第三章④ (道元禅師の)坐禅は特別な体験を目指すものではない
「
【現代語訳】
とあって、
真の
続けて、
「しることは
【現代語訳】
⦅これが神通であると⦆本人が知る時もあるが、これも神通である。⦅これが神通だと、⦆本人も他の人も知らない時もあるが、それで神通の法がすたれるものではない。
とあります。
本人にわかっても、わからなくても、日常修行に現れる働きが神通なので、特別な体験を目指す修行ではありません。もちろん空中に浮いたり、幽体離脱するような事ではありません。
「神通」には、
ある時、
「私は和尚さんの弟子です。格好つけなくてもいいですよ。」
「わしが夢の話をするから聞きなさい。」
「わしのために夢占いをしてみなさい。うまく出来るかどうか見てやろう。」
すると
そこで
「わしは先程から
「私は隣の部屋にいたので、子細をよく知っています。」
「それなら君も
そこで
「仰山と
この話からもわかるように、仏道における神通とは、あり得ないような不思議なことを行うことではなく、当たり前の
具体的には、
「この鎌は三十銭で買ったんだ。」「とてもよく切れるよ。」という
また、この潙山の話からわかるように、仏道修行といっても、いつも緊張しているのではありません。休む時は休み、お茶を飲み、お菓子を食べて、くつろぐ時もあるのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます