第2話 理不尽な追放
地下集落『アジール』。かつての巨大放水路を転用したその場所は、冷たいコンクリートの壁が結露し、大勢の人間が押し込められた澱んだ空気が満ちていた。
カリスがカモフラージュされた鉛の重い防壁を抜け、集落へ戻ると、数人の男たちが槍を構えて立ちはだかった。
「……カリスか。合言葉を」
男たちの声は、喉を鳴らさないかすれた囁きだ。この閉鎖空間では、あらゆる「振動」が死を招く禁忌として扱われている。
カリスは無言で、自身の防護服の肩に白ペンキで雑に書かれた管理番号『X-02』を指さした。続けて、手のひらを胸に当ててからゆっくりと横に振る。
『私は沈黙を侵さず、死を招かぬ者だ』
――生存のために自由を捨てた者たちが交わす、呪文のような誓約だった。
「通れ。だが、騒ぎを起こせばすぐに追い出すぞ」
男たちが槍を引く。彼らの目は、カリスが背負ったリュックの膨らみに、卑屈な期待と嫉妬を隠そうともせずに注がれていた。
カリスは彼らの視線を避け、集落の最深部、岩盤を削り出した「医務区」へと急いだ。そこには、地上の「灰」に肺を焼かれた子供たちが、薄汚れた毛布の中で喘いでいる。
「サカモト先生、薬です……」
カリスがリュックから、地下駅から命がけで奪取した抗生物質の小瓶を取り出し、初老の医師へ手渡した。サカモトの手は、慢性的不足と緊張による疲弊で、枯れ枝のように震えていた。
「……ああ、よくやってくれた、カリス。これで、あの子たちの夜が少しは静かになるだろう。だが君……」
サカモトの視線が、カリスの襟元で止まった。
カリスは反射的に、防護服の襟をきつく締めた。激しい戦闘で包帯が緩み、白銀色に淡く拍動を続ける「痣」が覗いていたのだ。サカモトの目に浮かんだのは、感謝ではなく、本能的な「忌避」だった。
「その痣……また熱を持っているのか? 悪いことは言わん、長老たちの前では、それを決して見せるな。彼らは、お前のような『異常体』を、ハウルと同じくらい恐れているんだ」
「……知っています。私はただの、失敗した実験材料ですから」
カリスは冷たく言い放ち、医務区を後にした。
背中の痣が、不快な熱を持って疼く。カリスが持つ断片的な過去の記憶。真っ白な隔離室。背骨に沿って埋め込まれた「生体共鳴デバイス」が、彼女の神経を焼きながら、外宇宙の怪物と同じ周波数に強制同調させようとしていた、あの地獄のような日々。彼女にとってこの痣は、自分が「人間」であることを剥奪された、呪われた機械仕掛けの刻印だった。
集落の広場に出ると、そこには不自然な人だかりができていた。中央に座っているのは、このアジールの最高責任者であり、かつての「音響文明」の生き残りである長老・ギデオンだ。
ギデオンは白濁した瞳でカリスを見据え、ゆっくりと手話を紡いだ。
『カリス・シラユキ。お前が戻る少し前、地上のセンサーが異常な音を感知した。狂信者たちの鐘の音だ。そして、お前が放った「デコイ」の音もな』
周囲の住民たちの目が、一斉に冷ややかな刃となってカリスに向けられる。
「……集落を守るためでした。教団の連中が、ハウルを呼び寄せようとしていたから」
『だが、結果としてハウルはお前の放った音に導かれ、このシェルターの直上に居座っている。お前は生きるために足掻き、そのたびに我々の静寂を乱す。お前の存在そのものが、最悪のノイズなのだ』
ギデオンの指先が、冷酷に次の裁きを描いた。
『連れて行け。この娘を地上へ。アジールの安全のため、ハウルを引き連れて遠ざかる「囮」になってもらう』
「……私を、捨てるっていうの?」
カリスは反射的に腰のボウガンに手をかけたが、周囲の男たちが一斉に槍の先を彼女に向けた。昨日まで、彼女が持ち帰った食料を分け合っていた者たちだ。だが、今の彼らの瞳には、「自分たちが助かりたい」という醜悪な生存本能しかなかった。
「……わかったわよ。最初から、誰も信じてなんていなかった」
カリスは吐き捨てるように言い、リュックを担ぎ直した。重い鉄の扉が、不気味な軋み音を立てて開く。彼女が荒廃した地上へと押し出されようとした時、一人の少年が、監視の目を盗んで駆け寄ってきた。先ほど薬を届けた子供の一人だ。少年は言葉を発さず、ただカリスの手に、小さな「錆びた鉄の破片」を握らせた。それは、かつて子供たちが遊んでいた玩具の欠片だった。
――バタン
冷たい鉄の扉が閉まる。
再び、灰色の雪が舞う絶望の地上。カリスは一人、凍てつく風の中に立っていた。その瞬間、背中の痣が、今までにないほど激しく、白銀の光を放って燃え上がった。恐怖ではない。それは、自分を使い捨ての道具として扱う世界への、強烈な「拒絶」だった。
「……死んでたまるか。私は、私の意志で、この地獄を歩き抜いてやる」
カリスは音響ゴーグルを装着した。霧の向こう、瓦礫を粉砕しながら迫る巨大なハウルの影。彼女は鉄の破片をポケットにねじ込み、ボウガンを構えた。
カリス・シラユキの、本当の孤独な旅が、ここから始まった。
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