Starduster

山口 実徳

前編

「宇宙飛行士になりたいの」

 それが彼女の口癖だった。

「だから勉強に付き合って」

 それも彼女の口癖だった。


 放課後、塾通いのあと、ふたりで補講。宇宙の話を挟みながら、彼女が用意したテキストを進める。

 そうしているうち、僕も宇宙に魅了されていた。彼女が語る宇宙は、実際のそれより広大で、静かで穏やかで、目いっぱい背伸びをすれば手に届きそうな現実だった。


 日が落ちて月が出て、星がまたたく頃になると、彼女はテキストをパタッと閉じた。

 いつもの時間、彼女は天体望遠鏡を覗き込む。


「見える?」

「……うん」


 彼女がじっと見つめているのは、人工衛星。宇宙開発の一環で打ち上げられた、メッセージ衛星だ。厳正な抽選により選ばれた、世界中の子供たちから託された声を載せて、地球の周りを回っている。

 彼女のメッセージも載せているから、それが宇宙飛行士を目指すきっかけになったのだろう。


 人工衛星を見つめる彼女は、真剣だ。天体望遠鏡で見ているのは夢などではなく、掴み取りたい現実だった。それが証拠に、スコープから目を離さないままメモをしている。罫線を無視した殴り書きで、僕が読んでもサッパリわからない。


「毎日、何を書いているの?」

「……うん……ちょっとね……」

 こうなってしまえば、彼女に手を付けられない。僕は荷物をまとめて、そっと帰るのみだった。


 さて大学選びだが、彼女は予想を裏切らない。

「勉強に付き合ってくれないの?」

 彼女が受験するのは、宇宙飛行士を目指すために必須な超難関校。付き合いで入れるような大学ではないが、宇宙開発を仕事にするのが、そして宇宙に飛び立つ彼女の背中を押すのが、掴み取れそうな夢になっていた。


 それもこれも、彼女の勉強に付き合っていたせいだった。

 彼女は生徒でありながら先生だった。彼女が行き詰まった問題を、ふたりで考えて解いていく。そうするうちに、僕は難関校に入れる学力を得ていた。


 ふたり揃って難関校に、それも宇宙開発に関わる学部に入った。

 授業の難易度は天井知らずに上がったが、僕たちの日々は変わらなかった。授業のあと、僕は彼女の勉強に付き合って、時間が来れば彼女は天体望遠鏡をじっと見つめた。


 それ以上でも、それ以下でもない日々が続いた、ある夜。彼女の机にエアメールが置いてあった。

「どこ宛て? 宇宙開発機構!? 宇宙飛行士になりたいって直談判でもするの!?」

「まさか……。プロセスは嫌ってほど勉強したじゃない」

「嫌ってほど? 嫌になっていないくせに」

 なんて冗談を交わした、数日後。とあるニュースが世界中を震撼させた。


『我々のもとに匿名の手紙が届きました。その内容について精査したところ、ひとつの人工衛星が軌道を外れていることが発覚しました。複数のスペースデブリと絡み合い、数年後には燃え尽きることなく地球に、地上に落下します。大規模なクレーターを形成し、膨大な砂塵を巻き上げ、地球全体から光を奪います。つまり……地球に危機が訪れています』


 モニターに写された手紙の字は、紛れもなく彼女のものだった。僕は大学に急いで彼女を探す。が、どこにもいない。電話をかけても応答がない。学友に聞いても、教授に聞いても居場所は掴めない。

 僕は、彼女の家に向かった。しかしそこには、人の気配がまるでない。重苦しい空気と静寂だけが、不穏な粘度で漂っていた。


 行場を失ってしまった僕に、近所の人がおずおずと声をかけた。

「あなた、ここのお知り合い?」

「この家の女の子の同級生です」

 嘘偽りなどないと、学生証を提示する。近所の人は信用し、神妙な顔をして知る限りのことを話してくれた。


「まぁ……。その子、病院に搬送されたのよ。酸素マスクをつけて……総合病院に行ったのかしら」


 取り急ぎ礼を告げ、総合病院へと向かう。ICU前の長椅子では知った顔が、彼女の両親が石のように硬直し、ただひらすらに祈りを捧げていた。

 切れ切れの息、そのわずかな合間に何を問うか。迷っている僕に気づいて、彼女の両親がハッとして顔を上げた。

 両親も、何を伝えるべきか迷っていた。縋るように立ち上がり、僕の腕にしがみついて、震えた。


「差し支えなければ、教えてください。彼女に何があったんですか」


 酷だと思った。しかし、聞かなければならない。彼女を宇宙に飛び立たせるのは、僕でなければならないからだ。

 嗚咽を漏らす母親に代わって、父親が姿勢を改め口を開いた。


「君も知っているだろう、娘が宇宙飛行士にと。その夢を叶えるために、病気をひた隠しにしていたんだ。そんな……いつまでも隠せるはずがないのに……」


 たまらず僕は、父親の肩を掴んだ。責めるつもりはなかったが、うつむく父親に迫った僕は、誰の目からもそう映っていた。

 看護師が僕を引き離す。だが、僕は何も知らないうちは引き下がれなかった。


「やめてください、ここは病院です」

「彼女は、彼女の容態は、彼女の病名は何ですか」

 彼女の両親は、血相を変えた僕に謝り続けた。僕もまた、謝らなければいけなかったのに。

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