第5話【クズ男よりは少しはマシなのか?】

次の日の朝。


「黒田くんは、まだ出勤してないの?」


桜田の声が、事務所内に響いた。


「今朝、電話がありました。熱が出たそうです」


事務の女性社員がそう報告すると、


「……本当に、坊ちゃんは使えないわね」


桜田は小さく息を吐き、眉間に深くしわを寄せた。


そして、心の中で呟く。


――本当に、手間がかかる男だわ。


「どこに住んでるか、教えて。様子を見てくるから」


――放っておくわけにもいかないし……

――万が一、何かあっても困る。


そう考えた桜田は、圭吾の様子を見に行くことに決めた。


教えられた住所を訪れると、そこはこの辺りでは比較的住みやすいと評判のアパートだった。


桜田は空いている駐車スペースに車を止め、圭吾が借りている三〇三号室へと向かう。


ドアをノックした。


――返事はない。


もう一度、今度は少し強めにノックする。


しばらくして、ガチャリと鍵の開く音がした。


ドアがわずかに開き、桜田が中を覗こうとした、その瞬間――


圭吾の身体が、ふらりと前へ倒れ込んできた。


「……っ!」


桜田は慌てて腕を伸ばし、その身体を受け止める。


熱に浮かされた重みが、そのまま桜田の肩にもたれかかった。


「ちょ、ちょっと……大丈夫……?」


思わず声を上げながらも、桜田は圭吾を支え、そのまま抱きかかえる。


靴を脱ぎ、苦労しながら部屋の中へと入った。


そして――


「ここに……寝て……」


なんとか圭吾をベッドまで運び、横に寝かせる。


圭吾の頬は赤く火照り、触れなくても高熱だと分かるほどだった。


「黒田くん、薬は飲んだ?」


問いかけると、圭吾はかすかに首を横に振る。


「……まったく」


桜田は小さく息をつき、買ってきた解熱剤を取り出す。


「熱冷まし、買ってきたから。水と一緒に飲んで」


圭吾の身体を起こし、ゆっくりと薬を飲ませる。


再び横になったのを確認してから、布団を整えた。


「もう少ししたら、熱も下がるはずよ。少しは楽になるから」


そう言葉をかけながら、桜田は圭吾の顔を見つめた。


――見に来て、正解だったわ。


張りつめていた緊張がほどけ、桜田は安堵の息を吐く。


――さて……これから、どうしようか。


高熱にうなされている圭吾を、このまま放っておくわけにはいかない。


「もう……本当に、手がかかる男だわ」


小さく呟きながら、桜田は携帯を取り出し、会社へと電話を入れる。


そして、今日は一日、圭吾の看病にあたることを簡潔に伝えた。


イケメンを毛嫌いしてはいる桜田だが、さすがに弱っている人間を放置したり、いたぶるような神経は持ち合わせていない。


桜田は水分補給のためにイオン飲料を用意し、喉ごしのいいゼリーもいくつか揃えた。


さらにおかゆを作り、梅干しも添える。


そして――

山積みになっていた洗濯物を洗濯機に放り込み、スイッチを入れた。


部屋の中はヒーターで暖め、圭吾が寒気に襲われないよう、桜田は気を配った。


「私は……いったい、何をしてるんだか……」


圭吾の部屋を片付けながら、桜田は小さく呟く。


あのクズ男と別れて以来、誰かのために、こんなふうに部屋を片付けることなど、一度もなかった。


――なのに。


散らかった部屋を見ると、どうしても片付けたくなってしまう。


――こういうところが、男をつけ上がらせるんだろうか。


すっかり整った部屋を見渡しながら、桜田はそう思った。


薬が効いたのか、圭吾はすやすやと眠っている。


桜田は熱の具合を確かめようと、そっと圭吾の額に手を伸ばした。


すると――


不意に、その手をぎゅっと掴まれる。


「……幸……戻ってきてくれたのか……」


掠れた声が、うわごとのように漏れた。


「……は?」


桜田は思わず眉をひそめる。


――幸。


聞いたことのない名前だった。


熱に浮かされた圭吾は、目を閉じたまま、その手を離そうとしない。


まるで、失うまいと縋りつくように。


「……悪かった……」


小さく、苦しそうな声。


「……幸……ごめん……俺が……悪かった……」


その言葉に、桜田の胸が、わずかにざわついた。


――何よ、それ。


――私に言われても、困るんだけど。


そう思いながらも、強く振りほどくことはできず、桜田はしばらく、その手を握られたまま立ち尽くしていた。


その熱を帯びた掌から伝わってくるのは、弱さと、後悔と――

そして、どうしようもない未練。


「……ほんと、面倒な男」


そう小さく吐き捨てながらも、桜田はそっと手を引き抜き、冷えないように圭吾の手を布団の中へと戻した。


そして桜田は、


「……その“幸”って人に、ちゃんと謝りなさいよ」


眠っている圭吾に、聞こえるはずのない言葉を投げかける。


「ふぅ」と溜息を吐いた桜田は、ベッドのそばに腰を下ろし、ぼんやりと床に敷かれたグレーのカーペットを見つめた。


――あの男も、後悔してるんだろうか?

――私に悪いと、少しは思っているのだろうか?


脳裏に浮かぶのは、忘れたくても忘れられない男の顔。


結婚をちらつかせながら桜田から金を引き出し、その金を社長令嬢の後輩に貢いでいた、クズ男――木下克也(きのした かつや)。


「……思ってるわけ、ないか」


自嘲気味に、桜田は鼻で笑った。


あの男は、最後まで「悪気はなかった」「誤解だ」の一点張りだった。


言い訳ばかりを並べ、謝罪の言葉は一つもない。

桜田が怒れば怒るほど、「面倒な女」だと切り捨てられた。


――ああいう男ほど、自分が悪いなどとは、これっぽっちも思っていない。

――何をしても許されると、本気で思っている。


周囲にチヤホヤされ、それを当然のように受け入れて、いい気になって。


だからこそ、イケメンというだけで調子に乗る男が、桜田は心底嫌いになった。


桜田は、眠っている圭吾にちらりと視線を向ける。


熱に浮かされ、無防備な寝顔。


常日頃の生意気な態度や、無駄に高いプライドが、まるで嘘のように見える。


「……あんたは、どうなんだろうね?」


小さく、独り言のように呟く。


うわごとで謝罪の言葉を口にする姿を見てしまった今、あの男――克也よりは、ほんの少しだけマシなのかもしれない、そんな考えが頭をよぎってしまう。


――だからって、信用するわけじゃないけど。


桜田はそう自分に言い聞かせ、静かに立ち上がった。


「とりあえず……熱が下がるまでは、ちゃんと面倒見るから」


それは誰に向けた言葉でもなく、桜田自身に言い聞かせるための、独り言だった。







































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