も聞こえてきた。


馬のいななき。葉擦れの音。


雑踏の気配が、窓越しにも伝わってくる。


「⋯着いたか⋯?」


そう呟いた直後だった。


「到着だ。降りろ。」


御者の声が馬車の外から響く。その声と同時に、馬車は緩やかに速度を落としていった。シタは俺が起こす前に御者の声で目を覚ましていた。


数秒の沈黙の後、シタは小さく息を吸い、ゆっくりと体を起こす。


「随分早いね。」


そう言いながらも、特に不満そうな様子はない。


シタは身を起こし、軽く首を回してから俺を見る。


「立てる?」


「馬鹿にすんな」


そう答えて、俺は慎重に腰を上げた。


「無理はしないで。倒れたら面倒だから。」


珍しく心配そうな彼女の声色に、俺は小さく感心した。


⋯いや、ただ面倒なだけの顔か。これは。


そんな事を考えながらも、俺は馬車の扉に手をかけた。


扉を開けると、眩しい光と共に街の空気が一気に流れ込んでくる。


乾いているが澄んだ風。


その風に乗ったどこか薬草のような匂いが鼻に抜けていく。


「⋯なるほど。医療の街って感じだなぁ。」


白い石畳が続く通り。整然と並ぶ建物。


行き交う人々の服装も、どこか清潔感がある。


俺は一歩地面へ飛び降りた。


思ったよりもしっかりとした踏み心地に、思わずよろけそうになる。


斑な山道が、懐かしく思えた。


所に、続いてシタも軽やかに降車してくる。


「まずは治療ね。それから酒場。」


「逆でも良いよ」


「金銭は私が持っています」


淡々とそう言い切り、シタは街の方へ歩き出した。


その背中を睨んでみたりしながら、俺はもう一度今から踏み入る街を見渡していく。


———ここから先、何が待っているのか。


厄介事は避けたいものだ。


だが、気絶して目を覚ました先としては悪くない街だ。


俺は小さく息を整え、シタの後を追って、医療の街へと足を踏み出した。


——


ペーパー国とは違う、よく整備された石畳だ。


足裏に伝わる感触がやけに現実的で、ここがもう危険地帯ではないのだと遅れて実感が追い付いてきた。


通りの両脇には白い、これまた石造りの建物が並び、それは馬車の中から見たものと同じだった。


建物の窓際には乾燥させた薬草や布袋が吊るされている。


風が吹く度、葉擦れのような乾いた草の音が微かに鳴る。


「⋯薬品の香りがする」


思わず声を漏らすと、少し前を歩いていたシタがわざわざ振り返り、「当たり前」とでも言いたげな目を向けてきた。


通りを行き交う人々は怪我人が多いのかと思いきや、誰もが落ち着いた様子で、切迫感は感じられなかった。


「⋯治療ってすぐ終わるのか?」


「症状次第ね。軽ければすぐ。重ければ⋯」


そこで言葉を切り、シタはチラリと俺の顔を見る。


「まぁ、貴方は大丈夫でしょう」


その言い方に、微妙な引っかかりを覚える。


「どーいう意味だよ」


不満気にそう漏らす俺にシタはびくともしない。


「経験則よ。それに、この街には腕利きのヒーラーが集まっているから大丈夫」


どう反論するべきか迷っているうちに、シタは通りの角を曲がり、一軒の建物の前で足を止めた。


そこは他より少し大きく、入口の扉には交差した杖の紋章が下げられている。


「ここ。」


シタが扉を押し開けると、只でさえ僅かだった外の雑音が一気に遠のいた。


おぉ⋯これは、頭痛患者に優しい設備だ。完全に断絶されている。


中は静かで、空気がひんやりとしている。


「⋯⋯」


思わず背筋が伸びる。


別に怖いわけじゃない。病院が怖いだなんてまるで子供だ。


しかし、こういう場所はどうも落ち着かない。


その時、受付台の向こうにいた人物が顔を上げこちらを見る。


「診察ですか?」


「はい。治療を頼みたいの。この間抜けっ面の」


シタがそう言って何の躊躇もなく俺を指さした。


俺は耳を疑ったぞ。それが、今まで命を守られた者の言う言葉か?


「おい」


「事実でしょう」


俺が居なけりゃとっくに光炎龍に丸焼きにされていた癖に。


なんて奴だ。


間抜け面と聞かされた受付の者はジロリと俺を一瞥し、淡々と口を開いた。


「症状を簡単にお願い致します」


「えっ?えっと⋯頭打って、あと鼻血を結構⋯、泡も吹いて⋯いや?あれは吐血か?ハイ、吐血しました。それと気絶して⋯あ、あと腕も火傷しました」


よれた袖を捲ってぷらぷらと腕を見せると、受付の者はもう良いですと言うように苦笑いを返してきた。


「なるほど。では少々お待ち下さい」


そう言われ、壁際の椅子に案内される。


腰を下ろした瞬間、張り詰めていたものがじわりと抜けていった。


「お前は俺の保護者か?」


ぽつりと呟くと、隣に立っていたシタがこちらを見る。


「何か言った?」


「いや、何でも無いです⋯」


視線を逸らしつつ答えると、シタは一瞬小首を傾げるだけでそれ以上は追求してこなかった。暫く冷えた空気を吸っていると、奥の扉がキィと開く音がした。


「えー⋯ルイ様。こちらの部屋へどうぞ」


名を呼ばれ立ち上がる俺とは反対にその場に留まっているシタが言う。


「私はここで待っているわ」


「え、いいのか?」


「逆について行く意味が分からないのだけれど。」


シタは椅子に静かに着席した。


それもそうか⋯と、納得した俺は一人、奥の診察室へと通された。


扉の奥は思ったよりも簡潔だった。


無駄な装飾は一切無く、白い壁と木製の机が広がっている。


薬瓶が整然と並ぶ棚。


中央には、寝台が一つ置かれている。


そう、元の世界の病院内と何も変わらなかった。


「医療魔法を使います。力を抜いて下さい。」


「⋯医療魔法⋯」


見慣れた只の病室だと思っていたのに、聞き慣れない異世界の用語に肩を落とす。


座った椅子に全身を預けてそわそわとしていた、次の瞬間だった。


治療師の掌から、淡い光が溢れ出す。


それは白でも青でもない、はっきりとした、緑色。


「⋯おお」


思わず声が漏れる。


光は柔らかく、けれど確かに存在感があった。


葉を透かした陽光のような生命を連想させる色。


空気そのものが、少しだけ温度を帯びた気がする。


「⋯すっげぇ緑⋯」


治療師の手元から溢れた緑の光は、ゆっくりと俺の額へと染み込んでいく。


⋯温かい。


触られている感覚は殆ど無いのに、奥の奥まで何かが行き渡っていくような不思議な感覚だった。


「⋯⋯これは⋯重度の貧血ですね。頭痛もそのせいかと思われます。」


その時、頭の奥でじん、と鈍く続いていた痛みが少しずつ和らいでいく。


感心しながら、俺はその光から目を離せずにいた。


「なぁ、これ⋯俺も使えたりすんのかな?」


治療師の手が、ピタリと止まった。


「⋯今、何と?」


「いや、ほら。緑だし。なんかこう、俺でも出来そうじゃない?」


自分でも何を言っているのか分からないが、正直な感想だった。


この光を見て、触れて、憧れない方がどうかしている。


俺の複雑な感想を聞いた治療師は一瞬、俺の顔をまじまじと見つめ、


それから小さく息を吐いた。


「結論から言えば、ヒールは優れた魔術師でも会得するのは簡単ではありません。」


「ですよね」


まぁ、そうか。治療師が溜息を吐いた時点で、薄々勘づいてはいたのだ。


「医療魔法は繊細な魔力制御と、人体構造への深い理解が必要です。適性があったとしても訓練無しでは———」


「無理、と。」


「ええ。ほぼ確実に。」


だが、治療師は否定だけで終わらせなかった。


その事だけで、シタより人の心があるのが分かる。


「ただし、貴方の魔力の流れに違和感はありません。素質が皆無、というわけでも無さそうですね。」


「マジで!?」


思わず身を乗り出しかけると、治療師は人差し指を悪戯っぽく額に押し当てた。


「まぁ、使えるようになるかは別の話ですが。」


緑の光は次第に弱まり、やがて完全に消えた。


頭の痛みは嘘のように引いている。


立ち上がってみても、視界は安定していた。


頭が軽い。


喉の調子も絶好調に感じる。


これは⋯


「⋯すげぇな、ヒール?」


ぽそりと呟くと、治療師は僅かに口元を緩めた。


「その感想、初めて受けた方の多くが口にしますよ」


———世話になった治療師に頭を下げて診察室を出ると、


外の空気が一段と新鮮に感じられた。


扉の向こうでは、シタが退屈そうに待っている。


こちらに気付いたのか、シタは立ち上がって俺に声をかけてくる。


「終わった?」


「あぁ。後で話すけどさ⋯」


俺は額を叩きながら言う。


「医療魔法、マジですげぇ」


シタは一瞬きょとんとした後、いつもの無表情に切り替えて言う。


「⋯元気そうで何よりね」


その言葉に、内心で大きく頷いた。


——確かに。さっきまでとは比べ物にならない。


「よし!終わったから飲みに行こう!」


勢い良く宣言する俺に、シタは呆れたように瞬きをする。


「随分切り替えが早いわね」


お前に言われたくは無いけど、自分でもびっくりしてるんだ。この体調の変わりように。


まるで生まれ変わったみたいだ。


心なしか心も綺麗になった気がする。


「回復したからな。というか、約束は守ってもらうぞ。酒代全負担!」


指を指してそう言うと、シタは否定しきれない様子で視線を逸らした。


「⋯減らしなさい。飲む量を。」


「はいはい」


絶対に遠慮はしない、と固く決意しながら扉を押し開けて、病院から出る。


酒場目掛けて歩き出すと、街の通りには夕暮れの色が落ち始めていた。白い石畳が桃色に染まり、建物の影がゆっくりと伸びていく。

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