後編

 彼女は不治の病だった。自己診断したのだろう、たくさん勉強をした成果だった。それがもたらしたのは、絶望だ。

 それでも彼女は、望みを捨てようとしなかった。病を押して勉学に励み、宇宙飛行士になろうとしていた。

 ICUで眠る今は、その続きも、人工衛星の観察も叶わない。


 僕は彼女に付き合う、そう決めた。大学に戻り、彼女の状況を伝えてから、教授に申し出る。

「あの人工衛星を回収します。どうすれば宇宙飛行士になれますか?」


 それは狭き門だった。宇宙開発機構に入るのも、宇宙飛行士の選抜試験も、そしてその訓練も過酷を極めた。言葉の壁を突破して、訓練に耐えうる身体を作り、限界を超える訓練に耐えた。

 何より僕には、優秀な先生がついている。


 彼女だ。

 ICUの眠り姫だが、勉強の付き合いも、宇宙の話もしてくれないが、僕を宇宙飛行士へと導いた。彼女が走り書きしたメモの意味も、今ではわかる。


 人工衛星回収のミッションが発表されると、僕は迷わず挙手をした。

「重要にして、非常に危険なミッションだ」

「承知しております」

「君がスペースデブリになるかも知れない」

「覚悟しております」


 犠牲は最小限がいい、と望みを伝えて、僕ひとりだけが飛ぶことになった。地球のための、僕のためだけの訓練が続いた。


 そしていよいよ、飛び立つ日。

 ロケットの先端に収められた、丸く小さな宇宙船に世界中が願いを託した。

 僕は、宇宙しか見ていなかった。


 カウントダウンがゼロになり、ロケットが一斉に火を吹いた。耐えがたいGにひらすら耐えて、ロケットを何度も切り落とし、大気圏を突き抜ける。


 すべてが消えた。果てしない真空に、僕はひとりぼっちでいる。

 いや、ひとりじゃない。僕の胸には彼女がいる。光差さぬ空間は、僕と彼女の夢と希望の光。

 そして軌道の先には、子供たちの夢であり、人類の絶望が漂っている。


 人工衛星。彼女が手紙に記したとおり、スペースデブリを巻き込んで成長している。一万メートルの大気を切り裂いてもなお、燃え尽きないほど。その映像を地上に送ると、仲間たちの嘆息が届いた。


『回収は不可能だ。マニピュレーターで解体して、少しずつ大気圏に突入させてくれ』


 最悪の事態に備えて、全身を攣りそうになりながら、その訓練を実施していた。ひとつのミスが地球を破滅させる、無重量空間での繊細な作業だ。

 指示どおり、マニピュレーターでスペースデブリを掴み取る。が、複雑に絡み合ったそれは、とても解体できそうにない。


「無理だ、このまま帰還する」


 地上の仲間が息を呑む。


『やめろ、君が流れ星になってしまう』

「それは覚悟の上だ、みんなもそうだろう」

『冷静になれ、想定をはるかに上回る質量だ』

「信用してくれ、冷静だ。そして信頼してくれ」

『信頼する君を失いたくない。軌道修正、あるいは地球から遠ざければ、それでいい』


 仲間の心配を振り切るように、スペースデブリを抱えて姿勢を変える。モニターが映すのは、ひしゃげた太陽電池越しに広がっている、今から僕が帰る星、宇宙に託したメッセージを返す場所。

 宇宙船の姿勢を制御し、空と地上の合間を狙い、ロケットを噴射させた。


 賭けだった。絡みついた人工衛星を燃やすため、長く空気に触れさせる。だがそれは同時に、宇宙船の機体を焦がす。限界を超えてしまえば、仲間たちの忠告どおりになってしまう。

 機体を燃やしてしまわないため、スペースデブリを宇宙船の正面に据える。


 帰還中、モニターに映る白い炎だけを見つめた。次第に小さくなっていくそれから、核だけは失いたくなかったからだ。

 大気を切り裂き、欠片が彼方に消えていく。砕け散って星になるたび、マニピュレーターを操作して芯へ芯へと手を伸ばしていく。

 宇宙に届けたメッセージが燃え尽きてしまわないよう。


 次第に大きくなる空気抵抗、マニピュレーターの限界を超えた。人工衛星と宇宙船は、猛烈な大気圧でドッキングする。

 彼女に彼女の声を届ける使命が、僕にある。

 その刹那、パラシュートを展開した。太陽電池の翼よ、パラシュートを焼き尽くさぬよう、広がっていてくれ。


 モニターが映す視界が開けた。スペースデブリが燃え尽きた。砂の平原が広がっている。速度は安全な範囲にまで低下している。

 着陸、滑走、砂の航跡、舞い上がる砂塵。


 どれだけ疾走ったのだろう。変わらない青空と、次第に姿を現す発射台。よく知る地形、安全は担保されている。またこの減速度なら、衝突するリスクは限りなく低い。

 君の言葉を抱えた宇宙船は、発射台の遥か手前で停止した。


 生きている。生きて地球に帰還した。


 宇宙船に大気を取り込み、船内も地球のひとつにする。機体の温度は、まだ高い。ひとりでハッチを開けるのは危険だと、窮屈な船内ではじめて身体を弛緩させた。

 そうするうちに、仲間たちが駆けつけた。機体に砂をかけて冷やし、触れられる程度になってから、ハッチを開ける。


「心配かけて、すまなかった」

「いいんだ、君が無事であれば」

「それで、回収した人工衛星は?」

「焦るな。それより先に君の身体だ」


 宇宙船から引っ張り出されて、ストレッチャーに寝かされる。救急車に押し込まれて、流れるように医務室へ。身体に異常がないと判明して、見守っている仲間に再び尋ねた。


「それで、人工衛星は?」

「内部に損傷はない、完璧だ」

「メッセージは無事なんですね」

「ああ。今、みんなで聞いている」


 ベッドと身体を軋ませ起き上がる。無理をするなと心配する仲間に支えられながら、あらゆる言語で語られる夢のもとへと向かっていった。

 そして、彼女の番になった。


「私、宇宙飛行士になりたいの」


 変わらない夢、志半ばで潰えた夢、諦めきれない夢が、幼い声で語られていた。

 湧き上がる喜びに、思わず顔がほころんだ。たまらず僕は、寄り添う仲間に申し出る。


「この声、僕にいただけませんか?」


 ICUで眠る彼女が、意識を取り戻してくれると信じて。

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Starduster 山口 実徳 @minoriymgc

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