第3話 念じました。

【石山合戦】


石山の空は、もはや昼か夜かわからなかった。


黒煙が雲のように垂れこめ、

火薬の匂いと、血と汗の臭いが混じり合う。


ぱん!

ぱんぱん!

ぱぱぱぱん!


絶え間ない銃声。

鈴木重秀の組み撃ち鉄砲が、まるで機械のように正確に火を噴く。


撃たれた者は、叫ぶ暇もない。

倒れ、踏まれ、また次の銃声が響く。


「止まらん……止まらんぞ……!」


信長軍の足軽が、

前に進もうとしては倒れ、

退こうとしては背中を撃たれる。


地面はぬかるみ、

それが雨なのか血なのか、もう誰にもわからない。


雑賀党・鉄砲陣


「ほらほらほらぁ!

 次いけ次ぃ!詰まっとるで!」


「弾入れぇ!火ぃ点けぇ!

 はい撃てぇ!!」


大阪弁が飛ぶ。

軽い。

だが、やっていることは大量殺戮だ。


ぱん!

ぱん!

ぱん!


人が倒れるたび、

鈴木重秀は数を数えるように目を細めた。


「ええ当たりや。

 信長の兵は、よう倒れるなぁ……」


笑っている。

だが、その目には熱も狂気もない。

ただ仕事として撃っている。


一向宗門徒の突撃


鳥越城の門が開く。


「行けぇぇえ!!

 極楽浄土は、すぐそこやぁぁ!!」


「南無阿弥陀仏ぅぅぅ!!」


念仏を叫びながら、

男も女も、老人も若者も、槍を持って突撃する。


銃弾が飛ぶ。

倒れる。

それでも、次が踏み越えていく。


倒れた仲間を見ても、止まらない。


「怖がるなぁ!!

 死んだら仏さんが迎えに来よる!!」


しかし

迎えは来ない。


あるのは、

踏み荒らされた死体と、

燃え移る炎だけ。



◇◇◇



石山本願寺・内陣


炎に照らされた堂内。

薪がくべられ、火が揺れる。


揺らめく炎の前に、

本願寺顕如は静かに座していた。


堂内は暗く、天井の梁に影が歪み、炎が揺れるたび、仏像の顔が笑っているようにも、怒っているようにも見える。


顕如は、一本、また一本と薪を火にくべる。


ぱち……

ぱちぱち……


乾いた音が、やけに大きく響く。


炎が立ち上がり、

金色の仏具が赤く照らされる。


その前で、顕如は数珠を両手で包み込むように持ち、

ゆっくりと目を閉じた。


呼吸は深く、乱れはない。


外では銃声、悲鳴、怒号。地獄の戦場。

だが、それらはすべて遠い世界の出来事のようだった。


顕如は、低く、しかし確かな声で唱え始める。


「……南無阿弥陀仏……」


一拍、置く。


「南無阿弥陀仏……」


声は震えない。

怒りも、恐れも、すべて押し殺されている。


ただ、信じ切った者の声だった。


「南無阿弥陀仏……

 南無阿弥陀仏……

 南無阿弥陀仏……」


念仏を重ねるごとに、

炎が強くなる。


顕如の脳裏には、

倒れていく門徒たちの姿が浮かぶ。


血に染まった衣。

泥に沈む足。

それでも念仏を唱えながら前に進む背中。


(あの者らは、迷っておらぬ)


顕如は、心の中でそう呟く。


(恐れも、疑いもない。

 極楽を信じて、命を投げ出しておる)


数珠を強く握る。


指の関節が白くなる。


「……南無阿弥陀仏……」


声が、少しだけ低くなる。


(信長……)


胸の奥で、黒い感情がうごめく。


(仏の名を軽んじ、 寺を焼き、

 僧を斬り、 それを革新と呼ぶ者よ)


顕如は目を閉じたまま、

炎に向かって、静かに言葉を重ねる。


「南無阿弥陀仏…… 我らは、剣を取らずとも、

 追い詰められた……」


「南無阿弥陀仏…… それでも我らは、

 仏を捨てぬ……」


炎が、ごうっと音を立てる。


影が仏の顔を歪める。


顕如の声は、やがて祈りから願いへと変わっていく。


「……南無阿弥陀仏…… 信長よ……」


一瞬、言葉が止まる。


そして、はっきりと心の底から、吐き出す。


(地獄へ落ちよ)


だが、それは声にはならない。


口から出るのは、ただ念仏だけ。


「南無阿弥陀仏……

 南無阿弥陀仏……」


(我らは死ぬまで戦う)

(それが、仏の道であるならば)


薪が崩れ、炎が一段と高く燃え上がる。


堂内は、まるで燃える極楽のようだった。


顕如は、最後に深く頭を下げる。


「……南無阿弥陀仏……」


外では、また一斉射撃の音が響いた。


だが顕如は、もう聞いていない。


彼の世界には、炎と仏と、終わらぬ念仏だけがあった。

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