第4話:夜風がそっと拾う記憶
夜の空気は、昼間よりもずっと
静かだった。
窓を少しだけ開けると、柔らかな
夜風が部屋の中へ流れ込んでくる。
その風は、今日一日の疲れを
そっと撫でていくようで、
遥は思わず目を閉じた。
机の上には、開きかけの参考書
とノートが広がっている。
資格の勉強を始めて数日。
まだ慣れないページの多さに、
時折ため息が漏れてしまう。
けれど、歩き出すと決めた以上、
少しずつでも前に進みたいと
思っていた。
ふと、ノートの下から一枚の
封筒が顔をのぞかせた。
薄いクリーム色の封筒。
角が少し丸くなっていて、
長い時間を経た紙だけが持つ、
柔らかな手触りがあった。
「……懐かしい」
遥はそっと封を開ける。
中から出てきたのは、
昔の友人からもらった手紙だった。
忙しさに紛れて、ずっと読み返して
いなかったもの。
便箋には、あの頃の文字が
そのまま残っている。
少し癖のある丸い字。
読み進めるうちに、胸の奥が
じんわりと温かくなった。
──焦らなくていいよ。
──あなたは、あなたの歩幅で
進めばいい。
その言葉を読んだ瞬間、
遥の中で何かが静かにほどけた。
あの頃の自分は、
今よりずっと不器用で、
何かにつまずくたびに
立ち止まってしまっていた。
そんな自分を責めてばかりで、
前に進むことが怖かった。
けれど、この手紙だけは、
いつも優しく背中を押してくれた。
夜風がカーテンを揺らし、
紙の端がふわりと浮いた。
その揺れが、まるで記憶そのものが
呼吸しているように見えた。
「……ありがとう」
小さく呟くと、
その言葉は夜の静けさに
溶けていった。
けれど、消えたあとに残る温度は、
確かに心を温めていた。
遥は手紙を丁寧に折りたたみ、
封筒に戻す。
そして机の上にそっと置いた。
過去の自分を責める気持ちは、
まだ完全には消えていない。
けれど、夜風に揺れる
カーテンの音を聞いていると、
その痛みが少しずつ形を
変えていくのを感じた。
記憶は、痛みだけではない。
誰かの言葉が、
あの日の自分をそっと
抱きしめてくれていたことも、
確かに残っている。
遥は窓を少しだけ開け広げ、
夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「大丈夫。きっと、進める」
その言葉は、
夜の静けさの中でゆっくりと
形を持ち、遥の心にそっと灯りを
ともした。
そして、机に向き直る。
ページをめくる音が、
夜の部屋に静かに響いた。
夜風がそっと拾った記憶は、
もう痛みではなく、
優しい灯りになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。