想定外でいろ、と彼らは言った

@TK83473206

第1話 空に向けて、返事が来るとは思っていなかった


 妹が天才だという事実は、家族の中ではあまり話題にならない。

 理由は簡単で、本人がそれをまったく自覚していないからだ。


「ねえ、これ見て」


 夜。

 自宅の屋上に設置した即席アンテナの横で、妹は楽しそうにノートパソコンを叩いていた。

 笑っている。いつも通りだ。

 星空を背景にしていなければ、ただの大学生にしか見えない。


「またノイズ?」

「違う違う。ほら、周期」


 画面には、規則性のない波形が並んでいる。

 少なくとも、僕にはそう見えた。


「昨日までなかったよ。これ」


 妹は嬉しそうだった。

 成功したとか、発見したとか、そういう顔ではない。

 **「面白いものを見つけた」**という、子供みたいな表情だ。


 僕たちがやっているのは、研究というより遊びに近い。

 市販の機材を改造して、宇宙に向けて電波を飛ばす。

 目的はない。

 論文になるとも思っていない。


 だから、返事が来るなんて思っていなかった。


「通信……って言うほどじゃないよね?」

「うん。でも、ランダムでもない」


 妹は椅子に座り直して、足をぶらぶらさせた。


「ね、もしさ」

「もし?」

「もし誰かが返してきてたら、どうする?」


 冗談だと思っていた。

 正直に言えば、そのときは。


「そしたら?」

「会話、続けるでしょ」


 当たり前みたいに言う。

 僕は苦笑した。


「言葉、分からないよ」

「分からなくても、続くでしょ」


 そのとき、画面の波形が一瞬だけ変わった。

 ほんのわずかだ。

 だが、妹の指が止まった。


「あ」


 音はしない。

 警告もない。

 ただ、表示されているデータの一部が、明らかに**反応**していた。


「……再送した?」

「してない」


 妹は首を振った。

 目が、画面に釘付けになっている。


「今の、向こうからだ」


 そう言った声は、さっきまでより少しだけ低かった。


 僕は何も言えなかった。

 否定する材料も、肯定する理由もない。


 その夜から、僕たちは通信をやめなかった。


---


 相手は、言葉を使わない。

 少なくとも、僕たちが理解できる形では。


 代わりに返ってくるのは、

 繰り返し、

 強弱、

 間隔。


 意味は分からない。

 けれど、**応答**はある。


「ね、これさ」

 数日後、妹が言った。

「質問っぽくない?」


「どこが?」

「ここ。間が長いでしょ。待ってる感じ」


 僕は画面を見た。

 確かに、一定のタイミングでこちらの発信を待っているようにも見える。


「……偶然じゃないのか」

「偶然って便利な言葉だよね」


 妹は悪気なく笑った。


 会話は、いつの間にか成立していた。

 正確には、成立していると**思い込むようになっていた**。


 ある日、妹がぽつりと言った。


「ねえ」


「なに」

「向こうさ……空気、違くない?」


 突拍子もない。

 そう思った。


「どういう意味?」

「成分。これ」


 彼女は別のデータを表示する。

 通信に混じる、微弱な環境情報。

 今まで気にも留めていなかった部分だ。


「窒素、少なすぎない?」


 地球では考えられない比率だった。

 成立しているのが不思議なレベルで、窒素が少ない。


「……仮に、だぞ」

 僕は言葉を選びながら言った。

「仮に、あっちが窒素足りてないとして」


「うん」

「だからって、どうする?」


 妹は少し考えて、首を傾げた。


「別に」

「……別に?」

「地球の空気、ほぼ窒素じゃん」


 その言い方が、あまりにも自然で、

 僕は何も言い返せなかった。


---


 試しに送った。

 ほんのわずかだ。

 比較にもならない量。


 反応は、すぐに来た。


 今までで一番、明確だった。


「……ねえ」

 妹の声が、震えていた。

「これ、お礼じゃないよね」


 数日後、座標が送られてきた。

 地球近傍。

 空。


 夜、屋上に立った僕たちは、

 音もなく現れたそれを見上げていた。


 宇宙船だった。


 小型で、滑らかで、

 どう見ても人類の技術じゃない。


 通信が入る。

 短い。

 簡潔。


 翻訳はできない。

 けれど、妹が言った。


「……交換、だね」


 僕は、何も否定できなかった。


 船は兄妹専用だった。

 そうとしか思えない設計だった。


 その後に届いた追加の信号は、

 どこか事務的で、穏やかだった。


 解析結果は、仮訳でこうなる。


 ――今回の供給は十分。

 ――ただし、予測不能な事象が起きる可能性がある。

 ――その場合、追加供給を二、三回想定している。


「ちゃんとしてるね」

 妹は感心したように言った。

「リスク管理」


 僕は空を見た。


 数字を示す記号が、

 まだ画面に残っている。


 二か、三か。

 それが何を意味するのか、

 僕たちはまだ知らない。


 ただ一つ分かるのは。


 **僕たちはもう、会話をやめられない。**


---


(第1話・了)


---

21時に毎日三話更新予定です

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