第二話  シタ・グローシャル



俺は、どういう訳か自宅の便所から突如として異世界なる場所に放り出されてしまった。


確証はないが、聖杖という特別な力を持った杖も授かってしまった。


そして一番の問題は、俺が勇者になってしまった事だ。


目の前に転がる老魔道士が亡くなる前に、「俺が勇者だ」と明白に告げた。


そして勇者に委任されてしまった以上、魔王とやらまで倒さなければなくなった。


どうしてそんな面倒なことになってしまったのだ。


いくら考えても理解に苦しむ。


だが説明してもらおうにも、俺を召喚した張本人であろう召喚士はポックリ逝ってしまった。


そのせいで、元の世界への帰り方すら分からなくなってしまったのだ。


有り得ない。俺はこれから魔王を倒す他無いということなのか?


そんなのは駄目だ。


そんな大役、俺には無理だ。


期待も勇気も無い。ただ恐怖だけが体の芯を冷やしていく。


俺はただ、自分の掌に穴が空くのか気になっただけなのだ。


誰が伝説の聖杖を握りたいと言った。


「俺は…俺は本気で死ぬのか?」


これからの事を考えると喉が震え、言葉が勝手に零れた。


現実離れした出来事が続きすぎていつの間にか死を意識し始めていたのだ。


が、滑稽だ。


怖がっていた筈なのに、いざ死が近づくと心は妙な落ち着きを取り戻す。


何度も経験した、心の逃避。


本当に俺は…逃げ続ける事しかできないのだな。


そんなやつが勇者だと?全く皮肉な話だ。


「ハハ…」


喉の奥で乾いた笑いが小さく跳ねてすぐさま風に溶けた。


目の前には、果てしない大草原が広がっている。


草と土と陽の匂い。


遠くで小さな鳥の群れが立派な影を作って飛び回っている。


その自由さが妙に癪に障った。


結局、前に進むしか無いのだ


ここに立っていたって心がざわつくだけなのだから。


踏みしめた草が、ざり、と短い音を立てる。


誰も居ない広大な大地で、その音だけが


俺がここに確かに存在していると伝えてくれた。


その事に、心臓は落ち着きを取り戻しつつある。


死を意識しすぎたせいか、逆に頭が開き直っているようだ。


いっそ清々しい程に冴え、


この国の何処かに俺を助け出してくれる、俺より英雄がいるはずだ


なんて都合の良い期待が見えてくる始末。


「それにしても、足が何か変だ。」


地面を踏んでいる感覚がまるでない。


重力を吸い取られているみたいだ。


さっき拾わされた伝説の聖杖は、取り敢えずポケットに突っ込んでおいた。


枝にしては妙に硬く、歩くたびに太ももに当たって邪魔だ。


本当にただの枝じゃないなら


こんな乱暴に扱ってはいけないんだろうが、俺は信じてないからな。


だがもしこの妙な感覚が’’勇者の権能’’とやらの成果なら———


移動だけは間違いなく助けられる事になる。


「…案外悪くねぇか?」


口にしてから、自分でも少し驚いた。


こんな状況でそんな言葉が出るなんて思っても無かったからだ。


絶望のド真ん中にいるはずなのに。


焦りを上回った余裕みたいなものが湧いてくる。


これは権能ではないよな?


もし心の加護とかの仕業だったら相当やばい。


そんなものに頼って魔王を倒したところで、その頃の俺は…


人間かどうかも怪しいだろう。


その未来は、背中をなぞる様な寒気になって落ちてきた。



人っ子一人居ない広大な草原を抜け、果てしない距離の末に


栄えた街の入口にたどり着いた。


門らしき門を潜るとようやく人の気配が見え、沈みかけの夕日が石畳に淡く反射し、噴水の水飛沫さえ美しく輝いていた。


「ここがペーパー国の街…。いや、異世界の…」


ぶつぶつ呟きながら、俺は街中へと足を進めた。


そこに広がる世界は、本当に別世界の街に感じた。


とは言っても、俺が想像していたような異形頭やキメラ達は、そこには居なかった。


至って、普通の街。


元の世界へ戻る手がかりを知る者がいないか、俺は慎重に街を歩き進めた。


通りを見渡せば、流石異世界だ。見たこともない形の文字がびっしり詰まっている。


建物ごとに掲げられた看板には、異国めいた文字列が並び、それぞれが「俺を見ろ」とでも言いたげに主張していた。


一文字一文字はなんとなく理解できそうなのにいざ繋がると意味だけがすっぽりと抜け落ちてゆく。


その半端な感覚が、やけに気持ち悪い。


それに石畳の商店街は、日暮れも関係無しに活気がある。


一目で分かる、引きこもりに優しくない雰囲気。


店先の掛け声、焼かれる肉の香ばしい匂い、走り回る子供のはしゃぎ声。


その全部が俺の不安をぶっ飛ばしてくれりゃいいのに、実際は食い物の匂いに腹が小さく鳴るだけだった。


「そういや腹が減ってるな…」


腹を撫でながら気が付けば、俺はよだれを垂らして商店街を彷徨っていた。


香ばしい匂い、甘い匂い、謎の匂いまで逃さず嗅ぎ取っていく。


鼻孔が忙しく思っていると、


前方に影。いや、影じゃない。


そんなちっぽけなモノではない。重圧が迫ってきた。


殺気立った大男が、鬼の形相で近づいてくるのだ。


鋼のような腕に肩の上で笑っている鋭利な斧。


(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!)


瞬時に周囲を見渡し、俺は一番近いドアノブを反射的につかんだ。


判断というより、逃避本能だった。


ガチャッ————————!


そのまま勢い良く店へ飛び込み、扉を閉める。


「セーーフ……!!」


窓越しに通り過ぎていく化け物を見届けて、背中から体温が戻ってくるのを感じる。


はぁ…助かった…と胸を撫で下ろした、その時。


店内を見渡してみると、額に傷のある大男や、傍らに鎌を立てかけている女、


まだ小さな子供に見える奴が飲酒してるのが、目に飛び込んできた。


…あまり良さそうな雰囲気ではない。視線も空気も、一段と重い。


むしろ、皆こちらを睨んでいる気さえした。


無意識にドアの位置を確認してしまう。


だが見覚えある視線達に、俺は硬直してしまう。


目を逸らしても、絡みついてくる黒い視線。


お願いだ。頼むから注目しないでくれ。


そう強く願いながら目を瞑り逃げたその時、


俺は何者かに吹き出した汗を拭われた。


ぱっと目をやると、赤い目をした店員らしき服装の人物が微笑んでいた。


「1名様ですか」



「あ…?あっ…はい…」


しまった、と思った頃にはもう手遅れだった。


店員に、伝票の端に迷いなく「1名様」と書かれる。


俺はこのお世辞にもいい店と言い難い店で食事することになってしまった。


だが、目の前の優しそうな女だけが救いだった。


席に案内される間も此方を品定めしているような視線は耐えなかったが、


その女は俺のことを柔らかい視線で見てくれた。


案内された席に着くと、「何歳でおられますか」と優しい女の店員が聞いてきた。


俺はすかさず答える。


「健全な17歳です」


「はい、かしこまりました!ご注文をどうぞー!」


そう言って手渡されたメニュー表を受け取る。


適当に流していると、


「本日は麦酒がお値下げ品です!」」


そう言って店員が指さした物は、明らかに酒であった。


俺は疑うように尋ねる。やはり見かけで人を判断してはいけない。


「あの、俺まだ未成年ですけど?」


店員は不思議そうに眉を動かして返してきた。


「お客様は成人済みでおられます。10歳を超えていらっしゃいますから。」


その言葉に、俺はまた耳を疑った。こっちの世界では、10代が20代なのか。


だったら、入口付近で酒を手にしていた子供にも納得がいく。


もしかしたら…この店はごく普通の店なのかもしれない。


何だか一気に、俺へ向けられていた視線が引いていく気がした。


そうとなれば話は別だ。俺は乗り気で酒を一杯注文した。


暫くして、店員がジョッキを手にやってくる。


ゴクリと生唾を飲み込んで、結露が垂れるジョッキへ手を伸ばした。


元いた世界では犯罪になってしまう事を、この世界では当たり前にできてしまうのか。


誰も気に留めないのか…。


それって、なんか凄い背徳感があるな。


「っ…!」


俺は一気にジョッキを煽った。途端に、乾いた喉に炭酸が大きく弾ける。


「————ップハッ!」


喉を落ちていく熱を帯びた液体が、腹の底までじゅわっと沈み込む。


言葉が出ないまま息だけが吐かれていく。


人生初めての酒がこんなにも裏切ってくるとは。


想像していた大人の罰ゲームみたいな苦しさは何処にも無い。


それより喜んで俺はもう一杯、またもう一杯と追加していく。


酒の他にも沢山の料理を頼んで、腹も心もすっかり満たされてった。


なんだ、ここは楽園じゃないか———。



腹が満たされると同時に、見事に酔いというものも回りきっていた。


ふわふわと宙に浮く、既視感のある感覚を楽しんでいると


何やら背後が騒がしくなった。


「んん~〜〜?」


ぼやけた視界を手でこすり騒ぎの方向へと目を向けた瞬間、息が止まる。


…そこに居たのは、美の概念そのものだった。


白磁の肌に呼吸を忘れる程に整った顔。


見惚れるほど、どこかおぞましい、女。


静かに店の扉を閉めたその女は、まっすぐ此方へ向かってくる。


近づけば近づく程美しい。


俺は本当に酒を飲んでいて良かったとつくづく思った。


もし酒を飲んでいなければ、この恐ろしい美しさを前にして気絶していただろう。


俺の席を行き過ぎる直前だった美女に、俺は酒を手にしながら指を指した。


彼女は足を止め、冷めきった瞳だけを此方へ寄越してくる。


見れば見るほど美人だなぁ…。


ついでに豊満な胸まで持ち合わせているとは。


まさに天は二物を与えている。


「うん!採用!」


思わず声が弾んだ。


まるで目前の毒餌に飛びつく犬。


「…?」


その怪訝な顔を見た瞬間にハッと目が覚める。


気持ちの良い暖かさはたちまち、青い寒さへと早変わりしていく。


「アッ…あの…」


どうにか言い逃れようと身振り手振りしていると


美人な女は顔色一つ変えず俺へ言い放った。


「貴方、勇者。」


沈黙が流れる。


「その杖、勇者の物でしょ。」


ポケットからはみ出す聖杖を指指して、女は続けた。


「蘇ったというのは本当だった様ね。でも…」


そう言いかけて、俺の顔を見ては溜息をつく。


いくら美人でも人の顔を見て溜息をつくとはとんだ冷徹暴君だ。


この女に向けていた恋心は、今しがた消え失せた音がする。


そうとなれば、もうこいつにしどろもどろする必要は無い。


「何か…俺勇者らしいね」


また沈黙が流れる。


ジョッキを手にしながら適当に返しすぎたかと焦りを飲み込んでいると、


女はもう一度溜息をついた。


ムッとしている俺を他所に、女は机に散らかった数々の食器を丁寧に数え始めた。


それから、俺の腕を掴んだ。


「え。」


「来なさい。」


「いや、金…!」


「もう払ったわ。」


この世界の奴は人の腕を掴む習性でもあるのか?


驚く俺を無視して、強引に退店させられる。


何が何だか分からず俺は連れられるがままだった。


外へ出ると、月明かりのみに照らされた街道が広がっていた。


夕に見たものとは違う儚さを帯びていたが、女が月明かりを背に立つものだから


顔が見えなくなって俺は落胆し、それどころではなくなった。


「あの、こっち立ったほうが…」


「貴方の名は。」


お構い無しに続ける女の問いに、俺は仕方なく答える。


「瑠衣だよ」


「瑠衣。貴方は、その身なり以上に強大な力を持っています。しかし、貴方はそれを理解していない。」


女はやたら真剣そうに言った。


「貴方には仲間が必要です。」


「…仲間、ねぇ。」


正直、そこまで深く考えていなかった。


他力本願の癖がついてしまっているのだろう。


(まぁ確かに、それに立ち向かう良い機会なのかもしれない。)


妙に納得させられた俺は腕を組みながら女に問い掛ける。


「…じゃ何?お前俺の仲間になってくれんの?」


そういうと女は歩き出した。会話してんのに離れんなよ。


「…私、魔王を殺したいの。」


静かな不気味さが、夜の風に乗って俺の頬を撫でる。


その冷たさが風のせいだとは、何故か思えなかった。


「協力してくれるなら協力する。それだけの事。」


ただ淡々と話す女の声がまるで作り物の様に感じる。


————俺は、別に仲間など要らない。


危険なことに首を突っ込んで死ぬつもりは毛頭ないから。


それでも、どう思っても、口だけが勝手に従いたくなった。


「…俺、役に立たないよ。」


情けない声が漏れた瞬間、自分で自分にゲンナリした。


この女に頼れば、がむしゃらに進んでいくよりかは楽に行く筈なのに、


どうしてこうも強がらずに居られないのだ。


いや、強がってなどいないな。事実、俺は一人でやっていける。


ずっとずっとそうだったからさ。


「———いいえ。貴方は強い。とてもね。」


その言葉を理解するのに少し時間がかかった。


今、なんて言った?


俺が、強い?それも、とてもだと?


思わず眉をひそめる。何を言い出すかと思えば、この女は。


「冗談は———」


胡乱な目で顔を上げると月明かりが、彼女の輪郭を淡く縁取っていた。


夜風に靡く白い髪が、やけに静かだ。


少し…淋しい気もする。


「冗談はよせよ」


そう言ったつもりだった。けれど声は思ったより弱々しく、うまく伝わらなかったかもしれない。


実際に女は笑うことも否定もせずに、ただ何処かを見つめていた。


暫くそうしたあと、やっぱり届いていなかったように言った。


「…そうね。強さって派手じゃないもの。」


その言葉に言い返す言葉が見つからず、服の裾をギュッと掴む。


布が軋む音だけが大きくなって届いてしまう。


月明かりの下、彼女はもう一歩も動かない。


俺を見ているようで、見ていない。本当のことは逆光によって分からない。


今の状況———無理だ。逃げたい。


だが逃げ道を探す思考が次々と潰れていく。


「…まだ、戦ったことが無いのでしょう。」


長く伸びた沈黙を先に破られ、本当に逃げられなくなった。


しかも、問いですら無い。


確認でも断定でもない。ただ事実を置かれた。


胸の奥のガラスに亀裂が走る。「戦ったことが無い」。


事実だ。でも否定したかった。


俺だって必死に生きてきた。


何を言われても気にしないようにしてきた。自分で幸せを作る力を持った。


頑張って、きたのに———。



「…あぁ…。うん。そう。俺戦った事無いの。笑えるでしょ。」


「では明日、アイスガルムの討伐へ行きましょう。討伐依頼が出ていたわ。」


唐突に告げられ、俺は一瞬、瞬きを忘れた。


「ア、アイスガルムって…!なんでそうなるんだよ!というか初討伐依頼でアイスガルムって何だよ!?どう考えても新人向けじゃねぇじゃん!!」


アイスガルムと聞けば、全身が硬い氷の鎧に覆われたSランクの狼だ。


まさかそんな巨獣を初めての討伐相手にするなんて…


思わず顔を手で覆いたくなる。


辟易する、というより泣きたくなってきた。


目の前の女は相変わらず冷静沈着そのもの。その視線は


俺が悶えている間も微動だにせず淡々と俺を捕らえている。


「…お前マジでヤダもう…」


顔と胸が無ければ、俺の嫌いな人間の特徴を全て兼ね備えている女だ。


今からこいつとやっていくと思うと不安しか無い。


「一刻も早く魔王へ近付かなければならないのに、何を腑抜けているの。」


顔こそ美しいものの、こうして平気で毒を吐いてくる所は直してもらわなければ。


今の俺にとって、危険人物は魔王ではなくこの女だろう。


だが、拍子抜けだった。


俺の弱い心を踏み荒らしてくるつもりかと思ったが、


どうやらそれは俺の被害妄想だったらしい。


「…お前、名前は?」


既に疲弊しきった俺とは違い、涼しい声色で答える。


「シタ・グローシャル。」


「シタね、よろしく。」


月明かりと思わぬ出会いに、すっかり酔いが恋しくなってきてしまった。


シタと過ごす明日はきっと忙しくなるだろうから、今日のうちに飲み溜めしておこう。


「おい、お前付き合えよ」


渾身の飲みのポーズでシタを誘っても、返事は


「嫌。」


と、冷たいものだった。


この冷徹暴君は放っておいて、俺は残されたあまりに短い夜を目一杯楽しむとしよう。

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