第9話 大雨が降りました。
「よーし!全軍、突撃せよぉ!!
狙うは今川義元の首ィ!それ一つだがや!!」
信長様の声が、豪雨を切り裂いた。
合図と同時に、
織田軍が、堰を切った濁流みたいに駆け下りる。
足元は泥。
鎧は雨を吸って重い。
滑れば終わり。
それでも止まらん。
「行け行けぇ!!
ここで引いたら首が飛ぶぞぉ!!」
前田犬千代が、泥だらけになりながら叫ぶ。
「うおおおおお!!
死ぬなら今だでなぁ!!」
柴田勝家が、長柄の槍を振り回し、
敵兵をまとめて押し倒す。
倒れた者は、もう起き上がれん。
踏まれ、蹴られ、
泥の中に顔を埋めたまま動かなくなる。
「うわぁ!
足が抜けん!助けてくれぇ!!」
今川の兵が叫ぶが、
誰も助けん。
助けたら、自分が死ぬ。
戦場は、そういう場所だ。
雨の中、
信長様が見えた。
鬼神。
本当に、そう見えた。
「どけぇ!!
邪魔だでぇ!!」
槍が振るわれるたび、
敵が弾き飛ばされる。
切る、というより、
吹き飛ばす。
「殿の前、開けぇ!!」
「殿を囲めぇ!!」
佐久間信盛が声を枯らす。
その時
「義元様ァ!!こちらです!!」
今川の旗本が乱れ、
中央に、豪華な甲冑が見えた。
「おるぞ!!
今川義元だがや!!」
「一気に行くぞぉ!!」
織田の騎馬隊、二十騎ほどが突っ込む。
今川軍は、もう隊列を保てん。
「何が起きとるんだぁ!!」
「鉄砲が撃てん!!」
「足が動かん!!」
恐怖が、伝染する。
「何ごとじゃ!!
一体、何が起こっとるのじゃ!!」
今川義元の声は、
完全に上ずっていた。
「織田軍が……織田が、雨に乗じて……!」
「な、なんじゃと……」
義元は周りを見る。
逃げ道が、ない。
「……逃げるぞ!!
このままでは、命がない!!」
その瞬間
「今川義元ォ!!
勝負いたせぇ!!」
織田軍の服部一忠が、馬上から槍を構える。
「待てぇ!!
逃げる気かぁ!!」
「麻呂は……
麻呂は、まだ死ねんのじゃ……!」
義元の声は、完全に泣き声だった。
その前に、僕とくノ一部隊が立ちはだかる。
「今川義元!!
ここまでだ!!」
「何だ貴様らぁ!!金か!?地位か!?
望みを言えぇ!!」
雨で顔も見えんほど震えながら、
必死に叫ぶ。
くノ一たちは、無言。
一斉に、飛びかかる。
「動くな!!」
「暴れたら終わりだで!!」
羽交い締めにされ、
義元は泥に倒れ込む。
周囲では、まだ戦が続いている。
「うわぁぁ!!」
「助けてくれぇ!!」
叫び声と、雨音と、
鉄がぶつかる音。
戦場は、地獄だ。
「殿!!
義元、捕らえましたぁ!!」
その声に、
織田軍の士気が跳ね上がる。
「ほんとかぁ!!」
「終わりだで今川ぁ!!」
僕は、義元を見下ろした。
天下を震わせた男。
今は、泥だらけで、
ただの一人のあわれな人間。
今川義元は必死に叫ぶ。
「何だ!何が欲しいのじゃ!申せ!お前の望むものを与えよう!」
雨は、もはや空が割れたかのように降っていた。
視界は白く滲み、息をするたびに冷たい水が喉に流れ込む。
「天! 天下統一!」
僕の声が、雷鳴にかき消される。
引き金を引くたび、弦が震え、矢が闇を切り裂いた。
一本、また一本。
矢は今川義元の身体に突き立ち、鎧を叩き、衝撃で体を揺らす。
「ぐわぁああああああ!!」
義元の叫びは、恐怖と困惑が混じった、人間の声だった。
将でも公家でもない、ただ死を前にした一人の男の声。
足元の土は、いつの間にか赤黒く濁り、
雨水と血が混ざり合って、ぬかるみになっていた。
義元は膝をつき、必死に何かを掴もうとするが、指は空を掻くだけだった。
「……ま、麻呂は……」
言葉は最後まで形にならない。
身体が前に崩れ落ち、鎧が鈍い音を立てて地面に倒れ込む。
動かない。
雨に打たれても、もう声は上がらない。
その場に流れるのは、雨音と、遠くで続く戦の喧騒だけだった。
終わった。
地面に広がる赤は、もはや流れることもなく、
ただそこに「終焉」を刻みつけていた。
僕は濡れた髪を掴み、義元の首を持ち上げる。
重い。信じられないほど、人間の重さだった。
背後で誰かが息を呑む気配がした。
それが勝利の音なのか、恐怖の音なのか、もう分からない。
雨の中で、静かに、そして冷酷に。
雨と叫びと、血の匂いだけが残った。
しばらくして。
「……殿、首、取りました」
明智光秀の低い声。
周囲が、静まり返る。
「終わったな……」
柴田勝家が、息を吐く。
「まさか、勝つとは……」
秀長が、呆然と呟く。
「これで……
天下が、動いたがや……」
前田犬千代が、空を見上げた。
雨は、まだ降っていた。
でも桶狭間の戦いは、終わっていた。
桶狭間は、地獄と奇跡が、同時に起きた場所になった。
そして僕は、その真ん中に、立っていた。
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歴史が変わってきてる為、実際の歴史より早く起きている場合が多いです。ご容赦くださいませ。
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