第2話:雨のリズムに寄り添う声

空は朝から薄い灰色をしていた。

雲の境目が曖昧で、どこから雨が

落ちてきてもおかしくないような

空気。

その予感は昼過ぎには現実になり、

仕事を終えて外に出た頃には、

細かな雨が静かに街を濡らして

いた。


遥は傘を開き、ゆっくりと歩き出す。

傘に落ちる雨粒が、一定のリズムで

軽やかな音を立てていた。

その音は、今日の出来事を思い返す

には少しだけ優しすぎる。


後輩のミスを庇ったことで、

上司にきつく叱責された。

責められるほどのことではないと

分かっていても、

言葉の鋭さは胸の奥に残り、

その残滓が今もじんわりと

痛んでいる。


「私がもっと上手くやれれば

よかったのかな……」


そんな考えが浮かんでは消え、

消えてはまた形を変えて戻って

くる。

雨の匂いが混じった冷たい

空気を吸い込みながら、

遥は歩道の端をゆっくりと進んだ。


ふと、ポケットの中で

スマートフォンが震えた。

画面には、親しい友人からの

短いメッセージが表示されている。


──大丈夫。あなたは、

あなたのままでいいよ。


たったそれだけの言葉。

けれど、その一文が胸の奥に

そっと触れた瞬間、

張りつめていた何かが静かに

ほどけていくのを感じた。


傘に落ちる雨音が、さっきよりも

柔らかく聞こえる。

まるでその言葉に寄り添うように、

雨がリズムを変えたかのようだった。


遥は立ち止まり、深く息を吸った。

雨の匂いは、どこか懐かしい。

子どもの頃、雨の日に窓辺で

聞いていた音を思い出す。

あの頃は、雨の音が世界を

包んでくれるようで、

不安も寂しさも、すべて溶かして

くれる気がしていた。


「……大丈夫、か」


自分に向けて呟くと、

その言葉は雨音に溶けて、

静かに消えていった。

けれど、消えたあとに残る温度は、

確かに心を温めていた。


歩き出すと、街灯の光が雨粒に

反射して、

小さな光の粒が宙に浮かんでいる

ように見えた。

その光景が、今日の痛みを

少しだけ遠ざけてくれる。


雨は止む気配を見せない。

けれど、遥の足取りは先ほど

よりも軽かった。


雨のリズムに寄り添う声が、

確かに自分の中に届いている。

その声がある限り、

今日のざわつきも、きっと静かに

形を変えていく。


遥は傘を少し傾け、

雨の匂いを胸いっぱいに

吸い込んだ。


そして、静かに微笑む。


雨の夜は、悪くない。

そう思えるだけで、

今日はもう十分だった。

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