生涯
石鶴咲良
羽化
私の人生と言うものはとても、とても倖せなものでありました。
家族に囲まれ、友と生き、私を私たらしめられる生涯を送ることが出来たのですから。
”縁”それは奇妙なものでありますれば、今は一人で病床に伏せこれをつづる私も縁が無ければあり得なかったのかもしれないのです。
私が、未だ青い春を覚える前のこと。中学生に上って少し経った頃のことでありましょうか。
私は「友」と言う言葉に辟易しておりました。
名前を呼んだところで反応もしない友。
新たな友を優先して切り離す友人。
部活動諸々で予定が合わなくなる親友。
歳を取り、少年少女が青年への萌芽を遂げるその過程での人間関係の変化。
ひとり残されるような感覚に取りつかれた私はただひたすらに心の内で孤独を抱えながら、周りに取り残された独り者同士、当たり障りない会話ばかりしておりました。
当時はそれを友と呼ぶことを殊更嫌っていたように思います。
「友」はいなくなるものであり、信用できないものでしたから。
当時、唯一私を助けてくれたのは絵を描くことでした。
人物画は描かず。風景画も描かず。生活の中にあふれる小物を見て描くこともあれば、想像で描くこともございました。
色は塗らず、4Bの鉛筆を使って只管に描いたように思います。
人とつながることを恐れた私は美術部には入りませんでした。
授業時間に絵を描き、休み時間は廊下の隅で他愛ない話をし、終業後には下校時刻まで人のいない教室で絵を描く。
そんな生活を続ける毎日でした。
そんな私を少し、変えたのは教師のある言葉でした。
「頑張っているね。」
授業は話半分な人間でございましたが、調子のいいことに点数だけは取れる人間でしたので、問題視はされていないとそういう腹積もりでおりました。
しかしその言葉はどこか鋭く私に突き刺さったように思いました。
私を認めてくれる人間の存在があったことへの喜びなのか、
頑張っていないだろうという自責の念なのか今となってはよく分からないものですが、少しだけ、世界が広がった気がしたのでした。
それからと言うもの、授業中に絵を描くことが減ったように思います。
ただの孤独者同士の戯れと思っていた会話に少しだけ自分の心の内をさらけ出す様になったように思います。
今思えば、中学生活はそのあとの3年生での生活が一番充実していて一番楽しく過ごせたようなそんな気がするのです。
しかしながら、さほど人間は変わるようなものではないもので、卒業の日も特別思い入れもなくその一人の教師から言われた「頑張っているね」と言う言葉以外心にとどまっているものがありません。
高校はよほどひどいもので、ほとんど記憶がないというのが実際のところでありましょうか。
私に転機が訪れるのは高校の卒業間際のことでした。
「久しぶり。元気?」
そんな言葉を道端で突然かけられたのです。
「あぁ、元気にしているよ。そっちはどう?最近は流行風邪も多いと聞くし。」
私はそんな当たり障りない言葉を返しました。何せ、中学の頃の同級生だったのですから。それも、仲は良かったとはいえさほど話す仲でもなかった人でしたし。
「僕は見ての通り元気さ。最近は少し冷えてきて、ちょっと参るけどね。」
ははっと笑いながら冗談めかして彼は言ったのです。
「そうだね。もう、12月…。私たちも、来年からは高校生ではなくなるわけか…。」
私は白い吐息を吐き切るようにそう呟きました。
「僕はね、もう九州を出ることにしたよ。首都の方へ行くのさ。東京だよ東京。そして大学で学んで…そこから先はその時考える。」
希望に満ちた瞳で淡々と語る君。
「君は…強いな。うん。つよい。未だ定まらない暗がりにそうやって一歩一歩着実に歩んで行っている。私も、頑張らなければな。」
空を見上げながら、私はそう返しました。
「何を言っているんだ。僕には君の方こそ輝いて、強く見えていたさ。かっこよく、美しく、とても真似できないような何かに訴える芯のある絵を描く人だと思っていた。中学の頃、少し見たんだ。君の絵を。単純にすごいと思った。だから、負けじと僕もやってみているんだよ。」
君には負けないぞ。そう言われている気がしました。けれど、それでよかった、それがよかったのです。なんだか涙があふれそうな気がしておりました。
「ありがとう。君に会えてよかった。互いに好きにやろう。」
私はそう言い返すと、握手を求めました。
すると、力強い両手での握手が返ってくるものですから、私もすかさず握っている手に力を込めて、もう片方の掌で包みました。
彼は未知への挑戦権と言う大きく偉大な片道切符を私に託してくれたのだとそう感じました。
それは同時に未来へ歩み続けるという人間の当たり前にして自然にやっているその行為を可視化し、一歩、前へ背中を押してくれたようなそんな気がしておりました。
大学生になって、私は面白い人間と出会うこととなりました。
「私は貴方の絵、嫌いだな。貴方のことも、ちょっと苦手。」
初対面でそんなことを言ってくる女性がいたのですから、本当に大学とは、社会とは面白い場所だと思いました。
私も、嫌いと好き好んで言われたいわけではありませんので、できる限り避けて過ごしておりました。
しかしながら、授業が被るたびに何故か彼女は近くの席に着くのです。
勇気を出して、
「あの、私のことは、苦手…なのですよね。」
と聞いてみたこともあるのですが、
「苦手。けど、ああやってわいわいして盛り上がってるのはもっと苦手」
と人が一塊になっている方を指して冷静に答えられてしまい、私にはどうすればいいか見当がつきませんでした。
少し経った頃のことでした。
「ねぇ、ねぇってば。なんで貴方は生活の小物しか描かないの?」
授業が終わった後、後ろから飛んでくる突飛な質問に私は茫然としておりました。
まさか、彼女の方から話しかけてくるとは思いもよらず、数舜、固まってしまったのです。
「なんでと言われましても…癖…ですかね。」
この時の自分に「友」に辟易しているなどと言う感情は微塵もありませんでした。そのあたりにあるものを適当に描いていただけだったのです。
缶があるならそのままの姿を描いてみたり、はたまた潰してみたり、その時々で自分が面白いと思う描き方で描く。それだけだったのです。
「人を描いてみればいいじゃない。」
またしても私は困惑しておりました。私の「絵」が嫌いなのではなく、絵の内容物が嫌いだったということになんともいえぬ面白さを覚えました。
この人は、言葉が非常に足りぬだけなのではないか、そんな事を思い始めていたのです。
けれど、やはり、人を描くというのは少し私には気が載らないということもあり、難しく、数日間放置していたのですが、
「だったら化物でも描いてみればいいじゃない。人型の。」
今度はそんなことを言われてしまい、不覚にも彼女の目の前で笑ってしまいました。
「なんで笑うのよ。何が面白いの。」
少しむくれながらそう言う彼女。
「嫌いだって言いながら、好きになろうとするその姿がすごい、いいなって思えてきて、けど、それでも、なんだか、面白く思えてしまってね。」
深呼吸をしたのちに、私はそう告げました。
「面白いって、なによ。」
彼女も少しだけ口元を緩ませながら、必死そうに呟くと、すたすたと講義室を後にしてしまいました。
それからと言うもの、私は心の内を絵に描くとき化け物の形にして描き出す様になりました。
「貴方の化け物の絵は、好きよ。」
つっけんどんな態度は相変わらずでしたが、彼女もそのころには絵だけは気に入ってくれたようで、だんだんと絵を描いたら見せてくれと言われるほどには仲が良くなれたように思います。
彼女はもうこの世にはおりません。おらぬことを知るということはそれほど強い繋がりを持つということでありますれば。
17の時に出会って嫌われ、18の時にようやく話せるようになり21から付き合って25で結婚し78歳で死に別れました。
あれからまだ2年と半年程ですか。
縁とは愉快なものです。彼女が切ろうとしなかったように、私が切ろうとしなかったように、切れなければ続いていく可能性があるのですから。
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