生聖回帰2

彼女は明方、必ずカーテンの側に立っている様だった。というのも僕には見えないので写メと愛猫の動きでしか確認出来ないのだが。

彼女がもっと空を見られる様にカーテンを開放してやりたかったが、生憎と僕は暗がりの中でしか寝付けないので必要以上の斜光はごめん被りたかった。

彼女は彼女もそんなに長時間空を見つめるわけでもなく、満足したら


ーー寝よっか。


と僕の隣に寝転んでくるーー多分、だがーー。

僕のスマホのカメラロールには毎日心霊写真が増えていった。

彼女が好きだったドラマを流せばテレビが歪む、猫が何もない所で喉を慣らすものだから撮れば猫が歪むーーそういえば、彼女が休みの日は僕の家に入り浸るものだから、人見知りの激しい猫が珍しく彼女には懐いていたものだと思い出したーー、何となしに部屋を撮ればそこかしこが歪む。

六畳半の狭い部屋の中を彼女は歩き回っているらしい。


ーーいまどーこだ


そうLINEが来れば僕は部屋をパノラマ撮影して彼女の姿を探した。歪んだ場所があれば、


ーー見つけた。


ーーバレたか。


などと呑気なやり取りをする。

隠れ鬼の様な遊びに興じるのも、暇潰しにはちょうど良かった。



職場に彼女のスマホを持っていく事はなかった。

何となく、以前の様な日常を疑似体験してみたかったのかもしれない。

職場で一人の時にソシャゲをしたり、彼女と取り留めのないLINEをしたり、そういった日常を心のどこかで求めていたのかもしれない。

これは僕が、今の所唯一感じている彼女の死へ対する哀傷の様なものなのだろう。

LINEがなければ彼女と意思疎通は不可能だ。

例え彼女が僕の後ろに張り付いていても、僕は気付かない。わからないから、いないのも同然だ。


ーー仕事行ってくる。


ーーいってらー


シャワーを浴び、支度を整えて家を出る際、彼女は引き留めない。

肩越しに部屋を振り返れば猫が喉を鳴らしながら何もない空間に向かってじゃれついている。

彼女と遊んでいるのだろう。

僕は見ることも触ることも出来ないけれど、猫は可能なのだろうか。

そんな情景を微笑ましく眺めながら、僕は家を後にした。


仕事中も彼女とはほぼずっとLINEをしている。

正直夜勤の事務職なんてのは事務所を一人で任されてしまえば結構暇なものだ。

忙しい時は寝る暇もないハードな職場だが、六割方僕の出勤時は朝まで暇を持て余している。

楽なんだかキツいんだかよくわからない仕事を続けてもう六年になるが、どうにも僕は要理が良いらしく仕事も人間関係もそれなりに上手くやっていけている。

生前彼女に、

「そういうとこ正直苦手。職場で猫被って好青年演じてるとことかほんと無理」

などと曰われた事もある。

いや、当然の事だろう。公私の区別はつけるべきだし、職場に限らず、それこそチェーン店の店員にさえ敬意は払うべきだ。彼等は社会的立場もあるし金銭面でのやり取りで成り立つ関係で、そういったものが一切発生しない友人達とは違うのだから。

そんな事情を説明すると、

「なんかサイコパスみたい」

との謗りを受けた。

別に彼女や友人を蔑ろに扱った覚えはない。ちょっとした悪戯でからかったり、いわゆる会話でマウントをとったりする程度だ。

自分で言うのもなんだが僕は理論武装が得意な所があるので、彼女が何某か喚いてもバッサリと切り捨てて丸め込んで僕の思い通りに動かす事が得意、というだけだ。

それだけでサイコパス認定は浅慮に過ぎるんじゃなかろうか。

それを言ったら彼女だって職場での顔と僕に見せる顔は全く違ったらしい。

職場では大人しくて真面目な優等生を演じて、僕や他の友人とつるむ時はいつもぶっ飛んだ言動で周囲を掻き乱す、どこへ行っても飛び道具扱いされる者だ。個性的というべきかアクが強いというべきか、そんな彼女は不思議と人を惹き付ける才能を持っていた。

男女問わず、様々な人間が彼女の周りにはいた。

彼女と同じ様な癖の強い人間から、穏やかで余り人と交友関係を持つのが苦手な人間まで、何故だか彼女には心を開く人間が多かった。

彼女にだけ、心を開く者もいた。

彼女しか友達がいないんだと、彼女にしか話せない事があるんだと、そう宣う人間が彼女の友人には存在した。


そこまで想起して、僕は心の黒いシミが広がるのを自覚した。

シミが拡大する前に思考をシャットアウトする。

ふと、意識が浅瀬から浮上する感覚。

机に突っ伏して軽く眠っていたらしい。

嫌な夢の残滓を振り払う様に何度か頭を振って、スマホを確認する。

彼女からの通知が来ていた。


ーーねたー?


ーー今起きた。


ーーおはよー


ーー何時?


ーー7時まえ。後ちょっとだがんばれ!


文字に添えてがんばって!と可愛らしいスタンプが送られてくる。

気持ちが安らぐのと同時に、先程浅い眠いの中黒いシミを逬出させた思考を反駁する。


ーー俺が仕事中、どこにも行ってないよな?


ーー行ってないよ。というか、行けない。


どういう事かと彼女に尋ねる。


ーー君が出してくれないと、私この家から出られないんだよ。


ーーどういうことだ?


ーー君が本心から出ていいよって思ってくれるまで、君が口に出してそう言おうが表向きそう思おうが出られない、ってこと。


ーー俺が君を縛り付けている?


ーーそうとも言うのかなー。

なんかね、君には見えてないみたいだけど、私がここに来てから、君の生霊みたいなものがずっと私のそばにいるの。

それがね、私をここから出してくれないの。

今はいないから、多分君が寝てる時に出てくるんだと思う。


生霊?僕の?

そんなものが?僕から出ている?

彼女への執着心から?

彼女の言葉が上手く飲み込めない。彼女が死んだと聞かされた時以上に、僕は動揺していた。


死んでまで僕は、彼女を束縛していたというのか。

生前と同じ様に。

静かに狂乱する僕に構わず、彼女はLINEを送ってくる。


ーー生霊とは話もできないし正直幽霊怖いんだけど、君を感じられるからひとりでもさみしくないよ。


黒いシミが、アメーバみたいにぐねぐねと胸の中で動き回る。

僕は咄嗟に胸ポケットに仕舞っていた彼女の髪の毛を取り出した。外出する時はジップロックに入れて持ち歩いているそれを握り締める事で、平常心を保とうとした。

ぐしゃ、とジップロックが破ける程の勢いで握り込んで数分、黒いシミのアメーバは胸の隙間へ帰って行ってくれた。

黒いシミが収まってからも暫く髪の毛を握り続けた後、やっと彼女に返信する事が出来た。


ーー幽霊なのに幽霊が怖いのかよ(笑)


ーー怖いよー!めっちゃ怖い!鏡見るのも怖いもん!夜中に真っ暗なテレビになんか映るんじゃないかとか気が気じゃないし!君のテレビ大きいからよけい怖いよ!


わーわーと騒ぎ立てる彼女に、僕は安堵した。

いつものやり取りだ。

いつもの、取り留めのない会話を取り戻す事に成功した。


ーー今度全身鏡でも買ってやろうか?


ーーやめてー!!そんなことしたら呪うー!


ーー呪えるのか?


ーー……わかんないけど、気合いで。


必死な彼女の姿を思い浮かべて僕は微笑んだ。



呪い。

実の所呪っているのは僕の方ではなかろうか。

彼女を自宅に監禁して、外出の自由も奪って、生霊まで付けて監視して。

でもそれを望んだのが僕だとしても、受け容れたのは彼女だ。

だって生前彼女は言った。


「君の嫌がること、もう何もしないよ」


気が滅入る程雨天続きの一週間、週末久々に快晴を拝んだ日の事だ。

日付が変わるか変わらないかの頃、彼女に誘われて近所の公園まで散歩に出掛けた時、確かに彼女はそう言ったのだ。

煤けた都会の夜空を背負ってジャングルジムのてっぺんまで登った彼女は、晴れ渡る空の様に清々しい笑顔でそう宣言したのだ。

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