善意は、違反より厄介である
時計を見ると、深夜一時を回っていた。
リビングの照明は落としていたはずなのに、
ソファの方だけ、間接照明が点いたままだ。
三崎は、寝ていた。
背もたれに寄りかかる形で、膝の上に端末を置いたまま、動かない。
画面は暗転している。
――寝るなら、部屋に戻ればいいのに。
起こすのは簡単だ。
声をかければいい。
だが、それはそれで、どこまでが生活上の配慮で、どこからが私的介入なのか分からなくなる。
視線を落とすと、彼女の肩が少しだけ震えている。
冷房だ。
毛布は、すぐ横のラックに掛けてある。
手を伸ばせば、届く距離。
――触れてはいけない、と書いてあったか?
契約書が頭をよぎる。
身体的接触:合意のないものは禁止
毛布をかける行為は、接触に含まれるのか。
くだらない。
そう思いながら、俺は一歩も動けずにいた。
彼女の指先が、無意識にソファの端を探る。
落ち着かない眠り方だ。
「……」
結局、毛布を手に取った。
音を立てないように広げ、距離を保ったまま、肩に触れない角度で、そっと。
その瞬間。
「……違反ですか?」
低い声がした。
心臓が、一拍遅れて鳴る。
「起きてた?」
「半分」
目を閉じたまま、三崎が言う。
「判断、迷ってましたよね」
見透かされている。
「……迷うだろ」
「でしょうね」
小さく、息を吐く。
「でも、それ」
彼女は毛布の端を、自分で引き寄せた。
「私が自分でかけたら、問題ありません」
そう言って、完全に毛布に潜る。
俺の手は、空中で止まったまま。
「……ずるくない?」
思わず漏れた言葉に、三崎は目を開けた。
「契約を守っているだけです」
「守り方が、器用すぎる」
「法務なので」
そう言い切ってから、少し間を置く。
「……それに」
声が、わずかに下がる。
「あなたが迷ってるの、嫌いじゃないです」
それだけ言って、彼女は目を閉じた。
もう、完全に眠ったらしい。
毛布は、かかっている。
接触は、していない。
契約違反は、ゼロ。
それなのに。
この夜は、今までより境界線が近かった。
俺はリビングの電気を消しながら、心の中で、ひとつだけ条文を追加した。
――善意は、違反より厄介である。
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