安心しました




昼過ぎ、三崎から内線が入った。


「少し、お時間いいですか」


声は、いつも通りだった。

朝のことなど、なかったかのように。


会議室の一角。

ガラス張りで、人の気配はあるが、声は届かない。


「さっきの件なんですが」


先に切り出したのは、彼女だった。


「誤解を招く発言だったと思います」


「……ああ、悪かった」


「いえ」


即答。


「謝罪は不要です。私も、訂正しませんでしたから」


それが、余計にきつい。


「ただ、確認しておきたくて」


端末を胸元に抱えたまま、彼女は続ける。


「社内では、あくまで上司と部下、という認識で大丈夫ですよね」


確認。

ただの、確認。


「……もちろん」


それしか言えなかった。


「よかったです」


彼女は、短く息を吐く。


「正直、少し不安だったので」


「不安?」


一拍。


「同居していることで、線引きが曖昧になるのは困りますから」


淡々とした声。

論理的で、正しい。


「……俺は」


言葉が、続かなかった。


彼女は一瞬だけ視線を逸らす。


「安心しました」


その一言が、深く刺さる。


「仕事に集中できそうです」


軽く会釈をして、話を終わらせる。


「三崎」


呼び止めると、彼女は振り返った。


「……同居の件は」


「契約どおりです」


即答だった。


「更新の必要も、今のところありません」


そう言って、彼女は微笑んだ。


朝のエレベーターとは違う、きちんと距離を測った職場の顔。


「では、失礼します」


扉が閉まる。


一人になった会議室で、俺は理解した。


彼女にとっての“安心”は、俺が踏み込まないことだった。


そしてそれは、いまの俺にとって、いちばん残酷な答えだった。



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