第3話 共鳴する孤独

 背後の鉄扉が閉まる音は、カリスにとって死の宣告と同じだった。灰色の雪が舞う地上。視界は十メートル先も覚束ない。だが、音響ゴーグルが捉える世界は、無機質な殺意に満ちていた。


 ズズ……ズズ……


 コンクリートの地面を巨大なヤスリで削るような音が、足元から伝わってくる。 『大型種』だ。霧の向こうから、ビル三階分ほどの高さがある異形が姿を現した。それは、何十本もの半透明な触手が、一本の巨大な脊椎のような核に絡みついた姿をしていた。ハウル――音響生命体の捕食形態である。


「……ハ、ハハ……」


 カリスの喉から、渇いた笑いが漏れた。アジールの長老たちは、彼女を囮にして時間を稼ぐつもりなのだ。だが、この質量を相手に、ボウガン一本で何ができるというのか。


 ――ドクン


 背中のあざが、皮膚を突き破らんばかりに脈動した。熱い。骨の芯まで焼き切れるような熱だ。  ハウルが、その熱に反応した。


 シュアアアアアア!    


 大気を震わせる超低周波。物理的な衝撃波となって、カリスの体を吹き飛ばす。


「――っが!」


 瓦礫の山に叩きつけられ、肺から空気が押し出される。衝撃で音響ゴーグルが外れ、雪の中に没した。視界が、一瞬でモノクロームの闇に沈む。カリスは震える手で地面を這い、外れたボウガンを必死に探した。上空から、無数の触手が鞭のようにしなり、彼女の周囲を叩き壊す。岩礫が弾け、頬を切り裂いた。


(……痛い。熱い。苦しい。でも、まだ。まだ指は動く。目は見える。私は、まだ終わってない)


 彼女は雪の中に指を突き立て、右手に冷たい鉄の感触を捉えた。ボウガンだ。カリスは仰向けに転がりながら、迫り来る触手の群れに狙いを定めた。


「……こいよ、化け物。私の『音』を食いたいなら、これでも食らえ!」


 指が引き金を引こうとした瞬間――カリスの視界が、真っ白に染まった。背中の痣が暴走したのだ。皮膚の下に埋め込まれた生体デバイスが、ハウルの放つ超低周波に「共鳴」し、過剰なエネルギーを逆流させ始めた。


「あああああああああああ!」


 カリスの口から、悲鳴が、いや「音」が溢れ出した。それは叫び声ですらなかった。彼女の痣を中心に、同心円状に広がる「絶対的な無音」の波動。カリスの周囲数メートルだけ、雪も、瓦礫も、そして迫っていた触手までもが、物理法則を無視して静止した。


 ハウルの核が、異変を察知して激しく明滅する。奴らにとって、カリスが放ったのは「存在そのものを否定する静寂」だった。だが、その代償はカリスの肉体に跳ね返ってくる。鼻から鮮血が滴り、意識が急速に遠のいていく。痣が神経を焼き切り、彼女を「兵器」としての臨界点へと引きずり込んでいく。


(ああ、そうか……。私はこうやって、壊れるために作られたんだ……)


 死が、甘い沈黙を伴って近づいてくるのを感じた。巨躯を揺らし、ハウルが最後の一撃を加えようと触手を振り上げた、その時。


 ――ヒュン


 風を切る、鋭い音が一つ。それはハウルの咆哮でも、カリスの悲鳴でもない。極限まで圧縮された空気の弾丸が、ハウルの脊椎状の核を、正確に撃ち抜いたのだ。


 ――パリン……


 という硬質な音とともに、大型ハウルがその場で結晶化し、崩れ落ちていく。カリスは呆然と、霞む視界を上げた。


 雪煙の向こうから、一人の人影が歩いてくる。重厚な防護ケープを纏い、顔には古びたガスマスク。手には、自作とは思えないほど精密な、大口径の空気銃エアライフルが握られていた。人影は、倒れ伏したカリスの前に立ち止まり、無機質なレンズ越しに彼女を見下ろした。そして、機械的に加工された合成音声が、静寂の中に響く。


「……共鳴率、限界値。シラユキ・プロジェクトの『生き残り』か」


 カリスはその声を聞きながら、意識を手放した。ポケットの中の、錆びた鉄の破片が、冷たくなっていた。

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沈黙の白雪 ― 静寂の果て、君の声 ― @material_burst

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