第7話【本社からの連絡】
熱が下がり、職場に復帰した圭吾を迎えたのは、
「ちょっとした労働で熱を出すなんて、ほんと、ひ弱な男ね」
桜田の、いつもと変わらない辛辣な言葉だった。
看病してくれた昨日の姿が嘘のように、声も表情も、すっかり仕事モードに戻っている。
「ほら、仕事が山ほど溜まってるんだから。ぼうっとしてないで、さっさと取りかかりなさい」
有無を言わせない口調でそう言い放ち、桜田は書類の束を机に置いた。
圭吾は、一瞬だけ言葉に詰まる。
けれど――
「……はい」
短く返事をし、圭吾は黙って仕事に取りかかった。
不思議なことに、胸の奥には、桜田に対する苛立ちは一切なかった。
そこに残っていたのは、昨日見せられた、あの温かさだけだった。
睨みつけることもなく、素直に仕事を進める圭吾の様子を見て、桜田が声をかける。
「どうしたの? 急に素直になって……熱で、憑きものでも落ちた?」
「別に……」
圭吾は視線を画面に落としたまま、短く答える。
それ以上、言い訳もしなければ、反抗的な態度も見せない。
キーボードを叩く指は、まだ少しぎこちないが、手を止めることはなかった。
その様子に、桜田は一瞬だけ眉をひそめる。
――やっぱり、どこかおかしい。
いつもなら、ここで一言二言、言い返してくるはずだ。
無駄にプライドが高く、注意されれば、必ず顔に出る。
それが――今日は、ない。
「……まあ、いいけど」
桜田はそう言って、それ以上追及するのをやめた。
「とにかく、その書類、午前中に目処つけて。午後は外回りだから」
「……わかりました」
またしても、素直な返事。
桜田は内心、拍子抜けしながらも、自分のデスクへ戻ろうとする。
そのとき、
「桜田さん、ちょっと話がある。会議室まで来てくれるかな」
野田に呼び止められた。
「はい、わかりました」
桜田は返事をすると、二階にある会議室へと向かった。
会議室に入ると、
「そこに座って」
野田に促され、桜田は椅子に腰を下ろす。
しばらくして、野田が真面目な表情で話を切り出した。
「実は、本社から連絡があってね。君に本社へ戻ってほしいと言ってきたんだが……どうする? 戻るか?」
本社――そこには、あの男がいる。
「嫌です。絶対に戻りません」
即答だった。
桜田が、あの男・木下克也から離れるために、自ら志願してこの支社へ来たことを、野田はよく知っている。
なぜなら、もともとここが地元の野田は、桜田と同じタイミングで本社から異動してきた人間だったからだ。
野田は桜田の迷いのない返答に、小さく息を吐き、
「……だろうな」
と、静かに答えた。
否定も驚きもないその反応に、桜田はほんの少しだけ肩の力を抜く。
「本社としては、人手不足なのもあるし……君の仕事ぶりを高く評価してる。戻ってほしい、ってのが本音だ」
「評価されても、戻りたくありません」
きっぱりと言い切るその声に、迷いは微塵もなかった。
野田はそこで「ふぅ」と息をつき、少し言いにくそうに切り出す。
「そういえば……あの男、木下克也なんだが。最近、例の社長令嬢・堀越(ほりこし)との結婚が決まったらしいぞ」
いずれ耳に入る話だろうと判断し、野田は隠さずに告げた。
「堀越の親は反対してたみたいだが、堀越が泣き落としで、三年かけて、ようやく親を説得したらしい」
その話を聞いた瞬間、桜田の眉間に深い皺が刻まれた。
「あんなクズと……結婚なんて……」
未練はない。
けれど、怒りだけは、まだ消えていなかった。
野田はそんな桜田の表情を一瞥し、話題を切り替えるように続ける。
「とりあえず、本社には一度来るように、って話だからな。来週あたりに行って、直接断ってくればいい」
そう言ってから、机の上に置かれた書類の束を指さした。
「それと、本社に届けてほしい書類がある。せっかくだから、一緒に持っていってくれ」
桜田はその量を見て、わずかに眉をひそめる。
「量が多そうだから、黒田くんを連れて行くといい」
桜田は小さく息を吐き、
「……わかりました」
と、短く答えた。
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