第3話【上の人は見ている】
軽トラックは、大きな畑の脇の道路で止まった。
「ほら、早く降りて」
桜田に促され、圭吾は軽トラックから降りる。
「これ、使って」
投げて寄越されたのは軍手だった。
続けて、
「これに履き替えて」
黒い長靴を差し出される。
「さぁ、手伝いに行くわよ」
長靴に履き替えた桜田は、軍手をはめながら歩きだし、迷いなく畑へと足を踏み入れた。
慣れた足取りで、ぬかるんだ土もまったく気にする様子がない。
圭吾も後に続くが、足元が安定せず、思わずよろける。
「ちょっと、フラフラしない。畑で転んだら、笑いものになるわよ」
振り返りもせず、桜田が言い放つ。
畑では、すでに数人の農家たちが作業を始めていた。
腰をかがめ、黙々と大根を引き抜いている年配の男女たち。
「おはようございます。今日は、こちらを手伝います」
桜田がそう声をかけると、
「おう、桜田さん。寒いのに悪いねぇ」
「助かるよ」
と、穏やかな声が返ってくる。
そのやり取りを見て、圭吾は桜田をじっと見つめた。
――この女……二重人格か?
職場で見せる冷酷さとはまるで別人のように、農家たちに向ける桜田の表情も声も、穏やかで温かい。
それに対して――
「黒田くん!」
圭吾に向けられた声は、先ほどとは打って変わって威圧的だった。
名前を呼ばれた瞬間、圭吾の背筋が反射的に伸びる。
「一本ずつ、葉を持って、少し左右にねじりながら、まっすぐ引き抜く。曲げると折れるから。引いたら、土を軽く落として、あっちの箱に並べて」
指示は短く、そして的確だ。
「……わかりました」
圭吾は言われたとおり、大根の葉を掴み、力を込めた。
――これくらいなら、楽勝だな。
最初はそう思っていた圭吾だったが、冬の畑は想像以上に過酷だった。
冷たい風が容赦なく吹きつけ、土は凍りつくほど冷たい。
腰をかがめ続ける作業に背中は悲鳴を上げ、指先の感覚もほとんど失われていた。
だが――
ここで弱音を吐けば、また桜田にあれこれ言われ、プライドを傷つけられるのは目に見えている。
そのため圭吾は、軍手をはめた手で、黙々と大根を引き抜き続けた。
「ほら、黒田くん。一本ずつ、ちゃんと土を落として。雑に扱うと、傷がつくでしょ」
少し離れた場所で作業をしていた桜田が、容赦なく声を飛ばす。
――さすがに手が……腰が……
体がきつくなり、上体を起こすと、
「休憩は、キリのいいところまで終わってからにして」
と、すぐに釘を刺される始末。
そんな様子を、隣で作業していた農家の男性がちらりと見て、
「……あんちゃん、都会から来たんか?」
と、声をかけてきた。
声をかけられた圭吾は、
「え、あ……はい」
と、顔をあげ答える。
すると、農家の男性は、
「最初はな、誰でもきついんだ。無理すんなよ」
と、圭吾を気遣う言葉をかけてくれた。
その一言が、圭吾の胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
ここに来て、こんな風に気遣われたのが、初めてだった。
そのせいなのか?
圭吾の胸は、じんわりと温かさで満たされ、目頭が少しだけ熱くなる。
しかし次の瞬間――
「黒田くん、手止まってる!」
氷のような声が飛ぶ。
「会話は休憩時間に。今は手を動かす」
現実に引き戻され、圭吾は慌てて大根の葉を掴む。
その様子を見ていた農家の男性は苦笑しながら、
「桜田さん、相変わらず厳しいなぁ」
と呟いた。
すると――
「仕事は、なんでも最初が肝心なんですよ!」
即答だった。
農家の男性は、肩をすくめた後、
「あの人、仕事には厳しいけどな。 それほど悪い人じゃないから……」
そう言って、ぽん、と圭吾の肩を軽く叩き、
そして――
「頑張れば、いいことあるよ。 ちゃんとやっとる人のことを、上の人はちゃんと見とるから」
――上の人はちゃんと見ている。
圭吾は、その言葉がなぜか胸に引っかかった。
でもそれが、なんなのかを、今の圭吾には、まだわからなかった。
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