第五話 ゴブリン討伐記
「え、嫌だけど。」
賑わうギルド内に、俺の声だけがやけに浮く。
酒場スペースの笑い声や皿の音が一瞬止まったような気もした。
数人の冒険者達がちらちらとこちらを伺う中、
その横で依頼書を持つ女、シタが無言の圧をかけてくる。
「あ、お姉さん!麦酒5杯!」
構い無しに注文を続ける俺にシタが依頼書を突き出してきた。
『ゴブリン討伐』———と書かれた紙をじろりと見つめる。
距離はそこそこ、報酬もまぁまぁ。
だが、わざわざ危険を冒すほどの話でもない。
それに今は問題もあるのだ。
昨日からシタの機嫌がやたらと悪い。
今も半目に睨みを利かせ、俺を見下している。
こんな奴とゴブリン討伐なんて、ゴブリンでなくともこなせるわけがない。
「…で、行くの?」
眉一つ動かさずに問いかけてくる。
声は相変わらず平坦で、何を考えているのかさっぱり分からない。
「行かねぇ」
「もし何事も無く依頼を終えることが出来たら、酒代を6割負担してあげる」
その言葉に、俺のジョッキを上げる手は空中でピタリと止まった。
「ろ…6割……!」
あまりの数字に衝撃を受け、思わず大げさに顔を引き攣らせている所に、
シタはもう一度依頼書をぐい、と突き出してきた。
いつも無表情なだけに、勝ち誇った様な顔は妙に分かり易い。
数字に目が眩んだ俺は渋々依頼書へサインをした。
するとシタは「待ってました」と言わんばかりに雑踏の中を通り抜けていく。
「ほら、馬車出る。遅れる。」
手を伸ばして急かしてくる彼女の気配に、慌てて会計を済ませる。
まだ飲みきっていない、頼んだばかりの酒が机にぽつんと置かれているのを見て、
俺は少し名残惜しさを感じた。
「はいはい…!」
小銭を放り出す様に置き、逃げるようにその背中を追いかけた。
ギルドの喧騒がぴしゃんと閉じ、外の空気を吸い込んだ瞬間、これから始まるであろう
キツい現実にじんわりと胸が沈んだ。
ギィ…と軋む音を立てながら馬車に乗り込むと、シタは既に窓際の席へ腰を下ろし、
外をぼんやりと眺めていた。
その横顔をチラチラ見ている内に、この狭い空間で二人きり、数時間揺られ続ける
という事実が急に押し寄せてきて手汗が滲む。
「…何をしているの」
呆れたような、温度のない声、そんな視線がゆっくりと俺に向けられる。
「いやぁっ…何ていうかぁ…」
裏返る声を手汗が滲んだ手で抑える。
自分でも情けなく思える挙動不審っぷりだが、シタはまるで虫でも見るような冷えた目で、
「早く乗りなさい」
と、短く催促した。
恐る恐るシタの正面へ腰を下ろしたその瞬間、
馬車が’’ドン’’ッと跳ね、俺は勢い良く天井へ頭をぶつけた。
「いっ…っっだぁ!!」
さっきまでの緊張感は失われ、代わりにつむじへ激震が走る。
涙目になる俺を他所に、シタはさっきの揺れにも微動だにせず外の景色を眺め続けていた。
※
ガタゴトと単調に揺れる馬車の中で、時間だけが容赦なく積み重なっていく。
シタは何時間も飽きず窓の外に視線を固定したまま。
まるで石像の様だ。
俺はと言うと、最初の緊張こそ消えたものの、沈黙の圧力に耐えきれずに
何度も足を組み替えたり視線を泳がせたりしていた。
けれど話し出す勇気もなく、ただ同じ空気を吸うだけで心臓がおかしなリズムを刻んでいた。
やがて、車輪が土を噛む音が少しずつ荒くなり、木々の影が窓に濃く映り始める。
街道から外れ、森に踏み込んだと感じる。
更に数分すると突然車体がギイッと重たい音を立てて停止した。
御者が窓越し言う。
「着いたぜ、ここから先は歩きだ」
シタは音もなく立ち上がる。その動作に馬車が揺れることはなく、
俺が立った時の軋み音だけがやけに響いた。
少し遅れて腰を上げ、少し痺れた足を引きずるようにして外へ降りる。
途端に、湿り気を含んだ雨上がりの土道の様な匂いが濃く鼻を掠める。
シタは木々の奥を真っ直ぐに見据えたまま、小さく息をついた。
その背中に追いつくと、シタは何も言わず歩き出す。
馬車が完全に見えなくなるほど森の奥地に踏み入った所で、
木々の隙間に、ぽっかりと口を開いた怪しい洞窟が姿を現した。
湿った冷気と、鉄と泥を混ぜたような生臭い風がゆっくりと流れ出ている。
その風が背中を撫でた瞬間、肌が粟立った。
足跡へ嫌な寒気が落ちていく。
つまり、’’とんでもない悪臭’’という事だ。
シタは森の入口からずっと、この洞窟を見据えていたのだろうか。
———そうだとすれば、正直末恐ろしい。
なんて洞察眼だ。
おずおずと隣を見ると、シタは既に戦闘態勢に入っていた。
無表情のまま掌から糸を引き出し、指に巻き付け、軽く引いて強度を確かめている。
「俺はお前が冷静すぎて怖いんだが…」
「貴方が怖がり過ぎなのよ。たかがゴブリン。アイスガルムを相手にしておいて今更何言うの」
シタは糸から目もくれず、取り合わない様に言った。
「そ、そうかなぁ…」
はは、と乾いた笑いを零して前へ進んでいく。
そんな風にしている内に、いつの間にか空気がじっとりと肌に張り付くように
重くなってきた。
落ち葉を踏むたびに、パキッと乾いた音が響く。
その普通は小さな音がやけに大きく聞こえるほど、この洞窟は静まり返っていた。
不自然なくらい。
————その筈だが。
「…聞こえる」
シタが歩みを止め、耳を澄ませる。俺も思わず呼吸を浅くし、周囲の音に意識を張り巡らせた。
最初は風がヒューヒューと洞窟の壁を撫でる音だけ。
だが、その奥に、微かに混じる。
濁ったようで、潰れたようで、喉奥から絞り出したような———
『ギ、ギャ…ギギッ……』
ひしゃげた金属を擦り合わせる様な、そんな不気味な声だ。
「キモッッ!!」
俺が思わず後退ってしまうと、反対にシタは一歩前に出た。
「瑠衣、準備」
洞窟の奥からひしめく気配が押し寄せてくる。
息の詰まる湿気と、濁った獣の匂いが鼻を劈いている。
先にシタが暗闇へと掌をかざした次の瞬間には、揺れる無数の影が
怒号のようなひしゃげ声と共に、その姿を現した。
『ギャギャアアアアアア!!』
「えっ…多くねぇか!?」
俺の悲鳴が響いた、その瞬間、横に居たシタはもう地を蹴っていた。
シタは躊躇無いままに、ゴブリンの群れへ突っ込んでいく。
俺も段々と暗闇に目が慣れてくるにつれ、その輪郭がはっきりとする。
小柄な体躯に不釣り合いな長細い腕、汚れた牙、そして何と言ってもその目立つ
肌の色。紅色の濁った瞳。
(ゴ、ゴブリンだ…!)
感心している場合ではない。
シタは天井すれすれを滑るように移動しながら腕を軽く振った。
その指には、細く、鋭く、空気をも切り裂く戦が光った。
シュッ…!
糸———いや、最早刃とも言える。
光を反射するほど鋭い’’ワイヤーブレード’’が、シタの指先からふわり、と広がり
空中に複雑な軌跡を描いた。
またたく間に
ビュンッ!! ザシュッ!!
と、風を裂く音が何重にも走り、ゴブリン達の動きが止まった。
「ギッ…ギャ…」
ゴブリンの耳だけが地面に落とされていく。
耳だけを落とされたゴブリンが、自分の身に何が起きたのか理解できずに
もがく様が痛々しい。
だがそれも、数秒経つとピタリと止まり次々に倒れていった。
俺ですら呆気にとられ、今ので何体倒したのか把握するのに時間を取ってしまった。
「俺、まだ杖出してすら⋯!」
そんな俺の横で、シタは壁を蹴り、天井をバネに、また空中へと舞い上がっていく。
まるで影のように軽く霊の様に音が無い。
ただひたすらに指先を弾いている。
光の線が十層にも重なり、五重にも交差する。
ピシィッ!! ピシィッ! ピシュイッ!!
そんな、空間そのものにヒビが入った様な音。
そんな音が重なる中、ゴブリンの耳が次々と宙を舞っていく。
血の花が咲き、激臭で鼻が曲がりそうだが、シタはに見入ってしまい俺は聖杖を握りしめるだけだった。
俺が居なくても、もう片付きそうなのだ。
そんな上だけを見る俺に、ゴブリンがジリジリと迫っていたがシタは振り向きもせず指先を軽く返して追っ払ってしまう。
スパァンッ!!
視界の端で耳が飛ぶ。
気付けば俺の足元には、転がってきた耳やゴブリンの死体がゴロゴロと転がってきた。
「おっ⋯おぉ⋯生きて⋯死んでるよな⋯?」
俺は震える手で聖杖を構え、念の為死体の脇腹をつついてみる。
⋯まるで干からびた魚でも触っている気分だ。
洞窟全体に響き渡る悲鳴と斬撃の中、空中から冷たい声が落ちてくる。
「勇者の名が廃れる一方ね」
「うるせぇなぁ!!今必死に耳集めてやってんだろぉ!?」
いくら虚勢を張ろうが、俺の目にはシタの動きがもう残像にしか見えなかった。
悔しいが今は、この女に命を守られている。
地面に不快な音を立てて、落ちる耳の数———数十、五十。
やがて、洞窟に静寂が戻る。
シタが格好良く着地し、糸を掌へ収めていく。
ずるい。俺もやりたい、そういうの。
「終わり」
「⋯すご⋯。」
安堵に腰が抜けた俺は、聖杖を床に突きながら言う。
「クソ⋯俺一体も倒してない⋯」
「早く出よう。ここは空気が悪い。」
嘆く俺などお構い無しに洞窟の出口へ進んでいく。
その背中には色々な言葉をかけてやりたいが、今はただ追いかけて行った。
※
洞窟の外へ近付くにつれ、空気は少しずつ軽くなっていった。
先程まで鼻を突いていた血と湿気の混じった臭いが薄れ、代わりに森林の清い香りが流れ込んでくる。
俺は足元の小石に注意しながら、聖杖を肩に担ぎ直した。
緊張が解けたせいか、今になって膝がガクガクと笑い始める。
「⋯なんかやけに重いんだけど。」
何十個と入ったゴブリンの耳袋を指差してそう言うと、少し前を歩くシタは振り返りもせず答える。
「途中でゴブリンロードが混じっていた」
シタは歩調を変えない。淡々と足を進めていく。
「⋯⋯⋯は?」
洞窟の天井から、水滴がぽたりと落ちた。
その音に肩が跳ねる。
「いや⋯お前⋯」
さも何でも無い事の様に答えたシタに、俺は音が遠のく。
「生きているから問題無いでしょ」
「結果論過ぎるんだよっ⋯!俺も巻き込まれてたらどうしてた⋯!!」
俺は頭を抱えながら、改めて周囲を見渡した。
倒れたゴブリンの影はもう見えない。ただ、切り裂かれた岩肌と、床に残る細い血の筋だけがさっきまでの戦闘を物語っていた。
やがて、前方に淡い光が見えてくる。
出口だ。
冷たい風が頬を撫で、洞窟特有の圧迫感がふっと抜けた。
「⋯外だぁ⋯!」
森の空気は澄んでいて、さっきまでの惨状が嘘のようだ。
俺は大きく息を吸い込み、空を見上げる。
「なんかもう⋯酒とかいう気分じゃないな」
「⋯じゃあ、どういう気分?」
「んー⋯」
言葉を探している間に森に渡る空気は熱を持っていた。
さっきまで涼しく思えたのは、洞窟の中があまりに窮屈だったからなのか
慣れてしまうと、やはり陽を感じる。
どんな気分かと問われれば、言い表すのも難しいな。
胸の奥に残っているのは、達成感でも安心感でもない。今は、ただ取り返しのつかない所まで来てしまった、という実感だけ。
質問に答えずにいる俺を、シタは深堀りしてこなかった。
良い意味でも悪い意味でも、シタは人に興味がないのかもしれない。
「お前、楽しそうだな」
「⋯私には貴方のほうが幸せそうに思えるけれど」
やはり淡々とした声だ。
人間なんだ。同じ様に生きて、同じ様に傷ついているはずなのに。
何を感じ、どう生きようとするかは、こんなにも違う。
それは、やはり生まれた世界が違うからなのか。
そう思うと俺は少し寂しさを感じ、息を吐いた。
少し遅れて駆け寄りシタの隣に並ぶ。
「なぁー。約束忘れてないよな?」
「何の話?」
「おま⋯酒代6割負担!!」
無言のまま、また前を行くシタは先程より幼気な背中だった。
「冗談よ。ギルドに依頼完了の報告を済ませたらちゃんと————」
——
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