第6話【お粥の味】
今は、もう夕方。
圭吾が目を覚ますと、ベッドのそばには桜田の姿があった。
椅子に腰掛け、腕を組んだまま、じっとこちらを見ている。
その表情はいつもの厳しさを残しつつも、どこか疲れた顔をしていた。
「……起きた?」
低く、淡々とした声。
けれど、責めるような響きはなかった。
圭吾は喉の渇きを覚え、ゆっくりと上半身を起こそうとして、思わず眉をひそめた。
身体が重く、力が入らない。
「無理しないで。まだ熱があるんだから」
桜田はそう言うとコップを手に取り、圭吾の口元へと差し出す。
「……イオン飲料だけど、飲める?」
圭吾は小さく頷き、支えられるままに口をつける。
冷たい液体が喉を通り、ようやく意識がはっきりしてきた。
「……なんで、桜田さんが……」
掠れた声でそう呟くと、桜田はふっと息を吐く。
「体調の悪い人を放っておくほど、私は薄情な人間じゃないの」
そう言ってから、少しだけ間を置き、
「お腹、空いてない? お粥と梅干しがあるけど、食べる?」
そう圭吾に声をかけると、空腹を覚えていた圭吾は、素直に頷いた。
「今、温めてくるから。少し待ってて。……あ、そこに着替えを用意してあるから、先に着替えておいて。汗をかいたままだと、また体が冷えちゃうから」
そう言い残し、桜田は部屋を出て行った。
圭吾は、その後ろ姿を見送りながら、農家の男性が口にしていた言葉を思い出していた。
『あの人、仕事には厳しいけどな。それほど悪い人じゃないから……』
その言葉の意味が、今なら少し分かる気がする。
視線を枕元へ移すと、そこには綺麗にたたまれた着替えが置かれていた。
圭吾は、桜田に言われたとおり、それに手を伸ばし、着替えを済ませた。
やがて、桜田がお粥の入った茶碗をのせたお盆を持って部屋に戻ってきた。
それを椅子の上に置き、
「背中に枕を入れた方が、座りやすいわね」
そう言いながら、桜田は圭吾の背中に枕を差し入れた。
圭吾の膝の上には、そのままお盆が置かれる。
お盆の上には、お粥の入った茶碗が置かれ、中央には梅干しが添えられていた。
白い湯気が、ほのかに立ち上っている。
「熱いから、気をつけてね。フーフーして食べなさい」
まるで子供に言い聞かせるような口調だった。
『圭吾、熱いから気をつけてね。フーフーしてから食べたほうがいいよ』
――幸と……同じことを言うんだな……。
体が弱っているせいなのか。
それとも、慣れない環境に心まで弱っているのか。
失って初めて、どれほど大事にされていたのかが、今ならはっきりと分かる。
圭吾はスプーンでお粥をすくい、言われたとおり、フーフーしてから一口口に運んだ。
その瞬間、圭吾の動きが止まる。
――幸が作ってくれた、お粥と同じ味だ……。
ほどよい塩気の中に、かすかな甘さ。
その懐かしい味に、圭吾の目頭が熱くなる。
涙がこぼれそうになるのを必死に堪えていると、
「熱かった? 大丈夫? 水、飲む?」
桜田が、様子をうかがうように声をかけた。
その一言で、圭吾は現実に引き戻され、揺れていた気持ちが少しずつ落ち着いていく。
「だ、大丈夫です……。お粥……美味しいです……。ありがとう……ございます……」
圭吾はそう言って、素直にお礼の言葉を口にした。
あまりにいつもと違う態度に、今度は桜田のほうが戸惑う。
「やけに素直じゃない。熱が出ると、内面まで変わったりするの?」
いつもどおりの調子でそう言い、圭吾にからかうような視線を向けると、
「……美味しいです……本当に……」
そう言いながら、圭吾はフーフーしながらお粥を食べ始めた。
――まあ、素直なのは悪くない。
――だけど……信用はしないけどね。
桜田は心の中でそう呟きながら、圭吾が食べる様子を、ただ黙って見守っていた。
圭吾がお粥を食べ終えると、
「熱、測ってみて」
そう言って、体温計を差し出す。
圭吾はそれを受け取り、言われたとおりに体温を測った。
ピピピ、と電子音が鳴る。
桜田は圭吾から体温計を受け取り、表示を確認する。
「三十七・六度か……。また上がるかもしれないけど、そこまで高くはならなそうね……」
そう呟くと、桜田は圭吾の膝の上に置かれていたお盆と、汗を吸った衣類を手に取った。
「ちょっと片付けてくるから」
そう言い残し、桜田は部屋を出て行った。
一人残された圭吾は、ふと部屋を見回す。
洗濯物は衣紋掛けにきちんとかけられ、干されていた。
――洗濯までしてくれたんだ……。
脱ぎっぱなしで放置していた服も片付けられ、床に転がっていたゴミも、すっかりなくなっている。
いつもの散らかり具合が嘘のように、部屋の中はすっかり整っていた。
――桜田さんって……幸に似てる。
顔立ちはまったく違う。
それなのに、どこかが似ている気がした。
何がどう似ているのか、圭吾自身にもはっきりとは説明できない。
けれど確かに、重なるものがある。
そう思った瞬間、胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
そこへ、桜田が部屋に戻ってくる。
「体調はどう? 頭が痛いとか、ない?」
そう言って、圭吾の顔を覗き込む。
「大丈夫です……」
「そう。なら、よかったわ」
桜田は小さく頷き、
「もしかしたら、また熱が出るかもしれないから。三十八度以上になったら、この薬を飲みなさい」
そう言いながら、桜田はベッドの横に椅子を引き寄せ、その上にお盆を置いた。
お盆の上には、ペットボトルの水と薬、それから体温計が、きちんと揃えられている。
「それから、うどんのおつゆを鍋に作っておいたから。お腹が空いたら、冷蔵庫からうどんを出して、鍋に入れて温めて食べなさい」
さらに念を押すように、続ける。
「ゼリーもいくつか冷蔵庫に入れてあるし、イオン飲料も冷えてるわ。喉が渇いたら、ちゃんと飲むのよ。脱水すると、また熱が上がるから」
世話を焼く言葉の一つ一つは、きっちりとした口調でありながら、どこか温かさを帯びていた。
「それじゃ、私は帰るわよ」
桜田がそう告げた瞬間、
「えっ!? 帰るんですか?」
思わず、圭吾の口から言葉がこぼれた。
「何を言ってるの? 帰るに決まってるでしょう」
桜田は、当然のことのようにきっぱりと言い切る。
その言葉を口にしてしまったことに、圭吾自身がはっとする。
――俺は、何を言ってるんだ。
心細さから漏れた言葉だと自覚しながら、
「……そうですよね。……今日は、いろいろ、ありがとうございます……」
圭吾は、戸惑いながらも素直にお礼の言葉を口にした。
そんな圭吾に向けて、桜田は、
「今日は、やけに素直ね。いつもそれくらい素直だと、少しは可愛げもあるのに」
と、いつもの淡々とした口調で言い放つ。
そして――
「それじゃ、帰るわね」
そう言い残し、桜田は部屋を後にした。
一人きりになった部屋で、圭吾は桜田桜のことを考えていた。
これまで、いけ好かない女だと思い込んでいた。
けれど――
実際は、そこまでいけ好かない女でもなく、思っていた以上に、案外優しい面もあるのではないかと、圭吾は次第に感じ始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます