生聖回帰3
朝、帰宅すると宅配物が届いていた。
眠い目を擦りながらそれなりに大きなダンボールを受け取ると、意外にも中身は軽い様で片手で持ちながら受け取りのサインをした。
差出人の名は、彼女の父親だった。
ーー何だこれ。
ーーさあ……開けてからのお楽しみ〜
早々に眠りにつきたかった僕はそそくさとダンボールを開封する。
中には中南海のカートンが詰まっていた。ぎっしりと。
僕も彼女もヘビースモーカーで、部屋が真っ白になるほど煙をふかしていた。
猫への副流煙を最初は気にしていた彼女も、僕らが煙草を手に取るとどこへともなく姿を消すのを確認してから気にせずスパスパと吸う様になった。
中南海、女にしては渋い銘柄だと僕が零せば、昔観た映画で吸ってる人がいたの、それでかっこいいなーって憧れてーーミーハーな女だ、というのが正直な感想だった。
しかも彼女はライターを使わず、マッチで火をつける。
「マッチを擦る時にはね、外側じゃなくて内側へ向けて擦るの。そうすると煙草に火がつけやすいでしょ?」
「危なくないかそれ」
「いーの。映画ではそうやってつけてたんだから!」
どこまでもミーハーな性格の彼女は、煙草を嗜むのに浪漫を求めていたらしい。
煙草が値上がりする時、たったの40円ぽっちなのに10カートンも買い込んでしまったと言っていた。
「大きい目で見れば節約になるから」
そう言って自慢げに笑っていたくせに、ダンボールには未開封の9カートンと三箱の中南海が詰め込まれていた。
僕が呆れながら中身を出していると、カートンの隙間から封筒が零れ落ちた。
こちらにも律儀に僕の名前と、彼女の父親の名前が達筆な文字で記されている。
娘の遺品を整理していたら君の住所とこれを送って欲しいとのメモが見つかった。
不要なら破棄して貰っても構わない。
我が家ではもう誰も必要としないものだ。
押し付ける形になってしまって済まない。
そんな内容が殊更丁寧に認められていた。
彼女の父親も愛煙家だったと聞くが、体を壊して辞めたのだとか。
僕も彼女も死ぬなら肺癌でと決めていたから、禁煙するつもりは毛頭ない。
彼女は肺癌になる前に死んでしまったが。
ーーよりによって遺産がこれって……。
ーーだってもったいないじゃない。
七箱しか空けられていない煙草。
彼女はこれを吸いきるまで生きるつもりだったのだ。少なくとも。
それを突発的な何らかの衝動に駆られてーー
ーー俺の銘柄と違うんだけど。
ーー煙草が切れて買うのめんどくさくなった時の代打にでも吸ってよ。度数あんまかわんないでしょ。
ーー俺のはセッタの14なんだけどな。
こちらの都合も意思も聞かずに押し付けてくる身勝手さ。しかも返品も破棄も出来ない様なブツを。
しかも忘れた頃に届けてくる様わざと遺書には書かなかったのだろう。
生前と変わらぬ、自覚のない迷惑な行いに深くため息をつく。
とりあえず猫がダンボールで遊ぶ前に中身をクローゼットへ全て押し込む。
睡魔が限界に近い今、懇切丁寧に直してやれる気力はなかった。
空いたダンボールは早速猫が収まっている。少しスペースが余るのか、人体では不可能な稼働性で体を遊ばせている。
ーー嫌がらせか?
ーーえ、なんで酷い。5万円分の遺産だよ。
ーー荷物が増えて邪魔なだけだろ。
ほらとっとと寝るぞ。
彼女の返事も待たずに僕はカーペットに寝転んだ。
些細な意趣返しとして、今日は腕枕も抱き締める事もせず、彼女がいるらしき方に背を向けて入眠の体制に入る。
眠りに落ちる寸前、不貞腐れた彼女の顔を幻視した気がした。
「そんなの無理だろ。俺の嫌なこと全部、やめるなんて」
「辞めるよ。君にもう嘘つきたくないから。君だけを世界にしてしまいたいから」
「…………俺は、君に負担をかけたくない」
でも本当はそうして欲しいんだろ?
昨晩から、目覚めが良くない。
夢見が悪いのか睡眠が浅い所で留まって、ゆっくりと眠れていない。
今朝は生前の彼女とのやり取りを夢に見た。
夜の公園。いい歳こいて無邪気に遊具で遊び回って、ジャングルジムのてっぺんに登れただけで自慢げな顔をする彼女。
僕は携帯灰皿に灰を落としながら傍観していた。
彼女は虚弱体質で体力もないくせに、ハイになるとどこまでも駆けずり回る犬の様な女だった。本人は猫派で実家で飼っているのも猫四匹らしいが。
夢の中の彼女は足があって、ちゃんと姿が見えて、声も聞こえた。
目覚めた僕の隣にあるのは、彼女と同じ長さの髪の毛だけだ。
不十分な睡眠で拭えぬ疲労感に寝直そうとも、目を瞑っても一向に睡魔の訪れる気配はない。
カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の陽射しに、今が夕刻と知る。
睡眠時間的には充分すぎるほど眠っていた様だ。
仕方なく身を起こし、スマホを手に取る。
彼女からの連絡は来ていなかった。
寝起きにコーヒと煙草を嗜む習慣があったので、冷蔵庫に向かう。一番手前にあった微糖を持ち帰り、蓋を開けて煙草を手に取る。
火をつける寸前、ふと、クローゼットに入れなかった三箱の中南海が視界に入った。
他のカートンは未開封だったので並べて押し込めたが、この三箱だけはお世辞にも整頓されているとは言い難いクローゼット内で遭難されるのも面倒だと、机に積み上げておいた。
うち一つの、封が切られているものを手に取る。残り17本。3本吸った時点で、彼女はこの世を去ったのか。せめて開封した一箱くらい吸い切ってしまえばいいものを。
引き出しを漁り、以前訪れた喫茶ライオンで貰ったマッチを発掘した。名曲喫茶として営業中ずっとクラシックのレコードを流し続け、客の雑談も小声でしか許されていない、格式高い喫茶店だ。彼女がどうしても行きたいとせがむので付き添ったが、僕自身もかなり気に入ったので、今では一人でたまに訪れている。
装丁に凝ったライオンのロゴが刻まれたマッチ箱を暫く見つめた後、一本取り出してソファに腰を下ろす。
開封済みの中南海からも一本取り出して、マッチで火をつけた。
「マッチでつけると味が変わるのか?」
「一瞬だけ、マッチの甘み?苦味?みたいなのが感じられる」
「なんだそれ」
当時の僕にはてんで彼女の言っている事がわからなかった。
ああ、でも確かに、マッチを使うと一瞬、点火して息を吸うほんの一瞬だけ、マッチに使われている木の香りの様なものが口内に広がる。
それ以降の味が特段変わるワケではないが、彼女はこの一瞬の為に、マッチを使っていたのか。
ポコン、とLINEの通知音が鳴る。
開けば当然、一部始終を見ていたであろう彼女からだ。
ーーうまいだろ。
ーーそんなにかな。
ーーもー
くすりと笑みを交わしーー僕にはそう感じられたーー、僕は煙草をくゆらせる。
生きるつもりだった彼女。
それがどうして急に死を選んだのか。
僕はなるべく考えないようにしながら、生前彼女が味わったものと同じ五感を共有する。
僕は彼女の死に心当たりがあった。
確信に近いそれから目を背けて、僕らは不思議な同棲生活を続ける。
「働きたくなーい。養ってよ」
「無理。自分の生活費くらい自分で稼げ」
「じゃあせめて一緒に住もうー」
「その内な」
そんな会話を思い出した。
彼女と付き合ってそれなりになるし、お互いそれなりの歳だったし、一応結婚を考えての交際でもあったので、当然そんな会話もあった。
彼女の方が積極的にその話題を持ち出してきていたが、僕はとある事情から毎回渋るか交わすかしていた。
今、この状況は同棲と呼べるのだろうか。
姿は見えないが、ひとつ屋根の下で常に一緒にいる。会話も行える。寝る時だって一緒に寝ているといえば寝ている。
ーー食費もなんもかからない。便利な女でしょ。
ーー一理ある。
確かに一般の同棲となれば、家賃食費光熱費諸々の折半だので金銭的に面倒が生じるし、生活リズムの違いも時に擦れ違いを生むだろう。
だが彼女は幽霊だ。
いるかいないかも定かではないが、恐らくいる。
彼女と共に暮らす生活は、同棲と呼んで差し障りのないものだろうか。
最近では家を空ける時間の多い僕より彼女の方に猫が懐いている節もあるくらいだ。
ーー一年くらい同棲して、それから結婚、とかしてみたかったな。
ーー死人と籍は入れられないだろ。
彼女の夢を壊す発言をあっさり返す。
そもそも夢を現実不可能なものにしてしまったのは彼女だ。
僕だって、いつか彼女と結婚して、家庭を築く夢を見なかった訳じゃない。
僕の心無い言葉に傷ついた様子もなく、彼女は捲し立てる。
ーー友達の結婚式とか行ったらさ、好きな曲かけてるの。それ見て私も憧れたなぁ。君と結婚式する時はさ、私も自由に好きな曲かけるの。君と一緒に選びながら。
ーー例えばどんな?
ーー筋肉少女帯の混ぜるな危険とか。
ーー会場騒然とするだろうな。
僕と彼女は共通の趣味が多かった。
ファッション、音楽、映画、漫画、アニメ、本、ゲームは、彼女は不得手だったが僕がプレイするのを横で見てははしゃいでいた。
そんな僕らが結婚式で好き勝手やったら、それこそ式場を出禁にされそうだし両家の親族にもドン引きされること間違いなしだ。
だからだろうか、彼女はもう叶わぬ夢物語として、二人の結婚式について時折語りたがる。
ーー黒無垢が着たい。知ってる?
白無垢はあなたの色に染まりますだけど、
黒無垢はあなた以外の色には染まりません、
て意味なんだって。
ーーそれくらいならいけそうではある。
ーーあとね、ドレスの二着目は真っ赤なのがいい。クリノリンつけて、ゴテゴテに髪とか飾って、登場BGMはアリプロのリュウコウセカイ!それか牙狼のOP
ーー俺たちの趣味知ってるツレなら笑ってくれそうだけど、知らない人からしたらドン引き案件だぞ。
ーーだって結婚式だよ!
好きなことやりたいじゃん!
派手なことしたい!
ーー俺は普通のでいい。
僕たちは叶わない夢物語の空想を広げていった。
彼女が語りたがるので、僕はいつまでもそれに付き合ってやった。
彼女自身が断ち切った、ヴァージンロードへの夢。
空想を語る時の彼女から悲壮感は感じられず、寧ろ活き活きとした雰囲気さえ伝わってきた。
彼女の頭の中では、それはもうフリーダムな結婚式や披露宴が繰り広げられているのだろう。
ポールダンサーを呼びたいだとか演し物にピエロを呼びたいだとか、サーカスかと見まごう程に賑やかな世界で、僕らは愛を誓っているのだろう。
ーー楽しい方がいいもん。
一生に一度のことなんだから。
一生に一度。
そんな言葉を軽々しく使う彼女は、自分の仕出かした事を微塵も理解出来ていないのではないか。
その一生に一度のチャンスを消し炭にしてしまったのは、他ならぬ彼女だというのに。
生きていれば、生きてさえいれば彼女の無茶苦茶な夢が叶う事もあったかも知れないのに。
例え僕以外の相手とでもーー
そこまで思い至って、僕は思索を断ち切った。
僕以外の誰かと結ばれる彼女を想像したくなかったのだ。
死して尚彼女を束縛する、思考の中でさえ。
そんな自分に嫌悪感を催して、僕はこめかみを押さえて暫時沈黙した。
僕からの反応がないのを訝しんだのか、彼女がLINEを寄越す。
ーーごめんね。ひとりで盛り上がって。
ーーいや、いい。そうじゃないんだ。
ーーそうじゃない?
ーーほっといてくれ。
思わず冷たい対応をしてしまった自分に、更に自己嫌悪が深まる。
生前も、死後も、彼女とは楽しい会話しかしたくないと思っていたのに。
僕が自己嫌悪に沈んでいると、彼女からLINEがきた。
ーーごめんね、また嫌な思いさせたね。
返答に窮していると、彼女から続け様にLINEがくる。
ーー嫌な思いさせたくないから死んだのに、死んでまで嫌な思いさせるような女と一緒にいたくないよね。
君に嫌な思いさせない人ができればいいのに。
文章が目に入った瞬間、激昴した。
「君は俺が君以外のやつを選んでもいいのか?!」
LINEではなく、実際に叫んでいた。
マンションの防音性が高くて良かった、この程度の叫び声なら聞こえはしないだろうと、頭の妙に冴えた部分で安心していた。
彼女のスマホを掴み上げて、もう一度怒鳴る。
「いいのか?! 君以外が俺と、俺と結婚したり付き合ったり、やることやってもいいのかよ?!」
肩で息をしながら、僕のスマホを握る手は震えていた。
怒りなのか、誰に向けての。僕自身にも判別のつかない、強い感情で僕の内側は荒れていた。
黒いシミのアメーバが急速に増殖して、心臓を浸潤する。ドス黒いアメーバはあっという間に脳まで蕩かして、思考を奪う。
スマホを潰さんばかりの力で握り締めていた時、
猫が、にゃあと鳴いた。
ハッとして我に返り、スマホをテーブルに戻した。
どさりとソファに座り込み、アメーバが心臓と脳から退去してくれるのを待った。
時間の感覚が曖昧で、数分にも十数分にも思える時が過ぎた頃、自分のスマホからLINEの通知音が聞こえた。
努めて冷静に、それを開く。
ーーいやだよ。
ーー私いがいのひとと付き合っちゃいや。
ーー私がいい。
ーーお願い、私を選んで。
縋り付く文面。
生前の彼女が何度も何度も送ってきたのと、同じ様に。
ああやっぱり、生きてても死んでても、このやり取りは変わらないんだな。
ーー君次第だよ。
僕は何度も何度も彼女に送った文章を、再び送信した。
返信はすぐに返ってきた。
ーーありがとう。
その一文だけで彼女も落ち着いた事が伝わってきた。
何度も何度も繰り返した、定型文のようなものだからだ。
それからまた、二人で夢物語を語り合って、眠りについた。
僕は彼女の顔があると思しき位置に唇を押し当てて、反応する隙も与えずに眠った。
僕らの関係は変わらない。
変えようがないのだ。
彼女の生死程度では。
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