第六話  光炎龍戦



嫌な笑みを浮かべるシタに俺は辟易とした。


「いや⋯ちょ⋯本当に言ってる?」


「貴方の武器はお飾りなの?」


そう嫌味を言いながら俺の背中にトンと手を当てる。


それから押し出すように、


「心配しなくても、貴方のその魔力量ならそう簡単に死なないわ」


と、微笑んだ。


「こいつ⋯」


喉の奥で吐き捨てるように呟いた。


追いすがりたい気持ちは確かにあった。それでも、足はもう彼女の方を向いていない。


自分の無力感に歯を食いしばり、俺は前へ踏み出した。


一歩、また一歩。踏みしめる度に砂利が乾いた音を立てる。


その音が鳴る度、胸の奥を何かに掴まれる。


心臓が早鐘を打ち、逃げ場のない焦燥だけが体を満たしていった。


ふと振り返る。


そこには、いつの間にか小指の爪ほどに小さくなったシタの姿が、薄く残っていた。


再び前を見ると、山肌に蠢く影は形を持ち始めていた。


ただの影ではない——そう理解した瞬間、背筋が冷えた。


ギラリ。


焔の瞳。焦土を這う巨大な胴と、山火事のように紅く燃える鱗が、


今、確かな輪郭を得る。


「光炎龍⋯!」


瞬間、視界が真紅に染まった。


巨大な体を更にデカくして翼を広げようとする。


「お、おい待っ⋯!」


そう言いかけた時、強風な風が俺の体を運んでいく。


負けじと目を開くと、空がすっかり龍に覆われ、俺は影に取り込まれていた。


「こんなもん、勝てるかぁぁぁぁああ!!」


俺はこの龍の前爪にも満たぬ大きさでいた。


(そうだ。逃げよう)


俺は紅の空に背を向け走り出す。みっともなく息を切らしながら。


その時、背中が異様に熱くなった。


何事かと振り向けば、龍が口腔に白熱の光を溜めている。


「まっ⋯まっ⋯!!」


次の瞬間、光の奔流が放たれた。一瞬で焼け焦げた空気が鼻をつんざく。


避けた⋯つもりだったが、足元が剥がれ爆風にすくわれた。


「ぐぅっ⋯!!」


背中を大地に叩きつけられ声が出ない。


熱気が肺に漏れ入って肌を刺してくる。どれ程飛ばされたのか、遠くで、光炎龍の咆哮が聞こえた気がした。


その声と背中に走る痛みだけで、敵わないと思うのに十分だった。


それでも俺は拳を握る。足を踏みしめる。何故なら、


この身体の奥底から沸き立つ熱をどうにかしたかったんだ。


———ボトッ。


いつかに聞いた、気の抜ける音。


胸の中心から光が溢れてくる。俺は地に落ちたソレを握った。


いつ握ったのかも覚えていない、勇者の証。


「⋯よし」


声は自然と低くなった。気合というより、腹の底で決めた、そんな感覚だ。


龍が再び首をもたげる。


視線があった瞬間、背筋がひやりとした。


「やるしか、ないよな⋯」


自信なんて大層なものじゃない。ただ、俺が勇者であるという憎き事実が


背中を押しているだけだ。


走る。


熱風に逆らって向かっていく。


足元が爆ぜる度、跳ね上げられる体を無理矢理制御して前へ、前へと


不安定な山路を駆け抜けた。


そんな俺を、龍の爪が負ってくる。


——ああ、来ると思っていたさ。


力任せに杖を爪へ立てる。


「っ⋯!」


鈍い衝撃。だが、弾かれる事は無く、それどころか想像よりも深く食い込んだ。


杖とは思えない食い付きで、俺の体を持ち上げていった。


「ッどぁぁぁぁぁ!?」


俺の体は四方八方に振り回される。が、食い込んだ杖は完全に獲物を離すまいとしていた。


流石 勇者が使った武器。なんて逞しい。


今は、木の枝に見えない。だが流石にこのままだとまずい。


俺は紙一重に杖を引き抜いて龍の鱗へ突き立てた。


カキィィンッというまるで鋼の様な音を奏でるばかりで、傷一つ付きやしない。


硬すぎる!


「テメェコラおいコラァ!!」


弾かれた音が耳に残る。それでも、ここで引くのは格好悪い。


龍の尾が唸り、大地を砕く。


砕けた石の破片が弾丸のように飛び散った。


轟音が鼓膜を裂き、鼻から血が流れてくる。


「はっ⋯はっ⋯!」


五感が狂いそうになる。恐怖で足が竦んでいる。


——でも、こんなに恐い相手を倒したら、ご褒美的な何かで元の世界へ戻れるかもしれないし。


かも、しれねぇし!!


轟音と共に、龍が咆哮した。


山全体が震える。


俺の鼓膜もそろそろ弾ける頃だ。


「来いよ⋯!」


血を垂れ流しながらも、俺は強く杖を握りしめる。


だが、相手は天空を覆う巨体と人知を超えた閃撃型。


正々堂々真正面から衝突した所で、俺に勝ち目がない事くらい分かる。


(あっ。)


飛び出してきた妙案に、思わず肺一杯空気を吸い込んだ。


「シタアアアアアアアアアアーーーッ!!」


米粒ほどにも見えぬ姿目掛けて、俺は命を預けて叫んだ。


「コイツの弱点、何処だああああーーっ!?」


偉大なる光炎龍様の背中にしがみつきながら必死に叫ぶ姿は我ながら滑稽だと思う。


そもそもだ。


どうして最初に敵の弱点を教えてくれない。


ぶっちゃけ無くても、一番重要な所だろう。


全く、遺憾の極みだ。


渾身の叫びが届いたのか、シタは膝を沈めた。


次の瞬間。地面が鈍く凹む。跳躍——そんな生易しいものじゃない。


空中で射出した糸を足場に、更に速度を上げつつそのまま真っ直ぐ此方へ飛んでくる。


さっきまで遠距離の地上にいた筈のシタは、気付けば光炎龍の影の中に入っていた。


まるで瞬きをしたその一拍の隙に、空間そのものをスキップしたような移動速度。


凄いけど⋯凄いけど!!


「なんっっで黙ってんだよ!!?」


シタは、動かない。


影に沈んだまま、乾いた視線だけをこちらに寄越してくる。


本当に何を考えているのか分からない、無機質な目。


いや、何を考えていようがもうどうでもいい。


コイツ、嫌いだ!!


「⋯⋯⋯⋯」


沈黙、その瞳に映る俺は一体どんな姿なんだ。


「はーーーーーーーーーーーーやーーーーーーーーくーーーーー!!」


喉が潰れそうなほど叫ぶ。汚くてもダサくても命が惜しけりゃ関係ない。


だが光炎龍は容赦がない。


背中に張り付いた俺を振り落とそうとしているのか


身体を激しくうねらせた。


視界はぐるんぐるん回転し、上も下も分からない。


「敵しかいねぇぇぇ!」


少しぐらついた瞬間、すかさず光炎龍は首を持ち上げ、空気が震えるくらい大きく喉奥で閃光を溜め始めた。


死期を悟った俺は、今までの人生を振り返り始めた。


思い出す事は、やはり後悔ばかり。


唯一嬉しかった記憶は、なけなしの十円玉で削ったスクラッチが、


購入金額と同じ額だけ戻ってきた事だ。


⋯虚しい。


その時———


「目玉」


シタが告げた。


砂を踏む音にすら負けそうな、小さな声で。


感情の起伏はなく、冷え切った口調だった。


「おっっっっっっっせぇぇぇぇぇぇよぉぉぉぉ!!」


俺は涙目で絶叫する。


そんな俺を連れたまま、光炎龍はぐんと高度を上げた。


シタの姿はみるみる遠ざかり、またしても点ほどに小さくなってしまった。


地上に取り残されたシタは、変わらず無表情のことだろう。


しかしまぁ、弱点は分かったぞ。


「ふっ⋯」


俺は勝ち気に口元を吊り上げた。


そんな俺が気に入らなかったのか、光炎龍が再び灼熱の吐息を溜め込み始める。


「お前、すげぇよ⋯」


顎が外れそうな程に口を開く龍は、まさに地獄の門そのものだった。


称賛の声を浴びるに値したが⋯


残念だ。


何故なら———


「俺に殺されるからぁ!!残念でしたぁ、この血濡れ龍!!」


両手に握った杖を振り上げ、俺は全力で空を切り裂いた。


耳に空気がビュンと飛ぶ音が掠める。


加減など存在しない。そんなものはもう、背中を叩きつけられた瞬間から捨てた。


「ッらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


全力で加速した杖が手から離れ、遥か彼方へ一直線に飛んでいく。


そして俺の思惑通り、その軌跡を目にした光炎龍はそちらに気を取られ、


一瞬俺の存在を忘れたかの様だった。


その隙を突き、俺は渾身の力で拳を握りしめ、


光炎龍の弱点、巨大な眼球へと腕を振りかぶった。


「ぶち抜けぇぇぇぇぇぇ!!」


熱で歪んだ空気ごと、固めた拳は眼球へ振り下ろされた。


グチュッ という不快な感触と共に、俺の拳は見事龍の眼球に直撃した。


(よっしゃ!直撃し———)


『ギャアアアオオオオオオオオオーッ!!』


ついに鼓膜が引き裂かれたかと錯覚してしまう程、光炎龍は激しい咆哮を始めた。


休める暇など無く、同時に体を大きく震わせ、空中をのたうち回る。


翼や尾が風を裂き、俺は風圧で飛ばされぬよう拳を深く深く眼球へめり込ませた。


『ギャアアアアアアアアアアアアア!!』


轟音で視界が揺れる。今にも手放しそうな意識を必死に掴みながら、


俺はもう一度、もう一つの手で龍の目玉に爪を立てた。


「ガハッ⋯ッ!⋯!」


もう早く終わってくれ⋯!と、思いきや、吐き気が募っていく。


口の端から血泡が吹き零れて、地面に跡を作った。その時、ついに。


『ギャアアアアアアアッ!!』


光炎龍という名に相応しい、燃えるような咆哮を最後に巨大な体がガクンと揺れ、


急激に降下を始めた。


いきなりの事に、俺は宙に投げ出されてしまった。


一緒に落ちてくる龍の降下圧に体を持っていかれ、まさに、宙を舞う。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!」


コレは完全に喉を切った。あまりの痛さに涙が出る。


決して怖いからではないのだ。


俺は、必死に両足を地面へ向け、膝を曲げて衝撃を受け止める準備をする。


その瞬間、龍の尻尾が俺の背中を打ち付け、逆さになっていた体が宙でひねられた。


——そして、奇跡的に足から着地した。


膝と足首⋯全身がギシギシと悲鳴を上げ、土埃が巻き上がった。


力なく体がぐらりと傾いたが必死に重心を整え、なんとか立ち続けられる。


奇跡の生還に感動している暇もなく、俺は上空から迫りくる巨影を見上げた。


光炎龍の死体が、今にもここら一帯を押し潰そうと降り注いでくる。


「やべぇっやべぇ!おいシターーーッ!!なんかっ、なんかっ⋯!


どうにかしてぇぇぇぇぇぇぇー!」


命乞いを兼ねた叫びが、山間に情けなく響き渡った。


急いでその場から駆け逃げると、遠くからシタの声がした。


俺はもう御役御免だ。


ぐんと近くなった場所から、シタの声が聞こえる。


※※


「⋯まぁ、言いたい事があるけれど、後での方が良さそう。」


そう、シタが淡白に呟く。


その声と同時に彼女は掌を合わせ、胸の前で拍手の姿勢をとった。


『パンッ』———と小さな音が立てられた。


その瞬間、まるで時間が止まったかのように周囲の音が静まり返った。


息を呑みながら瑠衣は思わず目を見張る。


だがそれでも残像に見える速度で、手から鋼の様に鋭く輝く糸が飛び出し、


光炎龍の巨体に絡みつき、空中でピタリと停止させたのだ。


「す、すげぇなやっぱその能力⋯」


その糸の威力に感嘆の声を漏らした瑠衣に、シタはふっと優しく囁いた。


「人任せな勇者。」


そして、軽やかに糸を操りながら光炎龍の死体をゆっくり地面へ下ろす。


空から降りるその巨大な影は、まるで紅い雲が沈むようで周囲の空気さえも張り詰めていた。


瑠衣はその光景に興奮して忙しなく近寄って来ては次々と褒め言葉を口に出す。


「す、すげぇよシタ!天才!何なんだよその糸!やるじゃん、もう惚れちゃうって!」


「邪魔。退いてくれる?」


呆れるシタがそう言った次の瞬間、全力で褒め続けていたはずの瑠衣の体は力なく崩れ、地面に倒れ込んだ。


状況が掴めず戸惑いと焦燥が入り混じる瑠衣を横目で淡々と見下ろすシタは、


冷静そのものの声でぽつりと告げた。


「身体を酷使し過ぎたのね。本当に情けない勇者。」


瑠衣の体はとうに限界を超えていたのだ。


その冷たい声を耳にしながら、瑠衣の意識は次第に薄れていったのだった。

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