第2話【検証】ケルベロスは撫でると懐くのか
配信開始から数十分。
俺、アキトは猛ダッシュで「奈落」の荒野を駆け抜けていた。
視界の端には、相変わらず凄まじい勢いでコメントが流れている。
同接は40万を突破。人間界のトップ配信者でも、記念枠でようやく届く数字だ。
それが、ただ走っているだけの映像で維持されている。
「ハァ……ハァ……! よし、あそこなら身を隠せるか……?」
俺が目指したのは、岩場に空いた小さな横穴だ。
だが、近づいた瞬間、索敵スキルが脳髄に警報を叩きつけた。
――ガァルルルルッ!!
穴の奥から飛び出してきたのは、三つの首を持つ巨獣。
地獄の番犬、ケルベロス。
人間界のランク分けで言えば「災害級(Sランク)」。国家予算をかけた討伐隊が組まれるレベルの化け物である。
「……ッ、マジかよ」
俺は急ブレーキをかけ、カメラを構え直す。
逃げるか? いや、背中を見せれば即死だ。
戦うか? 支援術師(バッファー)の火力スキルじゃ傷もつかない。
だが、俺の目はケルベロスの「異常」を捉えていた。
三つの首が、互いに噛みつき合っている。殺し合いじゃない。何かが気に入らず、イラついている――そんな動きだ。
俺は覚悟を決め、カメラに向かって告げた。
「……よし。企画変更だ」
空中にウィンドウを出し、配信タイトルを高速で書き換える。
『【検証】ケルベロスは撫でると懐くのか』
コメント欄が一瞬でどよめいた。
@魔界の一般兵:
正気か? あれは「焦熱の狂犬」だぞ
@インテリ・ゴブリン:
自殺配信か。だが、興味深い(5,000魂貨)
俺は支援魔法の準備(セットアップ)を開始する。
対象は自分じゃない。ケルベロスだ。
「グルルルァッ!!」
真ん中の首が、俺の頭を食いちぎろうと迫る。
俺は鼻先スレスレでステップを踏み、掌を突き出した。
「――《フィジカル・エンチャント(身体強化)》、モード・微細振動!」
本来は筋力を底上げするバフ魔法。
だが俺は、それを皮膚の表面にだけ薄く展開し、“揉みほぐすための振動”に変換していた。
俺の手が、剛毛に覆われた喉元へ触れる。
ズドガガガガガガッ!!
電動工具みたいな重低音が響いた。
攻撃じゃない。これは――最強の「マッサージ機」だ。
「ギャ……ガ、ゥ……?」
ケルベロスの動きが止まった。
三つの首すべてが、驚愕に見開かれている。
(原因は……これか)
剛毛の根元、皮膚に張り付いた微細な黒点。魔界の寄生虫――いわゆる“魔界ダニ”だ。
俺は振動を深く通し、かゆみと凝りをまとめて潰す。
「ここか? それともこっちか?」
両手で三つの首を交互にワシャワシャと撫で回す。
正確には、撫でているんじゃない。
《防御力低下(デバフ)》で皮膚を柔らかくし、《敏捷性強化(バフ)》で指先の動きを加速させ、最適な圧で揉みほぐしている。
「クゥ〜ン……」
数秒後。
災害級の魔獣は、俺の足元で腹を見せて転がっていた。
三つの舌をだらしなく出し、完全に脱力している。
俺はカメラに向かって、サムズアップを決めた。
「検証完了。……ケルベロスは、魔法で撫でると猫になる」
その瞬間、コメント欄が見たことのない速度で爆発した。
@サキュバス姉さん:
は???? 可愛すぎるんだが???(10,000魂貨)
@暗黒騎士団長:
あの振動魔法……対人戦なら致命傷を狙える高度な術式だ。それを、まさかマッサージに使うとは(50,000魂貨)
@スライム伯爵:
俺も撫でてくれえええええ!!
通知音が重なりすぎて、ブザーみたいな音に変わる。
翻訳機能のおかげで和やかに見えるが――要するに魔物たちは、俺の手際にドン引きしつつ熱狂していた。
「地味な作業なんだけどな……」
俺にとっては、パーティメンバーの鎧のメンテナンスや、疲労抜きのマッサージで日常的にやっていたことだ。
勇者たちには「お前、マッサージうまいな。便利だわ」としか言われなかったが。
ふと、コメント欄に一際目立つ、金枠の極太文字が表示された。
@深淵の貴婦人:
素晴らしいわ、アキト。
獰猛な獣を、暴力ではなく「心地よさ」で鎮めるなんて。
貴方のその技、とても価値があるわね。
直後、画面が赤く染まった。
【@深淵の貴婦人 が 1,000,000魂貨 を投げました】
【@深淵の貴婦人 が 1,000,000魂貨 を投げました】
【@深淵の貴婦人 が 1,000,000魂貨 を投げました】
「っぶ!?」
俺は思わずむせた。
ゼロの数が多すぎる。魂貨のレートはまだ把握しきれていないが――たぶん、これだけで城が建つ。
「あ、ありがとうございます、深淵の貴婦人……!?」
@深淵の貴婦人:
お礼はいいわ。もっと見せてちょうだい。
貴方がこの「地獄(ここ)」で、どうやって命を輝かせるのかを。
背筋がゾクリとした。
ただのファンじゃない。この視聴者は、何かとんでもない上位存在だ。
だが、悪い気分じゃない。俺の技術(スキル)には、それだけの価値がついたのだから。
俺は眠りこけるケルベロスを背に、岩場の影へと腰を下ろした。
手に入れた大量の魂貨。これを使えば、貧弱な装備を一新できるかもしれない。
震える指で、デモン・チューブの『ショップ機能』を開く。
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次回:『【解説回】地味バフが“神業”扱いされる理由』
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