Ep.02

 放課後のショッピングモールにある大型文房具店は、戦場跡地みたいな有様だった。

「バレンタイン特設コーナー」と書かれたピンク色のポップが、無残に傾いている。

 棚は荒らされ、人気のあるサイズのラッピング袋は軒並み売り切れ。

 残っているのは、業務用みたいな巨大な袋か、逆に何を入れるんだかわからない極小の袋だけ。


 その残骸の前で、制服姿の女子高生たちが殺気立った目でハイエナのように獲物を探している。


「これしかなくない?」

「えー、ダサいし」

「マステでデコればいけるって」


 彼女たちの会話には、「恋する乙女」の慎ましさなんて微塵もない。

 あるのは「ノルマをこなすための物資調達」という、冷徹なリアリズムだけだ。


 私もその一人として、ワゴンの中を掘り返していた。

 指先がカサカサする。

 静電気が起きる。

 店内に流れるJ-POPのラブソングが、大音量すぎて頭痛を誘発する。


 私のカゴに入っているのは、透明な袋にピンクのタイがついた、50枚入りの業務用パック。

 百均で買うよりは割高だけど、ここで買えば「ちゃんと選んだ感」が出せるという、せこい計算の産物だ。


「これは、友チョコ用」


 心の中で誰かに言い訳をする。

 クラスの女子全員と、部活の後輩と、あと一応男子にも何人か。

「いつもお菓子くれるし」「お世話になってるし」

 そんな義理と人情と、クラス内の円滑な人間関係維持のための必要経費。

 それがこの50枚入りパックだ。


 でも。

 私の右手は、ワゴンの一番奥に落ちていた、別のものを掴んでいた。


 茶色いクラフト紙の、小さなボックス。

 中にはトリュフがちょうど二つ入るくらいの、シックな仕切りがついている。

 リボンは落ち着いたネイビー。

 値段は380円。

 50枚入りのパックと変わらない値段だ。


「……これも、友チョコ用」


 嘘だ。

 喉の奥で、嘘が苦い味になって広がる。

 こんな箱に入れるほどの「特別な友達」なんて、私にはいない。

 これは、どう言い訳しても、どう取り繕っても、彼用だ。


「もしも」の時のために。

 教室の空気が奇跡的に緩んで、渡せるチャンスが生まれた時のために。

 あるいは、放課後にたまたま二人きりになれて、「余ったからやるよ」って自然に言えた時のために。


 そんな「奇跡」なんて起きないってわかってるのに。

「渡さない」って決めて、自己防衛の壁を高く積み上げたくせに。

 その壁の裏側で、こっそり抜け道を用意している。

 卑怯だ。

 自分が一番かわいい奴のやり方だ。


 レジの列は長蛇だった。

 前の列に並んでいるのは、どこかの他校の先輩カップル。

 彼女の方が「これ作ったら食べてくれる?」と甘えた声を出している。

 彼氏は「おー、毒入ってなきゃな」なんて、満更でもない顔で返している。


(死ねばいいのに)


 反射的にそう思った自分の性格の悪さに、また自己嫌悪が積み重なる。

 他人の幸せが、今は猛毒ガスみたいに肺を焼く。


 店を出ると、外はもう真っ暗だった。

 北風が強くて、スカートの中がスースーする。

 手の中のナイロン袋が、風に煽られてガサガサと耳障りな音を立てる。

 その音の中に、「お前はバカだ」という嘲笑が混ざっている気がして、私は袋を強く握りしめた。


 帰宅後。

 台所は、甘ったるい地獄になった。


 安売りの板チョコを何枚も手でバキバキと折る。

 指がチョコで汚れるのも構わず、ただ破壊衝動をぶつけるみたいに砕いていく。

 ボウルに入れて、湯煎にかける。

 熱湯の湯気が立ち上り、チョコが溶けていく匂いが換気扇の容量を超えて充満する。


 吐き気がした。

 チョコの匂いって、こんなに暴力的だったっけ。

 もっと幸せな匂いじゃなかったっけ。

 大量のチョコがドロドロに溶けていく様は、なんだか私の煮え切らない感情が可視化されたみたいで、見ていて気持ち悪い。


「……何やってんだろ、私」


 独り言が漏れる。

 母親はまだ仕事から帰ってきていない。

 静まり返った家の中で、チョコをかき混ぜるゴムベラの音だけが、ネチャ、ネチャと響く。


 溶かしたチョコに生クリームを混ぜ、型に流し込む。

 冷やして固める。

 ココアパウダーをまぶす。

 単純作業だ。

 工場で働くロボットみたいに、無心で手を動かす。


 固まったトリュフを、例の透明な袋に詰めていく。

 49個。

 雑に詰める。

 どうせ数合わせだ。質より量だ。


 そして残った、一番形のいい2個。

 いびつじゃない、ココアパウダーも均一にかかった、奇跡的に綺麗にできた2個。

 それを、あの茶色い箱に入れる。


 手が震えた。

 箱に入れるという行為が、何か決定的な契約書にサインするみたいで怖かった。

 これを入れて蓋を閉じてしまったら、もう「ただの材料」には戻れない。

「彼への想い」という、一番扱いに困る物体になってしまう。


「……余ったら、私が食べるし」


 誰も聞いていないのに、また言い訳をした。

 もし渡せなかったら。

 もし彼が「いらねーよ」ってオーラを出していたら。

 私が自分で食べて、証拠隠滅すればいい。

「美味しくできたなー」って笑って、胃袋の中に葬り去ればいい。


 大丈夫。

 逃げ道はある。

 私はまだ、安全圏にいる。


 そう自分に言い聞かせて、私は箱の蓋を閉じた。

 パチン、と軽い音がした。

 その音は、私の退路を断つ鍵の音みたいにも、未来へのカウントダウンの音みたいにも聞こえた。

 冷蔵庫の奥、家族に見つからない一番下の棚に、その箱を隠すように押し込んだ。

 冷蔵庫の冷気と一緒に、私の熱すぎる自意識も冷凍保存してくれればいいのに、と本気で願った。

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次の更新予定

2026年1月14日 07:00
2026年1月15日 07:00
2026年1月16日 07:00

【短編】「今年は渡さない」と決めたバレンタイン。マウント取り合う教室の地獄に耐えられず、私の精神が嫉妬で崩壊するまでの記録 月下花音 @hanakoailove

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