第9話
「300円か……」
一馬は、フリマアプリの売上確定画面を眺め、力なく呟いた。
命を懸けた戦いの対価が、牛丼一杯分にも満たないという現実。だが、絶望して立ち止まっている暇はない。アパートの家賃、電気代、そして何より、次の探索のための資材。今のままでは、ジリ貧で「飼い殺し」の生活に逆戻りだ。
「ラットの素材が安いなら、もっと『高いもの』を見つけるしかない」
一馬は、刺突バールを握り直し、再び押し入れの境界線を越えた。
これまで探索してきたのは、入り口付近の、いわば「ネズミの餌場」に過ぎない。ナビゲートによれば、一階層といえどもその全貌は広大で、まだ一馬が足を踏み入れていない「未踏領域」が存在する。
『警告:これより先は発光苔の密度が低下します。視認性が30%以下に落ちる予測です』
「わかってる。だから、これを準備したんだ」
一馬は【作業台】で自作した「魔晶石の簡易ランタン」を掲げた。昨日拾った劣化魔晶石の粉末を、100均の懐中電灯のレンズに薄く塗布したものだ。光量は落ちるが、魔力の波長に反応して、暗闇の中に隠れた「資源」を浮かび上がらせる。
一馬は慎重に、膝を付くような低い姿勢で奥へと進んだ。
しばらく行くと、洞窟の壁の色が変わった。これまでの茶褐色の岩肌ではなく、鈍い銀色を帯びた、湿り気のある層だ。
「……あれは?」
ランタンの光が、壁の亀裂に群生する「青いキノコ」を捉えた。
【鑑定:深層の露草キノコ】
説明:一階層の最奥、湿度の高い場所にのみ自生する希少な菌類。微弱な回復成分を含んでおり、女性探索者用の低級ポーションの原料となる。
価値:未加工状態で一つあたり約2,000円。抽出加工すれば、さらに価値は跳ね上がります。
「二千円……ラットの歯、何本分だ?」
一馬の鼓動が速まる。これこそが、彼が求めていた「価値ある資源」だ。
だが、そのキノコの周囲には、無数の「糸」が張り巡らされていた。
『検知:ケーブ・スパイダーの営巣地。対象は音と振動に極めて敏感です』
天井を見上げると、岩の隙間に、大人の拳ほどの大きさがある蜘蛛が数匹、蠢いていた。
ラットのような突進力はないが、糸で動きを封じられれば、非力な一馬に逃げ場はない。
「戦う必要はない……キノコだけを、確実に、音を立てずに奪うんだ」
一馬は刺突バールを置き、代わりに100均の「計量スプーン」を【作業台】で加工した、細長いピンセットのような道具を取り出した。
一歩、また一歩。
自分の呼吸音すら、巨大な騒音に感じるほどの静寂。
一馬は、男性特有の「魔力の薄さ」を逆手に取った。女性探索者なら、その強大な魔力で蜘蛛を刺激してしまうだろう。だが、魔力を持たない「ただの男」である一馬は、まるで石ころと同じように、蜘蛛たちのセンサーをすり抜けていく。
「……取れた」
慎重にキノコを根元から剥がし、緩衝材を詰めた袋に入れる。
一つ、二つ。
作業を繰り返すうちに、額から汗が滴り落ちた。その一滴が地面に弾けた瞬間、天井の蜘蛛たちが一斉に足を止めた。
「っ……!」
一馬は完全に硬直した。
数秒の、永遠のような静寂。
やがて、蜘蛛たちは再び緩慢な動きに戻った。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った」
命を削るような緊張感。しかし、その手の中には、確かに「数日分の食費」以上の価値があるキノコが収まっている。
レベルはまだ「1.15」。身体能力は何一つ変わっていない。
だが、一馬は確信していた。
誰もいないこの暗闇で、自分は確実に「生きる術」を学び、一階層の主役になりつつあるのだと。
「今日は、これくらいにしよう」
一馬は、収穫物を抱え、暗闇の中を音もなく引き返し始めた。
その背中は、初めてダンジョンに入った時よりも、ほんの少しだけ逞しく見えた。
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