第6話

​再び、押し入れの奥へと這い入る。


昨日までの「恐怖に突き動かされるだけのニート」ではない。今の自分は、わずかながらの武装と、何より「一度勝利した」という経験を持っている。


​一馬は、魔晶コーティングを施した革手袋をはめ直し、刺突バールの重みを確かめた。


「……落ち着け。鑑定(ナビゲート)に頼り切るんじゃなく、俺自身の目で見て、考えろ」


​暗闇を進むと、すぐにあの忌まわしい咀嚼音が聞こえてきた。


一馬は懐中電灯を消し、壁の水晶が放つ微かな光を頼りに、岩陰に身を潜めた。


​『検知:スカベンジャー・ラット。個体数は一。後方から別の足音が接近中。予測される接敵時間は四十秒後』


​「二匹……挟み撃ちにされる前に、一匹目を仕留める」


​一馬はバールを両手でしっかりと握った。


ターゲットは昨日の個体よりも少し小ぶりだが、その俊敏さは侮れない。


一馬は、昨日ネズミに噛まれた左腕の疼きを思い出し、それを冷徹な集中力へと変えた。

​ネズミがこちらを向く前に、一馬は岩陰から飛び出した。


「――いけっ!」


​気づいたネズミが牙を剥くが、一馬は逃げなかった。


昨日はただ振り回しただけの腕。しかし、今日はバールの重みを利用して「突き」を放つ。


狙うは、鑑定が示した急所。喉元から胸にかけての、毛が薄い部分。


​「ギャッ……!」


​ネズミが跳躍しようとした瞬間、バールの先端に固定された「前歯」が、その喉を深々と貫いた。


針金と魔力樹脂でガチガチに固定された牙は、獲物の肉を容易く裂き、逆棘がその離脱を許さない。


​一馬はさらに全体重をかけ、バールを地面に押し付けた。


「これでおしまいだ……!」


​力で劣るなら、物理法則を利用する。


バールのレバー原理と自重により、ネズミはもがきながらも地面に縫い止められた。


昨日あれほど苦労した怪物が、一度も一馬に触れることなく、数秒の痙攣の後に動かなくなった。


​『個体撃破。被ダメージ:ゼロ。経験値獲得:レベル 1.05 → 1.12』


​「……勝った。怪我してない……!」


​喜びが溢れそうになるが、ナビゲートの警告がそれを遮る。


『警告:二匹目が接近。三、二、一……』


​「わかってる!」


​一馬はバールを死体から引き抜くと、振り向きざまに、背後から飛びかかってきた二匹目の顔面へ、バールの「釘抜き」部分を叩きつけた。


魔晶コーティングの手袋が、ネズミの爪を弾く。


ガツン、という硬い手応え。

怯んだネズミに対し、一馬は今度は慌てずに距離を取り、足元の不安定な岩場へと誘導した。


​ネズミが足を取られた一瞬。

一馬は最短距離でバールを突き出し、その目を貫通させた。


​「はぁ、はぁ……、よし……」


​二匹の死体を前に、一馬はその場に膝をついた。

息は上がっているが、体はどこも欠けていない。

革手袋の表面には爪の跡が刻まれていたが、中の皮膚は無事だった。


​「道具が良ければ、戦える……。俺の考えは間違ってなかった」


​一馬は、震える手で二匹のネズミから素材を剥ぎ取り始めた。


昨日は吐きそうになった作業だが、今は不思議と冷静だった。


この牙が次の武器になり、この肉が、皮が、いつか自分の生活を支える糧になる。


​「鑑定、この奥に……水場か、もっと安全に休憩できる場所はないか?」


​一馬は、仕留めたばかりの獲物を袋に詰めると、昨日よりも少しだけ力強い足取りで、暗闇の先へと進んでいった。


​二十四歳のニート。

彼は今、この絶望的な格差社会の影で、誰よりも着実に「ダンジョン探検家」としての産声を上げていた。


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