期待は、禁止事項




洗濯物が、干してあった。


ベランダに出た瞬間、思考が一拍遅れる。

自分のものと、彼女のものが、きれいに分けられている。


タオルは中央。

どちらにも属さない顔で、風に揺れていた。


「……あ」


声に出したのは、俺だけだった。


洗濯当番は、契約書には書いていない。

暗黙の了解、というやつだ。


それでも、彼女のシャツが風に揺れるのを見て、なぜか落ち着かない。

触れてはいけないわけじゃない。

ただ、触れた瞬間に、生活と私的領域の境が曖昧になる。


「干し方、問題ありました?」


振り返ると、彼女がいた。

もう完全に“職場の顔”に戻っている。


「いや、問題はない」


「それなら、よかったです」


三崎は一つ息を吸い、続けた。

「私の服、触ってませんよね?」


確認するような口調だった。


「触ってない」


「それなら、契約違反ではありません」


その言い方が、少しだけ柔らかい。


「……干すとき、何も思わなかった?」


俺が聞くと、彼女は軽く目を伏せた。


「思いましたよ。でも——」


そこで言葉を切る。


「行動を変える理由には、なりませんでした」


納得できるはずなのに、胸の奥がざわつく。


「破りたくなったら?」


問いかけると、彼女は少し考えてから言った。


「その時は、改訂します」


事務的で、それなのに逃げ道を残す言い方だった。


三崎はそのまま室内に戻っていく。


洗濯物は、触れ合いそうで、ぎりぎり離れた。


――期待は、禁止事項。

それが、いちばん守られていない気がした。

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