誘蛾灯

僕の人生は非常に幸せでした。

友と共に歩み、友に看取られ、逝くことが出来るのだから。


僕の周りには昔から人がたくさんいたように思う。

中心になれるでもない、取り巻きと言うほど真ん中に近いわけでもない、ただ貼り付いた笑顔で笑いあうそんな関係。

「学校ではどうなの?」

そんな親の言葉には

「うまくやってるよ。みんなとも楽しくやってるし。」

そうやって答えた。


それは違うだろうという言葉にも同調し、カラカラと笑みを浮かべてやり過ごす、それが本当に楽しかったのかは分からない。

けれど、上手くはやれていたのだとそう思う。


そんな中学校生活を送っていた僕だったが、一人だけ気になる人がいた。

特別誰かとつるむ様子もなく、休み時間に少しの人と話している程度、ただ、授業中には必死になって鉛筆を走らせていた。


とある日の放課後、忘れ物をした僕は教室に取りに戻ると、暗い教室で回りの音など聞こえないかのようなあの必死さで机に向かう彼がいた。


そっと忘れ物を取ると、遠目から彼の机の上を覗いた。そこにあったのは、荒く、とても奇麗で整っているとは言えないものの、美しい小物の数々が描かれたスケッチブックだった。


「お疲れ様。」


その魂の揺らめきの邪魔をしたくない気持ちと、彼と友人になりたい気持ちとがせめぎあい、そう一言だけ残して僕はその場を立ち去った。


それからと言うもの、たまに放課後少しだけ話すようになった。

あまり絵の邪魔をしてもいけないと一度に話すのはせいぜい長くて5分程度だったけれど。

それでも、僕は彼のようになりたいと思った。魂を吐き出せる人間に。

自分を貫ける人間に。


そうして仲良くなれたのかなれなかったのかもよくわからないままに中学校生活は幕を下ろした。


僕にとって大きく変わったのは高校3年の12月のことだった。もう行く末を決めていなくてはならないその時期に、僕はどうしても迷っていることがあった。

高校で過ごした2年と少しばかり、相手の顔を伺い、貼りついた笑顔を振りまく毎日。

それを忘れるように、自分の目標を忘れないように、勉学にだけは励んだが、それ以外は中学と何も変わることはなかった。


そんなある日だった。

代り映えしない風貌の君が街を歩いているのを見かけた。

「久しぶり。元気?」

なぜかはわからない、わからないけれど、君と話がしたいそんな気分だった。

「あぁ、元気にしているよ。そっちはどう?最近は流行風邪も多いと聞くし。」

君のそんな何気ない言葉。

「僕は見ての通り元気さ。最近は少し冷えてきて、ちょっと参るけどね。」

そうやって貼りついた笑顔の取れない返しをする僕。

君との会話でこんな会話になることに途方もない違和感を感じていた。

「そうだね。もう、12月…。私たちも、来年からは高校生ではなくなるわけか…。」

君はどこかあきらめるように、呟いてそう言った。

「僕はね、もう九州を出ることにしたよ。首都の方へ行くのさ。東京だよ東京。そして大学で学んで…そこから先はその時考える。」

ここしかないと思った。ここで私は言わなければ、一生後悔すると思った。

心の内をはっきりと吐露したのはこの時が初めてだった。

「君は…強いな。うん。つよい。未だ定まらない暗がりにそうやって一歩一歩着実に歩んで行っている。私も、頑張らなければな。」

そう静かに揺らぐ目をする君。

「何を言っているんだ。僕には君の方こそ輝いて、強く見えていたさ。かっこよく、美しく、とても真似できないような何かに訴える芯のある絵を描く人だと思っていた。中学の頃、少し見たんだ。君の絵を。単純にすごいと思った。だから、負けじと僕もやってみているんだよ。」

僕はどうにでもなれと叫ぶように、訴えた。

「ありがとう。君に会えてよかった。互いに好きにやろう。」

そう答えた君の言葉は私に頑張れと言ってくれているような気がした。

握手を求めている君の手をがっしりと両の掌で包むと僕は確りと力を込めた。


東京へ行く。迷って口にできなかった、この思いはこの時、初めて言霊に。僕はこの時、やっと未来への一歩を踏み出すことが出来たのだ。

親友であり戦友。この先どこかで戦う僕らは違う明日を生きようと互いに好きに生きるのだろうとそう思った。


大学に入って、僕は笑顔を貼りつけるのを辞めた。

自由に生きる。そう決めたからには誰かにへこへこして媚び諂う必要などないと思った。

けれど、大前提、九州から出てきた田舎者として扱われる僕には誰も寄り付かなかった。

それならそれでいいと粉骨砕身一人でがむしゃらになんとか生き残った。

だが、そこに残るのは空虚な孤独感だった。

何のために東京にいるのか、何のために食らいついているのか、よくわからない気持ちでいっぱいだった。


そんな卒業間際の年始、1月4日の日、帰省から下宿に戻った日のこと。

下宿には年賀状一通、届いていた。


差出人は彼だった。

そこには「謹賀新年 君がどうしているかわからないけれど、私はよき人と順調に人生を歩んでいる最中です。どうか健康に気を付けて。互いに好きにやろう。」とそう書かれていた。

「そうかそうか、上手くやってるようで何よりだよ」

笑いながらに、少しの涙を流した。

僕はなんとなく、今の自分のすべてがとてもちっぽけに思えてしまって、その幸せを分けてもらえたような気がして、心地いい気分になったのだった。


鼻を啜りながらによしっと頬を両平手で叩き、また前を向いた。

その後、1月4日にしてその年初めてのお参りに浅草寺へ向かったのだった。


30歳になって、不穏な話を聞いた。彼の勤める会社が倒産したらしい。

久しぶりに会った彼は憔悴しきっていて生気が感じられ無かった。

「空気がよどんでるぞ、ちょっとは休めよ。好きにやるんだろ?」

落ち込む君にそう僕が言えば

「私はそう、自由な人間にはもうなれませんから。」

君はそう答える。

「なんだよ。嫁がいるからか?子供がいるからか?」

コーヒーをチビりと飲みながら僕は言う。

「そうですね…」

言い淀む君。

「人様の背に重ってぇ呪(まじな)いかけやがってよ…。お前の嫁は、子供は、それを背負わす為のもんか?」

少しの苛立ちとなんとも言えぬ感情からそう言い放つ僕。

「そうは…言ってはおりませんが…。金は、必要なのです。」

暗い顔でカップの水面に視線の先を埋めながらそういう君。

「なぁ、とりあえずさ、描けよ。絵を。お前、口で喋るよりそっちの方がなんでも吐き出せるだろう。」

スケッチブックと鉛筆を取り出して彼は私に渡す。

「んで、それが終わったら、就活でもなんでも始めればいい。金が足りねぇなら、多少、僕だって工面できる。僕は独り身だから。」

そう言いきった時、君は渡したスケッチブックを抱き、鉛筆を握りしめてぽたぽたと目から涙を流していた。

「ありがとう、ありがとう…。」

呟くように、かすれた声で言う君。

「好きに生きよう。互いにさ。」

僕は笑って言う。


それからと言うもの、君は立派に嫁と子供を守って立ち上がった。

本当に立派だと思った。必死に絵を描き、発散しては就活に明け暮れ、休んでいるのかどうかも分からなかったけれど、たまに会ってみる顔はとても生き生きとしていたと思う。


僕が出したのなんてせいぜい、何度かの食事と飲みで少しおごった総計1万円くらいのものだ。みみっちいって?君が1万円札を後で返してくれたんじゃないか。ほんとはたぶん、1万円もおごっていないのに。


そんな僕ももう、68になった。肺がんの末期だそうだ。

長くはないだろう。

君も最近はそれを悟ってか、よく来てくれるようになった。

本当に、僕と言う人間は倖せ者だ。




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