第三章④ (道元禅師の)坐禅は特別な体験を目指すものではない

 正法眼蔵しょうぼうげんぞう神通じんつう」には、

二乗にじょう外道げどう経師論師きょうしろんじとう小神通しょうじんつうをならふ、大神通だいじんつうをならはず。」

【現代語訳】

二乗にじょう声聞しょうもん縁覚えんがく)すなわち大乗だいじょう仏教ぶっきょうの道理を知らない者や、仏教以外の教説を信じる者、経典や経典の注釈書を研究する者たちは「小神通しょうじんつう」、普通では計り知る事ができない不可思議な働きを学ぶが、「大神通だいじんつう」仏祖の神通、日常生活の当たり前の、天地一杯の自己を現成する修行を学ばない。


とあって、

真の神通じんつうとは、不思議な事を行う力ではなく、仏道修行の日常、そこに現れる働きです。

 続けて、


「しることは有時うじなりといへども、神通じんつうはこれ神通じんつうなり。人のしらざるには、そのほうはいするにあらず」

【現代語訳】

⦅これが神通であると⦆本人が知る時もあるが、これも神通である。⦅これが神通だと、⦆本人も他の人も知らない時もあるが、それで神通の法がすたれるものではない。


とあります。

本人にわかっても、わからなくても、日常修行に現れる働きが神通なので、特別な体験を目指す修行ではありません。もちろん空中に浮いたり、幽体離脱するような事ではありません。


「神通」には、潙山いさん霊裕れいゆう禅師(唐の禅僧、百丈ひゃくじょう懐海えかい禅師の弟子)と弟子の

仰山きょうざん慧寂えじゃく禅師、香厳きょうげん智閑ちかん禅師の話が説かれています。


ある時、潙山いさんがよこになっていたところに、仰山きょうざんがやって来た。すると潙山いさんは顔をくるりと壁の方に向けた。それを見て、仰山きょうざんが言った。

「私は和尚さんの弟子です。格好つけなくてもいいですよ。」

潙山いさんが言った。

「わしが夢の話をするから聞きなさい。」

仰山きょうざんは頭を下げて聴く格好をした。

潙山いさんが言った。

「わしのために夢占いをしてみなさい。うまく出来るかどうか見てやろう。」

すると仰山きょうざんは盆一杯の水と、一本の手拭いを持って来た。

そこで潙山いさんは顔を洗った。洗いおわってしばらく坐っていると、香厳きょうげんがやって来た。

潙山いさんが言った。

「わしは先程から慧寂えじゃくさんと、一つのすぐれた神通じんつうをなしていた。小さな神通じんつうではないよ。」

香厳きょうげんが言った。

「私は隣の部屋にいたので、子細をよく知っています。」

潙山いさんが言った。

「それなら君もためしにやってみなさい。」

そこで香厳きょうげんはお茶をてて持って来た。

潙山いさんがそれをほめて言った。

「仰山と香厳きょうげん神通じんつう智慧ちえ(出会うところ我が生命としてのすばらしい働き)は、仏弟子中、智慧第一の舎利弗しゃりほつ尊者、神通第一の目蓮もくれん尊者よりもすぐれている。」


この話からもわかるように、仏道における神通とは、あり得ないような不思議なことを行うことではなく、当たり前の日常底にちじょうてい著衣じゃくえ喫飯きっぱんにおいて、宇宙と続きの自己を発現し、深まって行くことなのです。そして、そのことにもとらわれない自由自在な働きを言うのです。その出会う所、我が生命としての働きの一つ一つが、「信心銘しんじんめい」にある、「一即一切いちそくいっさい一切即一いっさいそくいち」であって、無量無辺むりょうむへんの働きでもあるのです。

具体的には、南泉なんせん和尚(趙州じょうしゅうの師匠)が言われた

「この鎌は三十銭で買ったんだ。」「とてもよく切れるよ。」という日常底にちじょうていの働きなのです。

また、この潙山の話からわかるように、仏道修行といっても、いつも緊張しているのではありません。休む時は休み、お茶を飲み、お菓子を食べて、くつろぐ時もあるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る